雑誌言説における「私」の構成



雑誌言説における「私」の構成




1、語られる「私」

 一つの新聞投書を紹介することから始めたい。これは朝日新聞1998年8月24日朝刊「ひととき」欄に掲載された、36歳の女性からの投書で、「今度はいい顔の私に」と題されたものである。内容は、エステティックサロンに100万円を払ったが、期待していた効果が得られず、いろいろ頑張った末にようやく17万円だけは返金に応じさせた、というものだ。その一節にこうある。
「15年働き、ここらで少し、自分にご褒美をあげたかったのに残念でした。」
「これからは、日差しが怖くてできなかったゴルフなど、いままでやめていたいろいろなことを始めることで、きっといい顔の自分になれると信じて、人生を楽しんでゆこうと思います。」
ここで注目してほしいのは、「自分にごほうびをあげる」というレトリック(1)が、投書の主にとって二重の意味で実践的機能を果たしているということだ。
 第一に、他者に向けて−−とりわけ新聞という媒体を通すことによって不特定多数の他者に向けて−−自分を語り、それによって自分を主題化し、意味づけ、確認するための手段としてそれは機能している。第二に、それはまた、100万円というこの女性にとってはかなり思い切った消費行為へと踏み出すための理由や意味を与える手段として機能している。さらに言えば、ここで100万円が費やされる商品自体もまた「エステ」という自分を主題化し、加工し、改善する(はずだった)プロセスであるから、この二つの実践的機能はともに「自分」というものを主題化することに結びついているといえよう。だからこそ、引用の後半部分において、100万円によっては得られなかった「自分」(「いい顔の自分」)をもっと別のやり方で手に入れよう、という決意が語られることになる。つまり、このレトリックの「機能」や「効用」は、いずれも自己を構成するという実践(自己実践)−−一方においては直接に語りを通しての、他方においては消費を媒介にしての−−に照らして測られるものなのである。
 本稿の主題は、自己構成の過程で実践的に使用されるこのような言説が今日の社会においてどのように組織化され、提供されているのか、具体例に即して検討していくことだ。そもそも自己の構成は、いつでもコミュニケーション的に遂行されており、したがって「自分自身について語る」というやり方でなされているわけだが(2)、だからといって人はいくらでも好きなように自分についての物語を語れるわけではない。というのも物語は他者によって納得のいくものとして受け取られたときにはじめめて十全な現実味を帯びるからだ(Gergen,K.J./Gergen,M.[1983])。とするなら、人は自分について語る際に、他者によって受け取られやすいような語り方を選ばなければならないだろう。そのような「受け取られやすさ」は、多くの場合、その社会に広く流通しているプロットやテーマ、自然で自明なものとして受け入れられているレトリック等さまざまな言語「装置」を利用することによって達成されている。本稿は、そのような装置の中でも、とりわけ「レトリック」というそれに注目することによって、90年代後半の自分語りがどのようなものであるのか−−少なくともその一端−−を検討する。
 具体的には、ananという女性誌の特集記事を取り上げ、そこに展開された言説を分析の素材とする(3)。雑誌というメディアは、とりわけ90年代においては自分を語るための言説を熱心に提供し続けており、自己実践にとって利用可能な言語資源が大量に観察されるフィールドである。最近の女性誌で自分を主題にした特集記事とその一部をいくつかあげてみよう。

ef 1998年1月号 「一年間頑張った自分へ贈るごほうび」
「やさしくきらめいて、いつも私を励ましてくれる。ハッピーなオーラでいつも私を包んでくれる。そんな元気を与えてくれる本物を今年こそ堂々と贈りたい、頑張ってる自分に。」
MINE 1998年1月号 「私流”自分探し”の方法」
「結婚、出産、育児・・・気がつけば家庭の中に埋もれていて、世の中からも何か置いていかれた感じ。このままじゃいけない、何かを始めてみたい、でも何ができるわけでもないし・・・。だけど、ここで一歩を踏み出す勇気がほんの少しあったら、何かができるはず。ごく身近なこと、できることから始めてみて。」
Olive 1998年1/3・18号 「98新しい私のための個性派宣言 だれにも似てない私になろうよ!」
「それよりも、ね、生まれたままの自分をよく見てごらん。髪の色も顔のつくりも、カラダだって性格だって、実はだれにも似ていないオリジナル。人とちがうこと、標準からちょっとはずれていること、ひとクセあること、それこそが大切な個性、ひとりにひとつの宝物なのです。せっかくの宝物を愛さなきゃ。磨いて磨いて光らせなきゃ。
 だから、誰かのまねはもう卒業。ありのままを見つめ、まわりに流されないで、自分だけの生き方・おしゃれを探してみよう。『私』は世界にひとりしかいないんだから。」
COSMPOLITAN 1998年2/20号 「こうして見つけた! なりたい自分になれる道」
「やりたいことがやりたい。輝く自分になりたい。なのに”最初の一歩”を踏み出すことさえできずに、ウロウロ、イライラ・・・。でもそれは、あなただけじゃないのだ。ここに登場する4人の女性たちもそうだった。では、迷ったり、悩んだりを経て、彼女たちはどうやって”なりたい自分”を見つけたのか。そのやり方をあなたの”自分探し”に役立てて!」

