滅私奉公のその先に





 「滅私奉公」という言葉がある。森首相が自分のモットーだということで、少し前に取り上げられていた。

 自分を殺して,公に尽くすという意味である。ある意味,日本的な美徳であろう。

 しかし、最近は「個」を大切にしよう,という風潮である。日本的な美徳を残すか,西洋的な「個」を重視していくのか。

 今に始まった葛藤ではない。確か,明治の文豪も同じようなことを書いていたと思う。

 さて、「私」を殺さないと、「公」のために尽くすことは出来ないのだろうか?

 心理学の用語で「アイデンティティ(自我同一性)」という言葉ある。「アイデンティティが獲得される」ということを簡単に言うと「自分らしさを見つけ,自分らしさを受け止め,社会の中に居場所を見つけられた状態」ということになる。

 どちらかというと、「自分らしさ」に注目されがちであるが,「社会の中に居場所が見つけられなければ」、本当の意味での「自分らしさ」とは言えないのかもしれない。

 トランスパーソナル心理学では,「個」というものを3つの段階で捉える。

 最初の段階は、自他の区別がはっきりせず、「個」を意識していない「プレ・パーソナル」という段階である。

 次の段階は,自他の区別をはっきりと意識し,「個」であることを意識している「パーソナル」という段階である。

 最後の段階は,「個」を意識した上で,全体のことを考え,機能しようとする「トランス・パーソナル」の段階である。

 全体のことを考えていても,「プレ・パーソナル」と「トランス・パーソナル」は明らかに違う。全体のことを考えると,「個」が死んでしまうのではと,考えがちであるが,「トランス・パーソナル」の場合は違う。「滅私奉公」ではなく、「生私奉公」あるいは「活私奉公」である。

 「誤った個人主義がはびこっている」という批判が多く聞かれるようになった。だからといって、「プレ・パーソナル」の状態に戻れといっているわけでもないのであろう。

 だとしたら、進むべき道は自分を生かして,公の力になることである。そう簡単ではないが、この状態ほど生きがいを感じられる時はないであろう。


さいこ路地に戻る

ホームへ戻る