第9話:源氏物語を読んでみようか(2024.4)
2024年のNHKの大河ドラマは源氏物語の作者である紫式部が主人公です(「光る君へ」)。かなり現代的なセリフが入っているという印象はもちますが、それによって平安時代の貴族の生活に親しみやすくなっているとも思います。いずれにしても、こうしたドラマを見ることで、あらためて源氏物語を読んでみようかと思った人もいらっしゃるのではないでしょうか。
源氏物語の専門家である河添房江氏(東京学芸大学名誉教授)が編集した『アクティブ・ラーニング時代の古典教育』(2018年刊)には、源氏物語のような古典を、どのように学校(小学校~大学)の授業に取り入れるかを検討した論考が並んでいます。これらを読むと、子どもたちがどのような過程で古典を理解していくかということがわかります。
たとえば山際咲清香氏の「言葉に着目して『源氏物語』を面白く読む」(197頁~214頁)では、源氏物語(若菜上・下巻)の現代語訳すら「難しい」「呪文のよう」と言っていた生徒たち(204頁)の中から、「架空の人たちだと思わせず」「ドロドロしたところが多かったりと人間らしい物語なのかな思いました」(209頁)といった理解を示す生徒も出てきたということです。このような理解は、「ぬるし」(ぬるい)という言葉に注目して、物語を深く読むことで生み出されました。
こうした授業方法論は、古典教育に悩む国語の先生方に読んでいただきたいと思いますが、同時に源氏物語を読んでみようかと考えた方にも参考になると思います。
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第8話:教育の最も深刻な問題(2024.2)
現在、多くの教育についての議論がなされており、改革もされようとしています。そうした改革には期待をしますが、注目を集めていない問題がまだいろいろあるように思います。その中でも最も深刻な問題の一つは、貧困です。もちろん教育費の補助は様々に行われていますが、貧困がどのような形で教育に現れているのか、その実態についてはなかなか触れられていないように思います。その深刻さは、多くの人の想像以上ではないでしょうか。
阿部敦著『変革期における介護福祉士養成教育の現状―コロナ禍と留学生の存在を視野に入れて―』(2021年刊)では、川口啓子氏の研究で指摘された「貧困の諸相」を引用しています。
「電車で出かける」という経験ができない家計で育ったため、電車の乗り方(ホームの区別や切符の買い方)をしらない。JR、私鉄などの区別も難しい。(99頁)
これは介護福祉士の養成に関わっている研究者が指摘していることですが、貧困による圧迫はいろいろな形で現れていて、教育を阻害しているといいます。こうした実態があることを深刻に受け止めなければなりませんが、大事なことは、貧困がどのような形で子どもたちを襲っているのか、その場面を具体的に把握することだと思います。
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第7話:満洲国をどのように考えるか(2024.1)
2023年末に松井義弘著『満洲国の星 下村信貞をめぐる人々』を刊行しました。著者の松井さんは福岡県豊前市の郷土史家です。下村信貞という人はやはり現在の豊前市に生まれた人ですが、かつては満洲国外交部次長として外交の中心にいた人です。しかし戦後はシベリアに抑留され、シベリアで亡くなりました。そのため、すっかり忘れ去られた人でもあります。この本は下村信貞に関わった様々な人たちの追憶に基づいて、彼の人間像を浮かび上がらせました。たとえば彼は関東軍と対立した時には、次のような痛快なエピソードを残しています。
関東軍に出頭し、満州国日本官吏を監督する軍の第四課長と対決された時、下村さんの腹は決まっていたようであります。第四課長は椅子にふんぞり返って、靴のままの足を机の上に乗せて応対したそうであります。下村さんもそれに応じ、課長の机に尻をのっけて相対し譲られなかった。満州国官吏で軍の第四課に対し、こう云う抵抗は当時としては考えられないことであります。(209頁)
このようなエピソードが多く載せられた本であり、そこからは下村信貞の魅力ある人柄が立ち上がってきます。
しかしこの本は、下村に限らず、戦前の満洲国に関わった人物に対する評価が、一種の結果論や戦後の諸事情によって、しばしば左右されるということを思い出させる本だとも思います。下村はシベリアに抑留されそこで亡くならなかったら、忘れられることもなかったでしょう。満洲国が日本の傀儡国家であったことは間違いないことですが、その中でも様々な人が、様々な立場で活動をしており、その全体をどのように評価するかということは、難しい問題として私たちにつきつけられていると考えます。
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第6話:チコちゃんと書き順について(2023.11)