この種の特集記事は頻繁に掲載されており、ここであげたのはほんの一部だが、これだけでもそれらが対象としている読者がさまざまな年齢層・職業層にわたっていることを見て取れるだろう。つまり、ありとあらゆる種類の女性に向けて自分を語るための言語的資源が、雑誌メディアを通して、圧倒的な量で提供されているわけだ。冒頭に紹介した投書も、このように提供され、広く流通しているレトリックを用いることによって、物語としての説得力を確保しているのである。
 ここで、多くの女性誌の中からとりわけananを分析の対象とするのは、それが現在あるような女性誌のプロトタイプとなってきたばかりでなく、このような「自分語り」の記事をどの雑誌よりも早く70年代から掲載し続けてきたからだ(4)。ananが創刊号以来提供してきたレトリックの変容をごく簡単に紹介しておくと次のようになる(詳しくは浅野[1998]参照)。まず70年代の語りにおいては、エディタやスタイリストなどが外発的・超越的に提示する理想像を前提にして、どうすればそれに接近できるかという構図において自己が語られる(タイプとしての自己)。それに対して、80年代の語りは、自分の内部にあり、自分が望ましいと感じる、その意味で内発的・内在的な個性の存在を前提にして、それを探究・発見するという構図において自己が語られることになる(個性としての自己)。90年代の語りをみていく際に、このような過去の語りを比較対象として念頭に置いておくことが役に立つだろう。
 だが、それにしてもなぜこのような言説が増殖するフィールドは男性誌ではなく女性誌なのか。ananにはじめて自分語りの特集記事が登場した1974年の状況を考えてみることがその問に対するヒントになる。いうまでもなくこの年は前年のオイルショックによって経済が大幅に後退した年に当たるのだが、それはまた次の二つのトレンドが開始した年でもあった。第一に、それは個人消費が急激に冷え込んだ年であり、これに対応して資本は販売戦略を変更し、広告の言説は機能をアピールするものからアイデンティティに結びつけられたイメージをアピールするものへと移行しはじめた。第二に、それは専業主婦の数が減少に転じた年であり、これは高度成長を支えてきた家族が解体し、女性のライフコースが多様化・不透明化しはじめたことを意味していよう。前者は資本の側からの、後者は女性の側からの、アイデンティティを構成する言説資源への需要を喚起することになったが、1950年代以降定着していた性別役割分業において女性はまさに消費行為の担い手とされてきたために、この二つのトレンドを接合する位置を占めていた。女性誌はこの接合点に向けて自己語りを増殖させていくのである。したがってこの語りはいつでも自分についての語りであると同時に消費についての(もっといえば消費に誘う)語りでもある(先の投書が自己についての語りであると同時に消費についての語りでもあったことに注意してほしい)。つまり女性誌は「私」を「消費」に結びつけながら語るための言語的資源を提供することで二つのトレンドを結合するメディアとして機能してきたわけだ。(5)。

2、 レトリック分析

 ananの記事を検討するための手順とその狙いを説明しておく。関心の照準を90年代後半に合わせるとするなら、95年以降の特集記事で自分を主題化することを主たる内容とするものは以下の三つであるから、ここではそれら三つを取り上げることにする。

1995年2月3日号 特集:新しい私になる
1996年11月8日号 特集:もっと自分を好きになろう!
1997年9月19日号 特集:もうひとりの私を探す

雑誌言説はさまざまな形で自己を主題化するわけだが、それらをすべて検討することは困難である。そこでそういった言説の中でも、とりわけタイトルにおいて自分を主題化することを明示的にうたっている特集記事のみをここでは選んだ。逆に言うと、例えばファッションや旅行、ダイエットの特集記事の中で自己が主題化されているようなものはここでは除外されている。
 まず、これらの記事において自己を語る際に繰り返し使用されているレトリックを抽出する。ついでそれらをよく似たもの同士でグルーピングし、とりわけ使用例の多いものを取り出す。最後に、それらのグループの配置を検討し、そこにどのような関係が読みとれるか検討していく。
 ここで検討の重心は記事の内容やメッセージそれ自体ではなく、それらを表現する際に用いられるレトリックの方におかれている。というのも本稿の目的は、自己実践に使用可能な言語的資源が、どのように組織され、提供されているのかという点にあるからだ。女性誌を対象とする研究は、しばしばそれがどのようなメッセージを伝達しているかという(とりわけフェミニズム的な)観点から見られることが多いのであるが、ここでは読者が自分を語ろうとするときに使用可能な言語資源は何か、と問うてみたいのである。レトリックが問題となるのもそれゆえのことだ(6)。逆に、メッセージに込められたさまざまなイデオロギー(例えば性差別的な)は、レトリックの実践的使用を通してはじめて現実的・物質的機能を果たし得るともいえるだろう。

3、 ありのままの私

 対象となる記事のうち、1995年と1996年のものには特集全体を要約し方向づけるような、とても長い前文が冒頭におかれている。記事全体の感じをつかんでもらうために、後者(の一部分であるが)をあげておく。

