「大学生でもわり算ができない」「子どもの基礎学力が落ちている」という声が多く聞かれるようになり、ちょっとした騒ぎになっている。
ただし、ちゃんとしたデータに基づいた話ではないので、来年度あたりから学力に関する調査が行われることになった。
これまでのゆとりのない学校生活を改善することもあって、新しい学習指導要領では、学習内容のおよそ3割が削減されることに決まっている。
折しもこの時期に、子どもの基礎学力が落ちているという話題が出てきたことから、一部では「学習内容を3割もカットして大丈夫なのか」という声が上がっている。
文部省の回答としては、「心配ない」とのことである。果たして本当にそうなのかはわからない。
「ゆとり」と「基礎学力の維持・向上」の両方を求めるのが理想的であるが、もしどちらかを優先せざるを得ないとしたら、どちらを選ぶべきなのだろうか。
例えば、「うちの学校はゆとりのある教育を実践し、いじめも不登校もない学校を実現します。ただし、偏差値は他の平均的な学校と比べて、10点ぐらい下がります」と学校がいったら、そこの生徒は、保護者は、納得するだろうか?
『教育改革 −共生時代の学校づくり− 藤田英典著 岩波新書』という本がある。1997年に出版されているが、とてもおもしろい。今のゴタゴタを予測するような幅広い視点、先を見通した鋭い切り口が心地よい。
その中に、教育問題とは調整問題としての性格が強いというようなことが書かれてある。つまり、「真の教育とは」「理想の教育とは」ということを追い求める「真理問題」として教育問題をとらえることも必要だが、多数の人の理念や利益を調整する「調整問題」として教育問題をとらえる視点が非常に重要だということである。
子どもたちにとっての良い学校、保護者にとっての良い学校、教師にとっての良い学校は少しずつちがうのかもしれない。
保護者と教師の満足のために、子どもがつぶされてはいけない。
教師と子どもの満足のために、保護者がつぶされてはいけない。
子どもと保護者の満足のために、教師がつぶされてはいけない。
そして、子どもたちの中でも、保護者の中でも、教師の中でも、願いや想いやニーズのずれはある。
学校生活の中にある小さなトラブルから国レベルの大きな問題まで、教育問題に取り組むためにはいろいろな人の想いに耳を傾け、調整のできるバランス感覚が大切なのだろうと実感している。