明治・大正の先達
日本における最初の珪藻の記述は1899年、服部広太郎による淡水産珪藻「ホシガタケイソウ」(学名アステリオネラ・グラキリマ) (Asterionella gracillima) の記述がおそらく最初のものです。また海産のものについては1905年に遠藤吉三郎が最初の報告を行っています。その後、中野治房らが淡水産珪藻について、岡村金太郎、井狩二郎らが海産珪藻について、佐藤伝蔵らが化石産珪藻について報文を書いています。しかし明治、大正を通じて珪藻を主たる研究対象としていた研究者はわが国には現れませんでした。
昭和の先達
昭和に入るとようやく珪藻を専門とする研究者が現れ始めました。戦前では1930年代に岩橋八洲民、根来健一郎、津村公平らがわが国における珪藻分類学の先駆的研究を開始しています。またこの時期には、後に『浮遊珪藻類』(1960年)を著す小久保清治がプランクトン生態の立場から研究を開始しました。戦後になりしばらくすると、淡水産珪藻の分類学では小林弘、福島博が,海産珪藻の分類学では高野秀昭が、化石産珪藻では市川渡、金谷太郎らが,引き続いて渡辺仁治が淡水珪藻の生態学を本格的に研究し始めました。現在の研究者の多くは,何らかの形で,これら先達たちの系統を継いでいます。