1996年11月8日号 特集:もっと自分を好きになろう!
「いまの自分を好きと思いたいのに・・・。素直に自分のことを認められないのはなぜ? いまの自分が常に最高!と思えたなら、毎日がどんなに楽しいだろう。みんなそう思っているはずなのに、なかなかそう考えられないのが現実。もし、もっとスタイルが良ければ・・・、もし、もっと明るい性格なら・・・。自分を好きになれないのを、まわりのせいにするのが癖になっていませんか?『そんな考え方ばかりしていると、たとえチャンスに恵まれたとしても、素直に幸せを感じられないし、いつまでたっても自分を好きにはなれません』とは、医学博士海原純子先生。いまここにいる素のままの自分を受け入れることができなければ、心が安らぐこともなければ、自分自身が成長していくこともできない。あるがままの自分を素直に認める気持ちを持つことが自分を好きになる第一歩。」:6(以下、数字は頁数を示す)

70年代に多く見られた「理想型=タイプ」への言及や、80年代をリードした「個性」への言及にかわってここで前面に出てくるのは「あるがままの自分」「素のままの自分」というレトリックだ。
 この二つの記事で、「自己」が語られる際にとりわけ頻繁に用いられるレトリックを取り出してグルーピングすると、<思い込み>、<発見する>、<ありのままの「私」>、<受け入れる>、<個性>、<何をしたいのか>、の六つにまとめることができる。注意してほしいのは、本来変わることを目指しているはずの「新しい私になる」という特集においてもやはり<ありのままの「私」>というレトリックが多用されているということだ。自分を変えるにせよ、そのまま受け入れるにせよ、いずれの場合でも「私」を語る際には<ありのままの「私」>というレトリックを用いた構造化がなされており、それだけこのレトリックがこれらの言説を深部から規定していることをうかがわせる。また、このことにともない、<思い込み>、<発見する>、<個性>という80年代にも頻繁に用いられていたレトリックはその意味を大きく変えていくことになる。そうしてみると、70年代の言説が「役割タイプ」として「私」を語り、80年代のそれが「個性」として「私」を語るものであったのに対して、90年代の言説は「私」を<ありのままの「私」>として語ろうとするものだと言えるかもしれない。
 以下、90年代後半になって新たに登場した三つのレトリック、<何をしたいのか>、<ありのままの「私」>、<受け入れる>の順で見ていきたい(80年代と重なっているレトリックについては、それらと関連づけながらふれていくことにする)。

<何をしたいのか>
 これは読者に「あなたがほんとうにしたいことは何なのか」と問いかけ、あるいは「ほんとうにしたいことを発見しなさい」と誘いかける表現である。80年代の言説は「どんな私になりたいのか」という問いを投げかけていたのだが、それに対して、ここでは「あなたは何をしたいのか」という問が投げかけられる。両者の違いは、前者が自己¥イメージ¥に対する希望をたずねるものであるのに対して、後者は¥実際に¥自分がすることに対する希望だということにある。
 ここでは二つの点が重要だ。一つは問いかけの照準するものがその人の自己イメージ(ということはその後ろにまだイメージとは区別された「実像」とでもいうべきものがいくぶんかは残っているわけだ)からその人の「実像」それ自体へと変わったということ。もう一つは、この問いかけに答えるための基準が「ほんとうのものであるかどうか」というものに変化したということだ。
 実際の使用例を引用してみる。

(96年の記事)
「人から与えられたことと、自発的に自分がしたいことを忠実にやっていけば、そんな理想の自分にどんどん近づけるのでは。」:54
「自分が嫌いなことは、いっさいやらない。自分の好きなことだけをする。いまより、もう少しシンプルにエゴイスティックに生きてもいいはず。」:57

(97年の記事)
「最近の人は、花形職業や高収入のように、卑俗なランクの高さにとらわれている気がする。本当に自分がやりたいことを探そうとしていないのでは。」:9
「何が人気があるとか、こんなことをすると格好が悪い、という考え方で生きていると、自分が本当にやりたいこと、向いていることは、どんどん見えなくなる。」:14

ここでは個性的であることではなく、ほんものであることが重要だ。個性が、それを持つ「私」を前提にしていたのに対して、ここではその「私」自体が問いの対象となっている。80年代の<個性>言説が「いまの私」を相対化していくようなものであるとすると、<ありのままの私>はそうした相対化を最終的に着地させていく地点として提示されているように思われる。

<ありのままの「私」>
 使用例をはじめに見ておこう。次にあげるのは、1996年11月8日号からの引用だ。

「ありのままの自分を受け入れて、いま、この場で100%生かしてみる。そう考えるようにすれば、あなたはいますぐにでも変われる。前向きなエネルギーにあふれた、いまよりもっと光る存在になれるはず。」:7
「快適で便利な生活にどっぷり浸っていると、持って生まれた生命力や五感の感覚を忘れてしまいがち。だけど裸になり、ありのままの姿で自分自身を見つめて、すべてをゼロにしたところでは、それらはひしひしわかる。」:14
「でも周りが持つイメージに合わせる必要はない、左右されず、ありのままの私を見せていればいいんだと考えるようになってから、とても気持ちが楽になって。」:25

1995年2月3日号からもいくつか引用しておこう。

「だから、根回しとかに熱心になるより、むしろまっさらな自分でいる方が、いい出会いをキャッチしやすいと思っています。」:79
「無理のない自分がストレートに反映されたからでしょうね。それからは常に本物の自分をさらけ出す姿勢が当たり前になり、とても楽に過ごせるようになりました。」:81

