2004年不忍池ガイド

上野公園・不忍池野外観察会 2004年1月11日

今期もやって来た  ヨシガモの雄

 

                             し の ば ず自 然 観 察 会

《やくそく》きょうは、自然の姿を観察する日です。できるだけ自然を荒らさない、

                また、野生に近い姿で鳥たちとつきあう方法を考えましょう。

 

         *むやみに動植物をとったりいじめたりしない。

         *ゴミは散らかさず、公園内に捨てずに持ち帰る。

*自然の姿を観察するため、水鳥にエサをやらない。

*これを機会に、都市の自然に関心を持ちましょう。

 

観察コースは、摺鉢山古墳→噴水西園路(ボードウィン胸像)→動物園旧正門周辺(水路跡)→東照宮脇(橋形、タブの木)→五條天神社(橋形)→不忍池大鳥居横周辺(カワウ、カモ類、バン、ユリカモメなど)→蓮池一周→弁天堂藤棚(昼食、ゴイサギ、水質検査のデモ)です。

 

《 は じ め に 》

 

 今冬も不忍池には2500羽ほどのカモたちが渡って来ました。不忍池は東京に残る数少ない水鳥の楽園のひとつです。と同時に、都市に住む人々にとっても、憩いの場であり貴重な生活環境なのです。

 

 上野公園は江戸時代から景観にすぐれ名所として親しまれ、市民のアウトドアレクリエーションの場として利用されてきました。1873年(明治6)には日本最初の公園になりました。不忍池も1875年(明治8)、上野公園に編入されました。

 

 今回のテーマは、水と鳥です。不忍池をめぐる水系の名残りのウォッチング、不忍池の水質の簡易測定や水鳥の観察を通して、不忍池の自然の実態を自分の目で確かめましょう。

 

平和に見える不忍池にも、池の近くに地下駐車場を造ろうという話がもちあがり、南岸沿いのしのばず通りに出口が計画されています。また。上野公園全体の再開発も国レベルで検討されています。既に、文化施設の新・改築で、旧石器〜江戸時代の遺跡や明治以前を伝える自然が失われつつあります。きょうの観察会を機会に、都市の中の公園緑地、水辺の意義と保全についても考えてみましょう。

 

《 上 野 公 園 の 地 形 ・水 系 》

 

 上野台は武蔵野台地の東縁にあり、東は荒川沖積低地に、西は谷田川沖積低地に挟まれて、かつては東京湾に突き出す岬でした。

 

 台地面の東寄りに最高部があり、尾根状に北西・南東に伸びています。台地の中央部のおわん状の窪みからは上野公園最大の谷・清水谷が生じ、崖線から180m奥の谷頭部斜面には今も湿地や川の形が見られます(現在は上野動物園内)。また、旧水路あとには、「桜木橋」の碑が残っています。

 

 かつて崖線の西下に沿って、これらの谷からの水を集めた小河川が流れていました。川がなくなった今日でも、東照宮や五条天神下の橋形がそれを物語っています。

 

不忍池の主要な水源はかつて藍染川でしたが、この川は関東大震災の前後に暗渠化され、現在では下水幹線となってしのばず通りの下を流れています。上野の台地の下は水の豊富な所だったことが、清水町という旧地名からもわかります。現在でも、地下鉄根津駅近くの旧藍染川あたりでは、地表下50cmたらずの深さに地下水があります。また、蓮池にそそぐ人工水路を流れる水は、上野公園の地下にある京成上野駅とトンネルからのもので、まさしく上野の山の地下水です。    

 

《 不 忍 池 の 水 鳥 》

 

 都会の真中の小さな水辺である不忍池に、2500羽ほどのカモが集まっています。色や形を誇らしげに競っているのはおもにオスで、メスは茶色や灰色をしています。もっとも、秋の終りに北の国から渡って来た頃には、オスもメスとかわらない地味な色をしていました。この池で羽が生えかわったものもいます。岸辺にうちよせられた羽毛が証拠です。今は、カモの恋のシ−ズン、ここでペア−を組んで、春に北の国へ帰ります。

 

 

《見 る ポ イ ン ト》

*大きさ・形・色・模様・オスとメスとの違いなど

*動作・姿勢・泳ぎ方・潜り方・歩き方・飛び方・鳴き声・鳴きかた・餌のとり方など

*居る場所の特徴・餌にくる鳥こない鳥・群れをつくるかどうか

 

☆自分でみたり聞いたりしたことを自分のことばでメモしましょう。

☆パンフレットに色をつけてみると、おもしろいですよ。

            

 

 

《 不 忍 池 の 水 鳥  個 体 数 の 変 遷》

 この冬もカモたちの飛来数が少ないようです。12月21日のカウント結果では、カモの数は昨シーズンよりややふえて、2,510羽でした。

 ここ20年間では、1989年12月カウントの8,716羽が最大でした。1993年12月から減少の一途をたどり、2001年末の2313羽が最少でした。

 

 

《 不 忍 池 地 下 駐 車 場 問 題 》

 

 1986年3月、不忍池の水底に地下駐車場を建設しようというプランが表面化、商店会などでつくる「上野まちづくり協議会」の陳情をうけて、台東区は駐車場候補地として不忍池しかないという報告書を出しました。これに対して、しのばず自然観察会も加わっている「不忍池を愛する会」を中心とする市民・文化人の反対の声も高まって来ました。

 1990年3月に、科学者や在日外国人をまじえた多面的なシンポジウムが開かれ、地下の水環境、路上駐車の実態、公共駐車場の経済性、上野のまちづくり、欧米の都市における自動車乗り入れ規制および自然保護などの視点から、不忍池地下駐車場建設には大きな問題があることが明らかとなりました。これを機に、区議会や上野の商店会からも、不忍池には手をつけるべきでないとの声があがりはじめました。当時の内山台東区長も、「不忍池はやめた」と言明しました。

 その後、台東区は地下道建設とあわせて、広小路(中央通り)および不忍池南岸沿い道路(しのばず通り)下に地下駐車場をつくる方向で検討を続け、1995年11月になって、規模を縮小し中央通り下に駐車場本体を、また不忍池の玄関口とも言える下町風俗資料館の向かい側しのばず通りに道路の1車線をつぶして出口をつくるという立地案を公表しました。1996年になって、具体的工事計画がたてられ、工事のために地下60mまで壁を打ち込み、これを永久に撤去しないこと、あとあとへの影響は全く考慮されていないことが明らかとなり、環境への心配はつきません。