第11回 国際教育センターフォーラム(プログラムが一部変更になりました)【終了いたしました】

違和感を通してお互いを知る

―文化間対話から共生は生まれるか?-

異なる文化をもつ人々とのやり取りの中で,想定外の相手の行動や考え方に驚いたり戸惑ったりした経験はありませんか。反対に,自分が当たり前だと思っていたことについて,非難されたり,称賛されたりして不思議に思ったことがある人もいるでしょう。このようなすれ違いがより大きな問題に発展してしまったこともあるかもしれません。それぞれの文化には異なる「当たり前」があります。文化的な背景を異にする人々とはこのような「当たり前」を共有しないため,お互いに心地よい関係を築き上げていくためには,人間関係のあり方を一から調整し,新しい共通の「当たり前」を一緒に作り上げていく必要があるのです。そのためには相手の文化について知ろうとしたり,対話をしていこうとする姿勢を持つことが重要なのだろうと思います。

 本フォーラムでは,文化的な背景を異にする人々との共生を考える手がかりとして,文化間のズレのしくみやそれを解決する対話のあり方について考えます。はじめに,来場者の皆様にこれまで私たちが科学研究費(*)の助成を受けて開発してきた異文化間の対話を促す簡単なエクササイズに参加していただきます。そのうえで,文化間のズレの構造に関する研究と大学生を対象とした異文化交流授業に関する研究報告をします。異文化間の対話に関心をもつ研究者・実践者の方,学生の方など多くの方のご来場をお待ちしています。

*平成22~24年度基盤研究B「東アジアの大学授業を結ぶ対話共同体への参与過程として生成される集団間異文化理解」および平成28~30年度基盤研究C「対話的異文化理解の教育方法をめぐる実践及び理論的研究」(研究代表:呉宣児)

日時: 2019年3月2日(土)13:00~17:00

会場: 東京学芸大学 S講義棟3階 S303(東京都小金井市貫井北町4-1-1)

主催: 東京学芸大学国際教育センター

申し込み・問い合わせ先

東京学芸大学国際教育センター

Tel: 042-329-7717、7727,Fax: 042-329-7722,

Mail: c-event@u-gakugei.ac.jp

件名「第11回国際教育センターフォーラム申込」とし,

本文にご氏名・ご所属・ご連絡先(メールアドレス等)をご明記の上お申し込みください。

定員:80名

申し込み受付中 (まだお席に余裕がございます。)

2019-03 国際教育センターフォーラムポスター.pdf

<プログラム>           

*研究報告を予定されていた呉宣児先生(共愛学園前橋国際大学)は、やむを得ないご都合により登壇がキャンセルとなりました。

12:30~         受付開始

13:00~13:10       開会の辞     馬場哲生(東京学芸大学国際教育センター長)

13:10~13:25       趣旨説明     榊原知美(東京学芸大学国際教育センター・准教授)

異文化理解エクササイズ(仮想交流授業)

13:25~14:05      ファシリテーター  榊原知美(東京学芸大学国際教育センター・准教授)

研究報告

14:05~14:35 異文化を「理解する」とはいかなる営みか:おこづかい研究から考える異文化理解

            高橋登(大阪教育大学・教授)

14:35~15:05 謝罪と感謝の文化論

            山本登志哉(一般財団法人発達支援研究所・所長)

15:05~15:35 日中高校間での交流授業と高校生たちの対話過程

渡辺忠温(東京理科大学・非常勤講師)

           

― 休憩 -

15:45~16:50 討論

            コメンテーター① 塘利枝子(同志社女子大学・教授)

            コメンテーター② 佐藤郡衛(明治大学・特任教授)

16:50~17:00      閉会の辞     菅原雅枝(東京学芸大学国際教育センター・准教授)

報告の概要

日韓大学の交流授業を通した他者理解の試み―歴史政治的な素材を用いて

呉宣児(共愛学園前橋国際大学)