 ありのままの自分とは何か? それは「受け入れる」よう、「認める」よう勧められるもの、すなわちふつうは受け入れられぬまま、認められぬまま隠されたり、飾り立てられたりして見えなくなっている「なにものか」なのである。だからこれを正面から対象化しようとすると、それは、ベールを取る、壁を壊す、飾りを取り払う・・・といった、何かを除去する過程で現れてくる「はず」のものとして、消極的な形でしか語り得ない。そのうえ、「ありのままの自分」とは人によってその具体的な内容が違うので、これが「ありのままの私だ」というポジティヴで確定的な答えは存在しない。これは、70年代の言説がタイプ・イメージというポジティヴな答えを用意していたのとは対照的である。それを象徴的に示しているのが、「有名人」を引用するやり方の変容だ。70年代において、有名人はそれ自体が、模範解答、正解集として機能していたのであるが、90年代においては、「有名人はこうしました、あなたはあなたのやり方を見つけて下さい」という形へと変化しているのである。その結果、ここで構成される「私」は、決して確定的・最終的なものではあり得ず、つねに破棄されるかもしれない可能性にさらされたものとなる。気づきや自己発見というのはそうした破棄の過程の別名にほかならない。
 したがって、同じように「私を変える」といっても、何を変えるのか、その対象が70年代と90年代とではまったく異なっている。70年代言説においては「変える」対象はイメージであり、自分がまとうタイプを変えるということを意味しているのであるが、90年代言説においてはそういったタイプやイメージの背後にあるなにものかを「変える」ことを語る。例えば、「外見を変える」ということが重視されているという点では70年代も90年代もかわりはない。しかし前者においては外見を変えることそれ自体が重要な目的であるのに対して、後者においてはそれは他の目的のための手段とされる。1995年2月3日号から引用してみよう。


「人間って、内側はもちろん大切だけど、外見も同じくらいすごく大切。そして、そのふたつは密接につながっていて、大きく影響し合っている。だからまず、比較的変えやすい外見から変えるというのもテなのだ。」:6
「やはり、最も手っ取り早く自分を変える方法といえば、外見の”変身”。」:7


つまり外見を変えることは重要だが、その重要性はそれが最終的には「内側」や「メンタルな部分」や「自分自身の意識」を変えるだろうという点に求められるわけだ。
 このようなレトリックと対応して「自分」の「変化」を言い表すレトリックが「成長」というそれだ。1996年11月8日号からいくつか例をあげてみる。


「いま、ここにいる素のままの自分を受け入れることができなければ、心が安らぐこともなければ、自分自身が成長していくこともできない。あるがままの自分を素直に認める気持ちを持つことが自分を好きになる第一歩。」:6
「変わるということは成長するということなんです。今までの自分がやってきたことをベースに、もっと自由で自立的な生き方を目指す。そのためには、まず自分自身の無駄な思い込みを捨て、自分を解放してあげること。」:9


70年代言説の場合、イメージを変更したり、そのイメージにどれだけ接近しているかという違いはあるが、「私」が成長するというイメージはなかった。「変化」が成長であるということは、言説の照準する水準がタイプやイメージから、そのイメージをまとう「私」の側に移行してきたことを示唆していよう。
 他方、80年代の言説と比較してみると、どちらにおいても同じように<発見する>というレトリックが用いられており、両者とも自己探究の視線を(外面ではなく)自分の内部へと誘い込んでいくという点では共通の構造を持っている。しかし80年代の「個性」が、極端に言えば、何でもよいもの、取り替え可能なもの、変更可能なものであるのに対して、90年代の「ありのまま」というレトリックは特権的な「素顔」を前提にしている。これは一種の「本来性」であり、これを<発見する>ことによって人はあるやすらぎや安心を得ることができる、とされる。例えば97年の記事においては<個性>というレトリックが多用されているのだが、それは80年代とは異なって<ありのままの自分>を探究することによってこそ発見されるなにかへと変容している。

(個性を発見するためにはどうすべきか、という問に対して)「小田嶋さんは新人モデルに『いままでのメークをやめ、いったんゼロにして素顔を見つめなさい』とアドバイスする。」:12

 80年代からのそのような切断は、自分自身へ向けられた視線を<真理/虚偽>の問題系へと水路づける。というのも「ありのままの自分」が80年代的な「個性」と異なって、いくつもある自分の可能性に本来的なものとそうでないものという階層関係を持ち込むものだからだ。視線は、この本来的なものを発見するように誘導され、その結果、「ありのままの自分」は、けっきょく本人にもよく分からないもの、それでいながら本人にしか分からないもの、という奇妙な謎として構成される。フーコーはあるところで、主体(sujet)はそれ自身に対する謎として構成されると同時にその周辺にさまざまな知を繁茂されせるのだ、と書いているが、90年代のanan言説が構成する「ありのままの自分」もまた同じような形式を取っているのではないだろうか。80年代の<発見する>レトリックと90年代のそれとの最大の相違はこの点に求められよう。
 もっともフーコーが対象にしたような「主体」の場合には、その謎に相関して人文社会科学という知の形式が構成されるのに対して、ananの場合には、「ありのままの自分」の謎は「鬼谷算命学」や「12星座による占い」といった知をよびよせるという違いはあるのだが、ともあれこの謎はすべての人々が探究すべきものとして提示されることになる。次の例は1996年11月8日号から。


