本校では,「こえる学び」を,限定的には捉えていない。だからこそ,「こえる」をひらがなで表記している。「こえる」にあてはまる漢字には,超,越,肥などがある。それぞれには,程度や予想を超える,妨げになるものを越える,十分な養分を蓄えるという意味がある。これらの意味を,授業で学ぶ子供の姿に置き換えると,例えば,子供が自らの力で,学習環境から自分にとっての学びを見出す姿とも言えるし,いくつかの学習環境と結び付き新たな知をつくる姿とも言える。このような姿は,教師がデザインする学習環境だけによって導かれるものとは限らないが,教師が授業や学習環境を,子供主体の学びが生まれる場になるようにデザインすることで実現できるのではないかと考える。
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