日本の授業担当者の呉と韓国の大学授業担当者の崔順子(韓国国際児童発達教育院)は、それぞれの大学で映画を視聴してから、感想文を交換する交流授業を行ってきた。2010年度(交流Ⅰ)には、直接交流はなく映画感想文のみの交換を行い、2016年度(交流Ⅱ)には、直接会い対面交流をしてから映画感想文の交換を行った。交流授業の素材として、歴史・政治的問題も関連して描かれている日韓共同ドキュメンタリー「あんにょん・サヨナラ」を用いた。
交流Ⅰの検討結果、日韓の大学生が体験する感情・葛藤の変化に共通性としてみられたのは、(1)まずは、日韓学生とも自分たちの傷をみる、(2)相手の感想文を見て相手の傷を意識するようになる、(3)相手が自分達を見てくれていると感じると、共生への視点が出てくるが、その反対の場合は防御の視点が出てくる、ということであった。
交流Ⅱを検討した結果、交流Ⅰではあまり見られなかった点として、(1)「私」と「わたしたちの国」を分離する傾向や、(2)相手(国)の非を語る場合は、自分・自国の非もセットにして語り、(3)非を語るとき、国を一括して語ることを避け、部分に分けて語る傾向があった。これらの結果から、「関わりのない顔の見えない他者」と「関わりのある顔の見える他者」という違いからくる「信頼」という軸が異なり、それは「他者理解」や「関係の断絶と持続」にも何らかの影響があると思われた。

謝罪と感謝の文化論

山本登志哉(一般財団法人発達支援研究所・所長)

 人と人のやりとりは「物」や「気持ち」を交換することで成り立っています。この交換がスムーズに行われているときは関係が安定して続いていきますが、どこかにアンバランスが生まれたり、「裏切り」が感じられると、途端に関係は危機に瀕します。
 感謝はやりとりを含むお互いの関係を持続させる心となりますし、謝罪は関係に生まれた危機的な状態を修復する手段の一つです。そこまでは文化の違いに関わらず、かなり一般的なことだと思います。
 でも謝罪が何についてどのように行われるか、感謝がいつどのように表現されるべきなのか、というその具体的な方法になると、途端にむつかしい問題が発生します。相手の謝罪が謝罪として感じられないとか、あるいはむしろ逆の意味を持ってしまい、不信感を増幅することがあります。感謝がお互いの関係を深めるのではなく、むしろ切ってしまう行為になることもあります。
 そのような、ある意味で悲劇的なズレが、文化の違いによって生み出される。そこでは関係の修復、強化への意思が逆の結果を生み出し続けるということが生じるのです。
 ではそれは具体的にはどんな形で現れるのでしょうか。そしてそこに共通する仕組みはどういうものでしょうか。またどうやってそれを乗り越える道を探せばいいのでしょうか。
 <差の文化心理学>(山本2015「文化とは何か、どこにあるのか」新曜社、高橋・山本2016「子どもとお金」東大出版会)や<ディスコミュニケーション分析>(山本・高木2011「ディスコミュニケーションの心理学」東大出版会)の視点から、これらの問題を考えてみたいと思います。

異文化を「理解する」とはいかなる営みか
―おこづかい研究から考える異文化理解―

高橋登(大阪教育大学)

「おこづかい研究」では,日韓中越4か国の研究者が協同で,それぞれの国の子ども達のお金をめぐる生活世界,とりわけ家族,親子,友人関係の在り方を,お金との関わりを軸として描き出してきた。本報告では,最初に私たちがこれまで取り組んできた「おこづかい研究」について結果の概要を報告する。次に,私たちの共同研究から生まれた方法論である「差の文化心理学」,すなわち,異文化を「理解する」とはいかなる営みなのか,私たちの理論的な枠組みについてお話ししたい。
 ヴィゴツキーは「昨日の発達」と「明日の発達」を区別し,後者を発達の最近接領域として定義している。ヴァルシナーはこれを敷衍し,前者をpast-to-present model,後者をpresent-to-future modelとして特徴づけているが,この区別は比較文化心理学と文化心理学の対比とも対応するものであるだろう。後者の系譜に位置する「差の文化心理学」は,異なる文化に属する者が出会うときに生じる力動を理論化するものである。それは流動化が進み多文化化が進む社会で暮らす子ども達の,さらには私たち自身の「明日の発達」を考える糸口ともなるものであろう。