「どこまでも深く自分を見つめることを実践してみると、心の底から”裸になりたい!”という衝動に駆られて、自分を磨くこと−−の本当の意味がわかってくる。」:14
「自分を好きになるには、まず自分自身をしっかり理解することから始まります。いいところも悪いところもすべてそれは、あなたそのものだから。そこで、鬼谷算命学で主精によるあなたの特質、そして、あなた自身にもまだつかめていない好きになれない部分を好きに変える方法を占ってみました。」:18
「持って生まれた欠点というのは、12星座による占いで知ることができます。星座ごとに天から与えられた使命を知れば、嫌いな部分を好きになる方法もわかるはず。自らを深く見つめ直せば、97年はもっと魅力的な自分に生まれ変わるでしょう。」:98


 このように「ほんとうの自己」や「ありのままの自己」というのが、いまだ実現されていない理想状態、これからそこへ向けて様々な努力が傾注されるべき不在のなにものか、であるとすると、それの実現を現時点で妨げている障壁が存在するはずだ。それが「固定観念」という言葉に代表されるような種々の「思い込み」「殻」である(ここではそのような殻にとらわれた自分もまたそれはそれで「ありのままの自分」なのではないか、というような発想は存在しない)。
 もしほんとうの自分を見いだせない、ありのままの自分を受け入れられないのだとすれば、それは「私」が、何らかの固定的な枠の中に閉じこめられており、その枠が自分でも気づかぬうちに自分を拘束しているからだ、と語られる。これが<思い込み>のレトリックだ。例えば次の使用例のように。


「それだけに、ともすると”自分はこうあるべきだ”という枠に、とらわれがちではないでしょうか?」(1995年2月3日号:53)
「いくら気に入っているヘアやメークでも、いつも同じじゃつまらない。自分の殻を破って新しい自分をつくる勇気も、ときには大切なはずだ。」(1996年11月8日号:7)
「日常の中で知らずにできた『殻』を破るためには、異なる世界とのつながりを糧にする姿勢を。」(1997年9月19日号:15)


80年代にも<思い込み>のレトリックは存在していた。だが、それは今ある自分に対して等価な別の可能性を示唆するためのレトリックであり、今ある自分と別の可能性との間に「飾ったもの・非本来的なもの」と「ありのままのもの・本来的なもの」といった階層的な差異化はなされていなかった。これに対して90年代の<思い込み>はそのような階層的な上下関係を前提にした上で、それを見えなくさせているものとして語られることになる。
 一方で「ほんとうにやりたいことを追求せよ」という命令を出しながら、他方ではこうしてその「やりたい」気持ち自体をひとつの固定観念(かもしれないもの)としてあっさり相対化してしまう。ここには90年代の言説が内在的にはらむある矛盾がわかりやすい形で現れている。そもそも外部にあらかじめ与えられているような様々な生き方の基準は、はじめにその信憑性を解体されてしまっているのだから、その後に残ったはずの「好き嫌い」という内在的基準を掘り崩されてしまうと、どのような確かな準拠点も残らないということになる。どのような基準にせよそれは「殻」と見なし得るのであるから、たえず改訂の可能性にさらされているのである。ここでギデンズの議論を思い出しておくのも無駄ではないかもしれない。彼の考えでは近代というのはどのような知も無限の改訂に開かれてしまっているような社会、いかなる生き方も翌日には棄却され、改訂されてしまっているかもしれないようなそういう社会であった(Giddens,A.[1990=1993][1991])。このことはいかなる「ほんとうの自分」もたえざる改訂に開かれているという事態に正確に対応するものだ。
 しかも「思い込み」というのは定義上自分では気づかない(少なくとも気づくのが相対的に困難である)ものなので、自分が何者であるのかを説明する際に、どのようなものであれ何かを前提にしているかぎりはそれらはすべて「殻」になってしまう可能性を持つ。今あるような自分は、それがどのような自分であっても(たとえ自分としてはそれを気に入っていたとしても)常に可能的には破られるべき殻、変化を阻むなにものかである。


「意識的に固定観念を排除しなければ、自分が思い込んでいる好き嫌いに、自分自身がだまされることになって、世界も狭くなっていく。」(1995年2月3日号:84)
「自分の思い込みだけでは、プロの世界では通用しません。」(1995年2月3日号:24)


ここには実現すべき「私」を指示するどのような外的な準拠点ももはや存在しない。どこに向かって変わればよいのか、その方向性が示されないままただ変わること、変わり続けることだけが肯定される。ただひたすらに今ある自分を破棄し続けることによって、あるいはその限りにおいてのみ、かろうじて「私」は自分自身の意味と価値とを保持し続けることができるのである。以下、1995年2月3日号から引用してみよう。


「人って年をとるごとに変化に対して臆病になっていきますけど、私はいつまでも変わっていきたいから。」:8
「変わることを恐れていないわよね。そこがカッコいい。」:21
「変わることを恐れない人はさ、自分でカッコいいものが何かやっぱりわかっているし、たとえ周りが手を加えて変わるのだとしても、意思とか主導権は、自分にある気はしますね。」:21