去る10月27日のNHK「チコちゃんに叱られる」という番組で、私たちが出版した『戦後日本の国語教育』(沖山光研究会編、2018年刊)をベースにした話題が取り上げられました。漢字の書き順(筆順)についてです。「なんで漢字に書き順があるの?」というのがチコちゃんの質問で、答えられなかった豊川悦司さんが叱られていました。
私たちは書き順が昔から決まっていると思いこんだり、あまり意味のない厄介なものだと考えたりすることが多いのではないでしょうか。いや、もしかしたらチコちゃんに叱られたように、ほとんど考えたことがない人が多いかもしれません。しかし漢字の、と言うより私たちがふだん使っている楷書の書き順には難しい問題が含まれていました。
江戸時代には、人々が文字を書く際に、行書、草書を用いていたため、筆の流れが解りやすく、筆順は運筆という概念で理解されていた。しかし、明治になると活字印刷が普及し、公用文において楷書が使用された。また、学校教育では、楷書を先に学習することになった。楷書は、点画から点画への連続性が分かりにくい書体である。ここに筆順に関する諸問題が発生した。(83~84頁)
こうしたことから、小学校で教えられている楷書体の書き順が決められていくのですが、公式な決定は、実に戦後になってからでした。その時には「私の流派の書き順を認めないなら、切腹する」と言った書道家も、実際に出たそうです(90頁)。この時に活躍したのが、本書で取り上げた沖山光でした。
書き順の問題は、いろいろな議論のある教育問題ですが、同時に日本文化が前近代から近代へと移行していく文化史の視点から見てもおもしろいテーマだと思います。
さて、チコちゃんの答えは何だったのでしょうか?
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第5話:教師の生き方とは(2023.10)
現在、様々な意味で学校の先生という職が「ブラック」だと言われています。それに対する早急な対応が求められており、いろいろな方策が提案されています。こうした対策を取っていくことは、たいへん大事なことであり、どんどん進めてほしいと思います。
ただ少し気になるのは、教師という職業の本質について根本的に考えた議論が少ないように思われることです。
大森直樹編『子どもたちとの七万三千日:教師の生き方と学校の風景』(2010年刊)は、10人の先生方の言葉をまとめたものです。10人の先生方が子どもたちと付き合った日数を合計すると七万三千日になるのですが(当時)、その中で先生方が考えてきたことがつづられています。そのどれをとっても具体的な現場に立ちながら、教育の本質を考えさせる文章になっています。
たとえばある先生は次のように言います。
「ヒマなキョーシ」を実践して暇な時間をつくっているから、その時間を使って生徒の家に行くことが出来る。(中略)僕の場合、大概は、ぶらっと行って、ぶらっと雰囲気を見るかな。その方がお互いに構えないで済むからね。電話で「行きます」って言うと断られることがあるけど、行っちゃったらしょうがないってこともある。(169頁)
こうした方法が絶対に良いとはおそらく言えないだろうし、職場の環境によっては無理な場合も多いでしょう。ですが学校の先生が実際に実践してきたことを見ることが、教育とは何かとか、教師の生き方とはどのようなものかといったことを考えるきっかけになることもあると思います。
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第4話:幸せになるために(2023.9)
20世紀末から2000年代に入るころから、心理学が大きな進歩を遂げていることをご存知でしょうか?「ポジティブ心理学」もそのころから始まり、今や心理学の重要な一分野になりました。このポジティブ心理学の視点から、体験活動をとらえているのが、小森伸一著『体験活動はなぜ必要か』(2022年刊)です。
この本の副題は「あなたの可能性を引き出し 人生を輝かせるために」です。ここにポジティブ心理学の考え方がよく現れています。「幸福やウェルビーイング(充実したあり方、良好な生き方)、豊かな生について研究する学問」というのがポジティブ心理学なのです(92頁)。どうしたら幸せになれるのか、ということがポジティブ心理学の中心的なテーマですが、単にポジティブになろう、という主張ではありません。客観的データを集め、分析して得られた知識や見解に基づいた学問です。カナダのブリティッシュ・コロンビア大学で博士号を取られた小森伸一さんは、このポジティブ心理学を使いながら、体験活動の必要性を分析しています。
天候とポジティビティの関係性を調べたある調査では、天候の良いときに20分以上をアウトドアで過ごした人に、ポジティビティの向上が確認されています。(204頁)
でもアウトドアに出られない人は?
