第9回 多文化共生フォーラム(終了いたしました)

第9回 多文化共生フォーラム

周縁から日本の学校文化を捉える

― 文化心理学者がみた日本の学校 ―

 日本の学校をめぐっては,近年,これまで伝統的に行ってきた取り組みやその背後にある価値観などを見直す試みや提言が盛んになってきています。多文化化など学校をめぐる状況が大きく変化しつつある今日,日本の学校がもつプラスの側面をより充実させていくためにも,このような見直しは不可欠なものでしょう。本フォーラムでは,文化心理学の視点から,日本の学校文化のもつ特質について考えます。今回は特に,部活,アート,スクールカウンセリングなど,授業以外の側面に着目し,そこから浮かび上がる日本の学校の姿や課題・可能性について検討します。このように日本の学校を文化的に相対化してとらえ直すことは,文化心理学的にも興味深い試みであると同時に,在外教育施設に派遣される教員や,日本で帰国児童生徒教育,外国人児童生徒教育に携わる教員の方々にとっても有益な視点を提供できるものと考えます。学校における多文化共生にご関心をお持ちの多くの方の参加をお待ちしています。

日時: 2020年2月1日(土)13:00~17:00 (受付12:30~)

会場: 東京学芸大学 S講義棟1階 S103(東京都小金井市貫井北町4-1-1)

申し込み・お問い合わせ先: 東京学芸大学国際教育センター 

TEL 042-329-7717,7727 FAX 042-329-7722

✉ c-event@u-gakugei.ac.jp

定員: 80名

申し込み締切: 2020年1月29日(水)

参加費: 無料

*本フォーラムの最新情報はこの東京学芸大学国際教育センターホームページで随時アップいたします。

URL:http://crie.u-gakugei.ac.jp/

多文化共生フォーラムポスター.pdf

<プログラム>

13:00~13:10 開会の辞 馬場哲生(東京学芸大学国際教育センター長)

13:10~13:25 趣旨説明 榊原知美(東京学芸大学国際教育センター・准教授)

話題提供

13:25~14:05 「部活(BUKATSU)に凝縮されている日本文化」

尾見 康博(山梨大学大学院総合研究部教育学域・教授)

14:05~14:45 「言語的文化的多様性を持つ子どもたちの発達支援にむけて:そのディスコースの検討とアートに基づいたリテラシー学習活動の紹介」

石黒 広昭(立教大学文学部・教授)

14:45~15:25 「誰がなにに「適応」するのか?:学校心理臨床の視点から」

松嶋 秀明(滋賀県立大学人間文化学部・教授)

― 休憩 ―

15:35~16:55 パネルディスカッション

コメント① 「グローバル教師の育成の視点から」

見世 千賀子(東京学芸大学国際教育センター・准教授)

コメント② 「多文化環境にいる心理学者の視点から」

呉 宣児(共愛学園前橋国際大学・教授)

16:55~17:00 閉会の辞

【報告の概要】

言語的文化的多様性を持つ子どもたちの発達支援にむけて:そのディスコースの検討とア
ートに基づいたリテラシー学習活動の紹介

   石黒広昭 (立教大学文学部)

 報道によれば、政府は「移民政策」という表現を未だに忌避し続けているそうだが、日
本が他国同様多種多様な「移民問題」を抱えているのは事実である。ところが、教育の問
題は学齢期の子がいない人には見えにくいこともあり、必ずしも市民の関心を呼び起こし
てはいないようである。これは学校教育ですら例外ではない。1990年代には、日本語教育
を専門としない教師による取り出し授業が行われたり、教材としてただ単に配当学年より
下のプリントが配布されたりすることは珍しいことではなかった。残念ながら未だ改善が
進んでいるという声はほとんど聞こえてこない。なぜこのようなことになっているのか。
何かできることはないのだろうか。本講演では、まず言語的文化的多様性を持つ子どもた
ちがどのように語られているのか、その主要なディスコースを吟味する。次に、私がここ
しばらく取り組んでいるアートに基づいたリテラシー学習活動を紹介する。そこでは、学
習者は誰でもが自らの知的好奇心に導かれて学習するアーティストとして扱われる。アー
ティスト的心構えは、解放的で、遊び心があり、批判性を持ち、探究を求める。これらの
実践では、学習者に新たな知識を注入しようとはしない。既に自らが日常生活で身につけ
ている資源を再媒介し、学業知識との接続を自発的に促進することを目指す。言語的文化
的に多様な学習者の側から豊かな学習環境を構築するにはどうしたらよいのか。その議論
のためのアイデアをいくつか提供したい。

部活(BUKATSU)に凝縮されている日本文化

尾見康博(山梨大学)

部活(BUKATSU)は,たんなる課外活動ではない。たとえば,課外活動の指導時間の国際
比較調査(国立教育政策研究所,2014)によると,日本が一週間あたり平均7.7時間で最
長であるが,これをもって日本の教師が働き過ぎとするのは過小評価となる。なぜなら,
この調査では長期休暇の指導時間が考慮されていないからである。日本の部活では,夏休
みは休みというよりもむしろ強化期間になるが,諸外国では夏休みは文字通り休みなので
ある。このように,部活をたんなる課外活動としてとらえるとその本質を見失うことにな
りうるのである。
 そもそも,事実上,教師が無償で顧問を担当することよう義務づけられていたり,生徒
が入部を義務づけられていたりすることや,顧問が担当している競技などの素人であるに
もかかわらず指導に関する研修がほとんどないことは,夏休みを休みにしないことと同様,
労働面でも教育面でも大きな(人権)問題を孕んでいる。
 また,部活に特有のさまざまな価値観は,特定の生徒を精神的に追い詰めたり,身体的
に危険な状態に追い込んだりすることすらある(尾見,2019)。そしてその価値観は、他
方でひたむきなプレーや最後まであきらめずに頑張ることをよしとすること,あるいは美
化することなどと通底しており,参加している部員や顧問だけでなく,保護者や広く日本
社会に受け入れられているとも言える。
 部活が日本に独自のしくみであり,独自であることを私たちが自覚しにくいことから、
部活は日本文化が色濃く映し出された好例とみなすことができるかもしれない。

誰がなにに「適応」するのか?:スクールカウンセラーからの見え

松嶋秀明(滋賀県立大学人間文化学部)


スクールカウンセラーは、子どもの不登校や非行、いじめといったことに対応することが多
い。これらは、しばしば生徒個人の「不適応」であるとみなされやすく、なんとか解決して
いくこと(適応させること)が目指されることが多くあった。ここでの子どもたちは、いっ
てみれば学校の論理からはずれた、(学校にとって)「問題」の子どもたちである。しかし
、こうした子どもたちは、実は、そのような学校の論理とはかけはなれたところで、固有の
「問題」をかかえた子どもたちでもある。子どもの「問題」なのか、それとも「問題」の子
どもなのか、「問題」に内在するこうした二面性を前にして、多くの大人は、両者をごちゃ
混ぜにとらえ行動してしまう。
 単に、学校に適応させるにはどうすればいいかということを超えて、子どもがどのような「
問題」につきあたっており、どのようにその「問題」に困らされているのかを大人たちが知
っていくことが求められる。
 今回の報告ではいくつかの反社会的、非社会的な行動をする生徒に対して、周囲の大人たち
がどのように関わり、よい変化をうみだしているのかをみていく。そのことは、日本の学校
が当たり前にもっている「問題」「適応」についてのイメージを逆照射することにもなるか
もしれない。