2003年11月16日。小金井市の浴恩館公園に櫓が組み上がり、「一日冒険遊び場」が現れました。参加した親子は600人。小金井市公民館講座では全10回の活動を通して、ここで一日だけのプレーパークを実践したのです。講座を企画したのは育児中の親たち。現在の
「こがねい子ども遊パーク」代表の邦永さんと仲間のみなさんでした。
きっかけは、前年の公民館講座女性学級。邦永さんも当時1歳児だった三男を預けて参加しました。講座で紹介されたさまざまな事例のなかで、プレーパークは強く印象に残りました。次の年の市民企画に参画しないかと打診を受けたとき、邦永さんと仲間のみなさんは「子どもの時間を取り戻そう」というテーマを掲げます。初回講師には天野秀昭さん(現大正大学人間学部特命教授)をお招きしました。天野さんは1980年代に日本で初めてプレーリーダーを職として担っています。
※プレーリーダー:プレーパークで子どもの代弁者として、寄り添う大人。管理者や評価者ではない人。
浴恩館公園の翌夏。2004年7月17日、都立武蔵野公園くじら山で月1回の活動が始まりました。穴を掘ってもいい、火を焚いてもいい、荷物は倉庫にいれていい。東京都の理解と支援がありました。2008年にはくじら山で月5回、東京学芸大学で月4回の活動を続けました。
「常設」。一日だけじゃなく、毎日プレーパークを開くこと。
活動当初からのこの願いは2009年7月「特定非営利活動法人こがねい子ども遊パーク」設立後も引き継がれます。あの日から11年。2014年4月、ついに東京学芸大学で週3回の開催が実現しました。近年ではドイツミュンヘン市に起源をもつこどものまち「ミニこがねい」も活動のひとつに加わりました。どの活動でも、場づくりを行政や学校だけに委ねず、自分たちの手で実現する姿勢を崩しません。
プレパの倉庫には一斗缶、ドラム缶、シャベル、ロープなどの道具がいっぱいです。なかでも重宝するのが「服」。池にはまって着替えのない子のために世話人の子どものいらなくなった服をストックしています。はまったキミは幸運だ。どれでも好きなのを着て帰れるぞ!?
「活動拠点は都立武蔵野公園、東京学芸大学構内、梶野公園です。」
そもそもプレーパークはヨーロッパで誕生しました。
その歴史は、1940年代のコペンハーゲンにさかのぼります。デンマークの建築家の始めた「冒険遊び場」がイギリスの造園家を通じてヨーロッパ各地に広がりました。1970年代には建築家と翻訳家の大村夫妻によって日本に伝えられます。
1979年は国際児童年。大村夫妻の思いを、世田谷区公園課と、行政組織を横断した職員のみなさんが支え、羽根木公園プレーパークが誕生しました。この年にはドイツでもこどものまち「ミニミュンヘン」も誕生しています。また小金井市では「わんぱく夏まつり」がはじまり、1980年代開始の「はらっぱ祭り」とともに小金井発祥の文化活動として全国に知られていきます。
こうした活動は、デンマークやドイツからどなたか詳しい方が運んでくるのでしょうか。
「いえいえ、私はデンマークにもドイツにも住んだことないんです」
邦永さんは小金井で育児をしながら、公民館に足を運びました。社会教育の一講座で学んだ仲間と、活動のきっかけを掴みました。学びと実践は、半世紀を超え、ヨーロッパと小金井をダイレクトにつなぎます。
「ヨーロッパでは学校教育以外のさまざまな場で大人が子どもに関わることを労働として認め、社会が支えています。日本では、遊びは大人にとっても子どもにとっても、なくてもいいとされがちでした。遊びは文化であり、個人と社会を豊かにします」
代表者近影。
邦永洋子。ベスくになが。
小金井在住歴17年。東京学芸大学卒業後、学校教育現場を経て子ども支援活動へ。
「幼かった長男にピアノを練習させたら、うまくなりました。けれど小学校にあがったとたんぴたりとやめてしまった。自分は親として真面目すぎて、このままではいけないと思いました。ともすれば自分の子どもだけに執心してしまうのを避けたくて活動を始めました。青空のもと、開かれた場でいろんな子どもといると、おおらかになれるんです」
2002年仮称小金井にプレイパークを作る会として活動開始。
2009年特定非営利活動法人こがねい子ども遊パーク設立。
2012年常設のプレーパークを市内につくっていただくことを求める陳情採択。
小金井市貫井北町4-1-1 東京学芸大学グランド門いけとおがわのプレーパーク(火水木)
小金井市梶野町5-10 梶野公園ちびっこプレーパークバンビ(水)
小金井市前原町2 都立武蔵野公園くじらやまプレーパーク(金)
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