意思や主導権といったことばはここでは一体何を意味しているのか? 少なくともそれは今ある自分自身をありうべき将来の状態と比較考量し判断を下すような−−その意味で、時間軸を越えて「私」を包括的に把握し得るような−−超越的な視点(これは近代的な「主体」の構成要件の一つである)に帰属するものではあり得ない。むしろそれは今ある自分を絶えず破棄し続ける純粋な否定の営みが反復されるための端的に内在的な場所としてのみ理解可能なものではあるまいか。そして、この場所は否定によってのみ特徴づけられ、ポジティヴな規定を一切持たない全き空虚であるのだから、「ありのままの自己」ということばを、そういう空虚に与えられた名前なのだと考えてみることもできるかもしれない。

<受け入れる>
 このような「ありのままの私」(の探究)と対応する典型的なレトリックが<(自分を)受け入れる>というものだ。以下、使用例をあげる。

(1995年の記事)
「ところが今は、そういう大間抜けな自分も認められるようになって。落ち込みながらも、うまくできなくても大丈夫って自分を励ましてきたら、地である”ズッコケ”の部分を隠さずに出せるようになったんです。」:9

(1996年の記事)
「自分を認めて、もっと好きになる。そうすれば、あなたはもっと輝ける。」:7
「でも、ありのままのあなたを受け入れ、もっと本当のあなたと親しめば幸せになれます。」:19
「静かに、あなたのありのままのよさを受け入れる意識を持つことにトライしましょう。」:19
「いまはダメなところも含めて、まるごとの自分を愛してあげたいと、吉村さん。」:26

(1997年の記事)
「情報に踊らされて、自分に嘘をついて生きていくより、弱い自分を受け入れていく、というか・・・」:25
(自分の中の「マイナスな感情」について)「それらも自分の知らない自分に気づくためには必要不可欠な、受け入れるべきものなのだ。」:27

「思い込み」「殻を破る」というのが「あおり」の言説だとするとこちらは「鎮め」の言説と見ることができるかもしれない。前者は「それはほんとうの自分ではない」と語り、後者は「それもまた自分だ」と語る、というように。けれどもあおりの言説が「ほんとうの私」を徹底的に抽象化してしまうのに対応してこちらの言説もまた自分というものを実に抽象化された形で提示しており、その結果手に入るであろう「メリット」の方も極端に抽象的でほとんど実質的な意味を持ちえないほどにステロタイプな表現(輝く、幸せになる、安らぐ)へと圧縮されている。
 この<受け入れる>というレトリックと機能的に類似したレトリックに<自信がない/自信を持つ>というものがある。例えば次のようなものだ。

(1995年の記事)
「自信のない自分に気づき、肩の荷が下りた気が。」:81
「壁の中で自信をなくしている自分を見て、自信がないならそれなりに精いっぱいやればいいとわかったんです。大発見でしたね。」:81

(1997年の記事)
「やりたいことがない人って本当はいないんですよ。それは、自分の可能性にフタをしているだけ。自信がないというのも、自信ていうのはある程度の経験を積んだ上でできるものだから、途中でやめてしまったら、自信も何もない。」:7
「外見がきれいになることで、自信みたいなものが生まれてくる。」:7

ここでいう「自信のなさ」が、具体的な何かについてのそれではないという点に注意すべきだろう。そもそも「自分に自信がない」という表現は、自分自身を何か欠けた状態と位置づけ、マイナスに評価することを意味していると考えられる。70年代の言説においては、それに照らして自分をマイナスと評価すべき基準が自己の外部に比較的わかりやすいイメージとして与えられていた。このイメージに照らし合わせて人は自分に何が足りないのかを知り、そのマイナスの程度を測ることもできたのである。また80年代の言説では、別の可能性(別の個性)が存在しているのにそれに気づかず今ある自分に固執し続けることがマイナスとされた。今ある自分はつねにそれと等価な他の可能性と比較して評価されていたわけだ。しかし90年代の言説においては、自分がマイナス状態にあるという感覚(を主題化する言説)だけは豊富にあるのに、それが何についてであるのか、またどの程度マイナスなのかを知るための基準が与えられていない。つまりここで「自信のなさ」と表現されている状態は、徹底的に抽象化された、空虚なものになってしまっているのである(この空虚を想像的に充填するのがもうひとつの空虚である<ありのままの自分>だ)。そしてこのことは<受け入れる>というレトリックが前提にする「私」が、実は空虚なものであることに対応していると考えられる。
 だが「私」がこのように空虚なままでは、<受け入れる>、<自信を持つ>といっても具体的に何をすればよいのかわからないだろう。そこでこのような抽象的なレトリックを具体化し、実行可能なものにする語りとしてしばしば「自分をほめる、自分にごほうび」といった言説が補完的に使用されることになる。実例を1996年11月8日号から引用してみよう。


「でも仕事より、身近な毎日の生活の中にこそ、自分を好きになったり、誉めてあげたいと思うことが多いと思う。」:26
「自分の最後の味方は自分だから、何かできたら自分を褒めてやって。」:7
「たとえば、火をおこしてみるといったぐらいの単純なことで、いいんです。それができたら、素直に自分を褒めてあげて、ときにはご褒美を上げる。それが自分の活力になっていくんです。」:9
「自分でちゃんとできたな! って感じたなら、恥ずかしがったりせずに、他の誰よりも真っ先に、思いっきり自画自賛してあげましょう。」:57


