B01−2906 外池康剛
インド料理、特にカレーの日本への浸透の歴史について
日本人だけでなく、おそらく世界中でも最もポピュラーなインド料理の1つ「カレー」がこの島国「日本」の食生活ににどのような経緯を辿って浸透してきたのかを歴史年代にそって報告しようと思う
1、
日本人と「カレー」の初めての出会い
・ 1863年(文久3年)日本人、初めて「カレー」に出会う
このころ、フランスの砲艦モンジュール号でヨーロッパに出帆した34名の遣欧使節らが途中、フランスの郵船に乗り換えた際に乗り合わせたインド人達が食事する様子に遭遇。おそらくカレーライスであったと思われるインド人達の夕食の様子を、随行していた三宅秀清が日誌に「飯の上へ唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻き回して手づかみで食す。至って汚き人物の物なり」と記述している。
・ カレーの日本への伝播
このころ修好国の商人たちが横浜に館を構え始め、雇われ、出入りの日本人を通じて他の西洋料理とともにカレーが日本人にも伝わる(ただし、対英、対米が主であったため、日本に伝わったのはイギリス風のカレーであった)
・ 1872年(明治5年)初めて、カレーライスのレシピが紹介された本が出版される
このころから、牛肉食は文明開化の象徴となり、肉は滋養の素という新たな概念が生まれ、簡単に肉を食せるカレーライス愛好の基盤となった。そして初めてカレーライスの作り方を紹介した本―「西洋料理通」(仮名垣魯文)、「西洋料理指南」(敬学堂主人)がそれぞれ出版された。「西洋料理通」では「カリド・ウィル・ヲ・ルファウル」という名で牛肉もしくは鶏を使ったカレーを、「西洋料理指南」では様々なシーフード(海老、鯛、牡蛎、赤蛙等)を使ったカレーを紹介している。
・ 1876年(明治9年)「らいすかれい」という表記が現れる(名付け親はクラーク博士?)
札幌農学校の寮規則に「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」との表記。
・ 1886年(明治19)「福神漬」の考案
現在ではカレーライスの薬味として使われている「福神漬」を、東京・池の端「酒悦」の主人、野田清左衛門考案製造した。(ちなみにカレーライスに用いたのは、大正期、日本郵船の一等食堂が最初)
・ 1895年(明治28)カレーの「一般家庭」への進出
「女鑑」の95号に「カレーの作り方」が紹介される(明治20年代までは、本にレシピが紹介されていても本当に家庭で作られていたかは疑問)
・ 1898年(明治31)日本伝統料理の権威書に何故かカレーが・・
「日本料理法大全」(石井治兵衛 著)にカレーのレシピ記載
・ 1903年(明治36)「カレー粉」の発売
大阪の「今村弥」(現ハチ食品)がカレー粉を発売。また、同じ頃(明治37年頃か)に早稲田の「三朝庵」でカレーうどんが発売。(杉本商店作で、「カレー南蛮の素、軽便カレー粉」という商品として売り出したという)1906年(明治39)には東京神田の「一貫堂」も「カレーライスのタネ」(お湯で溶くだけ)を売り出す。
また、当時「和洋折衷」の概念の広まりからか、「カレー味噌汁」なるもの(明治37「家庭雑誌」)や、大石禄亭「カレーライスへ、海栗(ウニ)と海苔をかけて食べると至極結構です」(明治39「家庭雑誌」)等の少々怪しげな(?)カレーの家庭食卓への取り入れが見られる
・ 1914年(大正3)
東京・日本橋「岡本商店」が「ロンドン土産即席カレー」を発売。「婦人の友」がこれを全国に通信販売する
・ 1926年(大正15)
「浦上商店」(現ハウス食品の基礎)、布施市御厨に工場を設け、「即席ホームカレー」の販売を開始(後1927年に「ハウスカレー」と商標を改める)
・ 1927年(昭和2)「本格的印度風カリ・ライス」の公開(「高級化」カレーの登場)
1927年、東京新宿「中村屋」が喫茶部の開設と同時に「本格的印度風カリ・ライス」を公開。創立者の相馬愛蔵が、娘婿でインド独立の志士:ラス・ビハリ・ボースの意見を取り入れ、最上の鶏肉、米、10数種の香辛料を輸入して作った。この「カリ・ライス」はかなりの高級化路線をとったもので、当時一般には10〜12銭だったカレーに対し一食80銭で売られ、カレー、ライスは別盛り、ピクルス等の薬味もついた。1日200食を売った。 また、「資生堂パーラー」でも高級路線がとられ、1食50銭のカレーライスが土・日曜の家族連れに大人気。こちらも別盛で薬味に、しょうが、福神漬、らっきょう等。
・ 1930年(昭和5)この頃までにカレー粉発売元が急激に増加
現ヱスビー食品の前身「日賀志屋」がカレー粉(ヒドリ印)を発売。(創業は大正12年。山崎峯次郎が七味唐辛子の販売の傍ら、国産カレー粉の研究をしていた)
ノーブル商会(スイートカレー)
今村弥商店(蜂カレー)
弘樹屋商店(メタル印カレーの友)
キンケイ食品(ギンザカレー)他
・ 1931年(昭和6)C&Bカレー事件
当時、日本の洋食屋のコックには英国C&Bカレーのカレー粉がもっとも信頼されており、国内では最も多く使われていたのであるが、その販売価格が通常の価格に比べてあまりにも安かったのでC&B代理店で調査をしたところ、C&Bの容器に国産品を詰め替えた相当数の偽物が出回っている事が判明した。
