オリンピックとテロ行為


[1]
アテネ五輪では、マラソンの走者に抱きついた男をはじめとして、競技会場に珍妙な扮装で乱入して競技に水を差す人間が複数いた。
これはテロではないのか?
彼らが手榴弾やダイナマイトを持って現場で爆発させていたら、それは立派な(?)自爆テロである。
万全の警備態勢によって爆発物の持ち込みは阻止した? はい、それはご苦労様。
でも、ナイフ一丁、釘一本あれば、選手一人を殺傷することはできる。金属探知器も無力だ。木製品やプラスチックでも人は殺せる。インターネットに頼るまでもなく、本も出ている。日本語訳もだ。書名は書かない。
あれはやはりテロだったのではないか? 少なくとも今回の警備態勢は、テロを押さえ込むには不十分だったのではないか? 「これだけ厳重に警備してます」という広報活動によって、「本命」のテロ組織が作戦遂行をあきらめただけではないのか?
今回IOCは、世界各国に停戦を呼びかけたというが烏滸の沙汰である。今次(第三次)世界大戦は、独立国家とテロ組織の戦いである。戦いの一方の当事者には、IOCが呼びかけたという停戦文書に調印する手段がない。調印したとして守る保証もない。現に、かつて「休戦」の間に物資を輸送する「解放勢力」がいた。そんな中で、実質的な調停力のないIOCの提案を真に受けて停戦に応じることなど、論理的に考えてあり得ない選択だ。
第二次世界大戦中、オリンピックは二度中止された。今次大戦が終結するまで、本来なら五輪は中止するべきなのだろう。「非対称型世界大戦」がいつ終結したのかを判断するのはとても難しいことではあろうけれど。
08/30

[2] >これはテロではないのか?
みずからの信条を世に知らしめ、要求を通すために暴力に訴えたのだから、やっぱりテロの一種だろう。
大口を抑止したのだから小口のテロで文句言うな、と言われるかもしれないが、やはり今回の警備はザルだったと言うべきだろう。
08/31

[3]
>今次大戦が終結するまで、本来なら五輪は中止するべきなのだろう。
その一方で、テロとの戦いの鉄則は「テロに屈しないこと」だからややこしい。
五輪を中止するとはテロに屈することの現れだ。非戦闘員にできる最大のテロとの戦いの一つは、テロに萎縮せず普通に暮らすことだ。五輪を中止するなどとんでもない。
「普通に暮らす」ためにものすごいコストがかかる時代になった。「ゼロを保つ」ことの意義は強調しすぎることはない。
09/02
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