注意してほしいのは、自分を褒めたり自分にご褒美をあげたりするための理由が極端に具体的な、ほとんど些末といってよいような水準にまで降りてきているということだ。日常生活の中にあるどんなことでもほめる理由になり(「何かできたら自分を褒めてやって」)、ごほうびをあげる理由となる。つまりほめるに価することとそうでないこととの間に評価的な差異が設けられず、ほとんど無際限に増殖していくのである。極端な抽象性はここで逆説的にも極端な具象性へと反転してしまっているわけだ(7)。

4、言説の亀裂/自然の侵入

 以上、ananの自己語りを構成する特徴的なレトリックを検討してきたわけだが、これらは自己構成にとってどのような意味を持っているのであろうか。
 はじめに触れたように、ananという雑誌は、消費行為を通じて自己が形成されるようになった社会のあり方を最もよく象徴するメディアだ。したがってそこで展開される言説を理解するためには、資本の特性を考慮しておかなければならない。資本の特性、それはありとあらゆるものを次々と商品化し、それによってすべてのものを徹底的に相対化し、等価なものにしていく運動であるということだ。資本制というシステムはこのような運動が存続するかぎりにおいて、そしてそのかぎりにおいてのみ、維持されるものだというべきであろう。つまり資本とは本質的に無限運動なのである。
 80年代の<個性>およびその周辺に組織されたいくつかのレトリックは、全体としてこのような資本制システムの運動を反映しており、またその一環として機能してもいたといえる。すなわち未だ発見・到達されていない<個性>を暫定的な目標として定める言説と、到達された(と信じられている)個性をより相対化する言説とがワンセットになってそのような言説システムは組み立てられていたのであり、目標探究→相対化→目標探究→・・・という果てしない繰り返しをその基本構造としていた。<個性>への到達は一定の消費行為によって成し遂げられるものであり、したがってこの果てしなさは資本の運動の無限性に対応するものといってよいであろう。
 このような80年代的レトリックを別の面から言えばそれは自然性の否定であるともいえよう。「自然」というのは所与であり、人為の所産ではないもの、他ではありえないもの、したがって変えたり相対化したりすることのできないなにかであるのだから。資本のもつ相対化の作用は、これを認識の観点から見れば、一見すると自然のように見えるものを徹底的に歴史的・社会的所産であるような偶有的な、したがって別様でありえるものとして捉え直すということであり、実践の観点から見れば、これまで商品にはなり得ないと思われていたものをことごとく商品として扱うようになる、ということだ。
 このように理解するならば、自然が資本の運動にとって両義的な性質を持つことが見て取れる。すなわち一方において、これまで自然だと思われてきたものを相対化・商品化することができた場合、市場の拡大が起こり、最初にそれを商品化した企業(イノベーター)には大きな利潤がもたらされる。このような契機は資本の運動が継続していくためには必須のものであり、したがって「自然」(だと信じられているもの)もまた資本の運動にとって必須のものであるということになる。他方、もしほんとうに自然なものが存在し、それが相対化不能なものだとすると、資本の運動はそこで進行をストップさせられてしまうだろう。つまり果てしないものでなくてはならないはずの資本の運動が制約を課せられたものとなってしまうわけだ。資本がその運動の果てしなさによってこそ定義されるものだとするならば、このような原理的な制約の存在は資本の存在そのものを挫折させるものといわざるを得ない(8)。あるいは逆に、資本はこのような挫折の可能性をそのつど克服(相対化・商品化)することによって市場を拡大し、地球上の全域に浸透していったのだ、とも言える。
 このような観点から眺めるならば本稿で検討した言説はこの運動に生じつつある亀裂、あるいは不協和音のようなものを示唆しているように思われる。というのもそれらの基本となる「ありのままの私」というコンセプトはまさにここでいう自然性に対応しているからだ。「人為=飾り」を取り払った「ありのままの私」というとき、「飾り」というメタファーは加工=変容の可能性全般を表象していると考えられ、したがってそれは相対化・商品化しえるものの総体と理解することができるであろう。そのような相対化可能性を否定した上で見出される<ありのままの私>というのはしたがって資本を挫折させるような「自然」と等価なものとなるほかあるまい。こうして資本の運動の一環として組織され提示されている言説が、まさにその運動を挫折させるものの存在を核にしているということ、これがここでいう「不協和音」の内容である。
 もちろん80年代の<個性>の場合と同じように、<ありのままの私>にもその自然性を即座に相対化するようなレトリック(<思い込み>)が組み合わされている。商品を売るという営みに織り合わされた言説である以上、それは当然のことだ。だが、<ありのままの私>と<思い込み>という二つのレトリックの間には、<個性>と<思い込み>の間には存在しなかったある緊張がはらまれている。それは次のような事情によるものだ。
 80年代言説において、<思い込み>というレトリックは今手にしている<個性>を相対化しより新しい<個性>を目標に再セットするような語りを可能にしていた。このとき目標とされる<個性>と相対化される<個性>との間には、どちらが本物であるとか、どちらがより自然であるとかいうような上限関係・階層関係がなく、したがって目標とされていた<個性>も、到達されるやいなや相対化されてしまうということは当然のことと了解されていた。それゆえ個性が次々と相対化されてしまうことに対しては、なんの矛盾も感じられないし、そもそもそのような相対化が働き続けることが<個性>の語りを支えていたのである。
 だが本稿で取り上げた言説の場合、目標とされる私(<ありのままの私>)と相対化される私(<飾った私>)との間には明確な上限関係がある。定義上自然な私というのは相対化しえない私であるわけだから、それが相対化されてしまったときに探究者に残す失望は個性の場合とは異なっている。それもその相対化が単に偶発的な事情に由来するものであるのなら(「この私は最初は自然なものだと思われたが、それは偶発的な誤認によるもので、実はもっと自然な私が他にもあった」)、緊張関係はある程度緩和されるかもしれないが、そのような相対化がある構造的な必然として言説ネットワークの内部に編み込まれているのだとすれば、いずれその緊張関係や失望が表面化することは免れ得ないだろう。その際にもし相対化が停止、あるいは停滞するとするなら、そこに現れているものこそ相対化を挫折させるなにか、すなわち自然なのである(9)。
 70年代、80年代を通して、自己を語る営みは消費行為と緊密に織り合わされてきた。自己物語は同時に消費物語でもあったわけだ(10)。だが本稿で見てきたような言説の登場(それは決してanan一誌にとどまるものではない)は、そのような<自己=消費>物語の核心部に自らを解体しかねない亀裂が走り始めていることを告げてはいないだろうか。実際、冒頭の投書をもう一度読んでみてほしい。これは、消費(100万円のエステ)に結びついた自己構成から消費ではないような自己構成(「いままでやめていたいろいろなこと」)へ移行する物語として読むことができるのである。この亀裂の向こう側にあるもの−−ここで「自然」とよんできた何か−−を、資本の言説は<ありのままの私>というレトリックのうちに捉え、馴致しようとしているわけだが、この試みは果たしていつまで続けられるのだろうか(11)。