病室から見える自然の風景と、病気の回復の関係を調べた研究もあります。樹木群が見える病室の患者の方が、レンガの壁しか見えない病室の患者より、手術後の回復率が良い傾向となることもわかっています。(206~207頁)
私たちの幸せになりたいという身近な願望が、様々な体験を通して実現することを、学問的に示した本です。
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第3話:木にニックネームをつけてみると(2023.8)
世の中にはいろいろな木があります。街の中でも通学、通勤、買い物、散歩などの間に、私たちは驚くほどたくさんの木に出会っています。木の伐採や枯死についての社会問題も報道されています。けれどもこれほど身近にあるにもかかわらず、きょう、どんな木を見たかを語れる人は少ないのでは?多くの人は木の存在に気がついていないのです。
『街の木ウォッチング:オモシロ樹木に会いにゆこう』(2016年刊)の著者である岩谷美苗さんは、「街では、木を生かすも殺すも人次第なのです」と言っています(2頁)。「たくさんの人が木に関心をもつことができたら、街の緑は変わってくるのかもしれません」とも言っています(同)。
でも木の勉強をしなさいと言われると、途端につまらなくなるかもしれません。そこで岩谷さんが提案するのは、木に「~木(ぼく)」というニックネームをつけることです。食い込み木、くっつき木、偽くっつき木、乗っ取り木、ご臨終木、うんこ木、地蔵木・・・。木の名前や種類を知らなくても、ニックネームをつけようとしたとたんに、木の存在が目にとび込んでくるようになります。それが木について考える出発点です。とにかく「オモシロ樹木」を見つけること。残り少ない夏休みの自由研究にも使えるかもしれません。『街の木ウォッチング』は、そのガイドであるとともに、樹木医である岩谷さんの解説も書かれています。
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第2話:「養成」から見た介護問題(2023.7)
東京学芸大学は、学校の先生の養成をしていますが、「養成」を考えることは、とても大事なことだと思います。優れた先生は、優れた養成教育から生まれてくるからです。これは前回の夏目漱石の考えにも通じます。
介護問題でも同じです。介護を担うプロは介護福祉士と呼ばれる人たちですが、大学や専門学校などの様々な養成施設で教育を受けた後、介護の専門家として旅立っていきます。 その介護福祉士の養成現場を考察したのが、阿部 敦 著『変革期における介護福祉士養成教育の現状』(2021年弊社刊、1,980円)です。
この本の中で、阿部氏は介護福祉士の養成のための教科書に注目しています。
たとえば、『最新 介護の基本Ⅰ』(2019)の72頁と、『最新 介護の基本Ⅱ』(2019)の4頁には、「私」の部分にルビが認められる。ちなみに、「私」という漢字は、2020年度学習指導要領準拠では、小学校6年生で学ぶ漢字である。(本書22頁)
介護福祉士養成のための教科書では、ルビがふられている漢字が増えているといいます。この教科書で学ぶ人たちが、小学校レベルの漢字も読めない可能性を想定しているためですが、そこにはいろいろな理由があるようです。介護にどの程度、漢字の読み書きが必要なのかは別に議論をする必要がありますが、いずれにしても日本の社会の大きな変動を示す一つの顕れだと思います。
介護それ自体はもちろん重要な問題ですが、同時にそこには現在の日本社会のもつ諸課題が現れていることを、本書はよく示しています。著者は最近新たな1冊を出しています(阿部 敦著『今、日本の介護を考える』2023年弊社刊、2,420円)。併せて読むと、介護のもつ根深い問題と、現代日本社会の混迷がよくわかります。こうした難問を乗り越えるためには、より具体的に考えることが必要だと思いますが、本書のように介護福祉士の「養成」について考えるというのも、その一つの方法だと思います。
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第1話:教育を論じた夏目漱石(2023.6)
学芸大学出版会では、夏目漱石が書いた教育に関する文章を集めて発行しています。大井田義彰編『教師失格 夏目漱石教育論集』(2017年、1,650円)です。漱石は自分のことを「教師失格」などと言ってますが、どうしてどうして、なかなか鋭く、また時には微笑ましいことを書いています。現代の教師の方々が共感できるであろう部分も少なくないように思います。漱石による教師の改良案を、同書から一つ引用。
それ人間を造るは飴細工にて人形を造るよりも六(む)ずかし、六(む)ずかしきが故に費用もこれに準じて嵩む(かさむ)なり[中略]軍艦も作れ鉄道も作れ何も作れ彼も作れと説きながら、未来国家の支柱たるべき人間の製造に至っては豪も心をとどめず、徒に(いたずらに)因循姑息の策に安んじて一銭の費用だも給せざらんとすこれらの輩(やから)真に吝嗇(りんしょく)の極(きわみ)なり。(74頁、ところどころで句読点および読みがなを補った)
これは教育費を縮小しようとする政府や、地方自治体に対する批判です。1892年(明治25年)に書かれました。要するに教育に対するお金をケチるな、ということです。夏目漱石の曖昧さのない文章で書かれた教育論は、教育に何が大切かということを、気持ちよく浮かび上がらせているように感じます。
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