これにより、イギリス大使館から日本政府に抗議が出て刑事事件にまで発展し、業界関係者40余名が引っぱられ、結局偽造者だけが懲罰に処せられた。
ところが、偽物とはいえ、もはや見分けられない、C&Bと遜色がないと分かった人々はかえって国産品の品質を認めるようになり、C&B側の強硬な態度もあって反発し、C&Bカレー粉の不買運動にまで発展してしまった。結果として安価な国産カレーの販売量、消費量が増え、日本でのカレーライスの大衆化がなったといえる。これが俗に言う「C&Bカレー事件」である。
・ 1941年(昭和16)〜1945(昭和20)
食料統制のため、カレーの製造、販売が中止。ただし、軍用食のためのカレー粉だけは細々と製造。
・ 1945年(昭和20)8月ポツダム宣言受諾、8月15日天皇による「戦争終結の詔書」放送。
・ 1946年(昭和21)カレー業界も製造再開、ただし原料入手難であった。
1949年(昭和24)1月には、ハウス食品も戦中・戦後、原材料の不足のため製造中止になっていた「即席ハウスカレー」の製造を再開。これを機に社名を「株式会社浦上糧食工業所」から「株式会社ハウスカレー浦上商店」に変更。ちなみにこの当時カレーといえばカレー粉を意味し、「即席カレー」は忘れられた存在であった。今後の食生活の将来を考えての、ハウス食品の社運を賭しての「インスタント」カレーであった。
・ 1950年(昭和25)インスタント食品業界にカレーも各社が次々と参戦
ハウス食品、ベル、キンケイ、テーオー、オリエンタル、蜂、メタル、等・・
・ 1952年(昭和27)
カレー業界各社のシェア争いが激化し、特売合戦に追い込まれる(温泉招待、金券つきなど)。この結果、公正取引委員会から「特売禁止」の措置がとられる結果となった。これは、カレーが生活必需品として認められていたことを意味し、また、結果的に業界に好影響をおよぼし、経営安定化のもとにもなった。
その後、「特売」によらない宣伝として新聞広告、ラジオ広告、料理講習が盛んに。
ハウス食品では実演を兼ねた宣伝カーが全国を回り始め、純カレーと即席カレーの違い、即席カレーの調理法の普及に努めた。
・ 1954年(昭和29)S&Bの即席カレー分野進出
業界大手のS&Bも即席カレー分野に進出、「カレー粉」から「インスタントカレー」の時代へと変化した。主婦のパートタイム、家事の合理化への要求、また肉食の奨励、洋食への憧れ等の時代の要求にぴったりであったのだろう。
・ 1956年(昭和31)マナスル登頂に始まる登山ブームが起こる。携帯食として即席カレーが大活躍
・ 1960年(昭和35)ハウス食品、社名を「ハウス食品工業株式会社」に変更
ハウス食品がこのころ固形ルウタイプの「ハウス印度カレー」を発売。これ以後、カレーの主流は固形ルウタイプのものになる。
・ 1961年(昭和36)全日本カレー工業協同組合設立
このころから「高級カレー専門店」ができ始める。カレー料理のイメージに「高級」、「利便」の二極化が始まるとともに、インスタントカレーの味も個性化してくる。
・ 1969年(昭和44)「ボンカレー」発売
食生活のインスタント化が進み、「レトルトカレー」が発売される。(大塚食品による「ボンカレー」)
・ 1975年(昭和50)カレーの種類の「多様化」、「個性化」
各社カレーの種類が「多様化」、「個性化」の方向へと進む。(ハウス食品による「デリッシュカレー」等)
・ 1982年(昭和57)1月22日、初めての学校給食の全国統一献立にカレーライスが選ばれる
1970年代から80年初頭にかけてカレーの消費は増大し(1世代あたりの消費量1610g〜1992gに増加)、カレーは子供たちの「好きな料理」ベストワンにもなり、圧倒的な支持を得ている事を証明した。ちなみにこの年の即席カレー生産高は90,000トン。国民一人当たり一ヶ月約3皿分という事になる。これ以降はカレーは「即席志向」から「本物志向」、手作り派の傾向を見せ、各カレー会社がそのニーズにこたえる形で現在に至っている。
・まとめ(反省に代えて)
今回カレーというインド料理の1つがどのように日本に伝播したのかを調べる過程で実感したのは、食文化とはやはり文化の一端を担っているものなのだという事です。「文化」と名のつく以上、そこにはやはり人と人との関わり合いや様々な目論見が大きく関わっており、「カレー」という1つの料理の伝播の中にさえ、これほど多くの歴史的事実が関わっているという事を知る事が出来ました。また、今回「カレー」という料理を通じての調査により、1つの小さな文化の歴史的流れから、歴史のさらに大きな流れを覗うという新たな視点の存在を学ぶ事が出来ました。まさに、故・司馬遼太郎氏の代表作「街道を行く」に見られるのと同じ、歴史・文化研究の貴重な経験をさせて頂いたと思っています。(もっとも、司馬氏が「街道」を歩む中でそこを流れた悠久の歴史を研究なされたのに対し、私の今回の、「カレー」という料理と日本の文化の関係を鳥瞰しようという試みではその質の高さが全く違うのではありますが)
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