【注】

(1)ごくありきたりな表現として何気なく読み過ごしてしまいそうなこの表現は、しかし、歴史的には新しいものである。この種のレトリックが−−ダイヤモンドのコマーシャル(「自分に贈りたいナ。こんなダイヤモンド。」)として−−マスメディアに登場したのは1982年のことであり、さらにそれが雑誌言説に頻繁に見られるようになったのは90年代に入ってからのことにすぎない。
(2)自分自身について「語る」というとき、それが意味しているのは客観的・自然科学的な記述というよりはむしろ物語的なそれだ。ブルーナーは、思考の様式をパラディグマティック(あるいは論理・科学的)なものと、物語的なものとの二つに区別しているが、自分を語るときの様式は後者に当たる(Bruner,J.[1986=1998])。自己を語るというのは、自己の体験や行為について納得のいくような物語を語るということなのである。
(3)ある社会において自然で自明とされる語りの型を分析する際に、その素材となるのが雑誌に限られないことはいうまでもない。例えば坂本佳鶴恵は、日本映画のジャンルの変遷を辿ることによって家族イメージの変化を分析しているが([1997])、別の側面から見れば、これは、家族を語る際に使われやすいテーマやモティーフ、レトリックの分析であると理解することもできる。
(4)ananは1970年創刊。月刊から隔週刊をへて現在は週刊。10代後半から20代の女性を対象として、ファッションやライフスタイルの提案を主たる内容としている。現在主流となったヴィジュアル主体で、商品カタログ的な誌面構成の先駆となった雑誌でもある。女性誌全体の中での位置づけについては諸橋泰樹[1993]を参照。上野千鶴子は、ananについて書いたある文章の中でそれを消費社会的な自己の誕生を示すものだと指摘している(上野[1987→1992])。
(5)だから男性のライフコースが多様化し、不透明になれば、男性誌もまた自分を語るための言説資源を提供しはじめるだろう。現在、まさにそのような状況が生じつつあるといえるかもしれない。
(6)雑誌の言説が、「読まれる」ものというよりは「使用される」ものであるということはカルチュラル・スタディーズの研究者がしばしば強調することだ。また読者の自己実践とレトリックとの関係について、明治時代の雑誌言説を対象としたものであるが、木村直恵[1998]を参照されたい。
(7)大澤真幸はオウム真理教を分析しながら、セルフアイデンティティを支える規範的審級が徹底した抽象化を被ることでかえって極端な具体性を帰結してしまうと指摘しているが(大澤真幸[1996])、それとよく似た事態がここでも生じているわけだ。
(8)見田宗介[1996]参照。見田は、今日の社会において資本が自己準拠的な運動となっていること、およびその運動を根本から制約する要素として環境問題が迫り出してきていることを指摘している。この制約が、ここでいう「自然」や、また後で見るような言説の不協和音に対応している。
(9)あるいはラカン派のタームでこれを「現実」とよんでもよかろう。
(10)大平健の紹介するモノ語りの人々はその極端な事例とみることができる(大平[1990])。
(11)内田隆三は1997年に起こった神戸小学生殺傷事件に触れて、現代日本社会における精神と身体の比率が崩れているのではないかと指摘している(内田[1998])。その論考の中で内田は、われわれが現在までのところ用意してきた言説の網の目をすり抜けてしまうような精神のあり方が現れてきていること、それがさしあたりは身体の迫り出しという形で表象されていること、を論じている。ここで「身体」と呼ばれているもの、すなわち現存の言説ネットワークをすり抜け、われわれの手を逃れていきながら、それでいてわれわれの生活や意識や感覚にただならぬ影響を残してしまうもの、それがここでいう自然に対応する。

【参考文献】