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2001年、東京都新宿区。土曜日がくるたび区立幼稚園の園庭に、ひとりのおやじの姿がありました。のちの三小おやじの会世話人・ 小林浩さんです。ご自身のお子さんの通う園でおやじの会を「勝手に」立ち上げ、「おやじ通信」の発行を続けました。

2002年9月、小林さんは四国への転勤が決まり、軌道にのってきたおやじの会も手放すことになりました。写真は、転勤前の最後の「おやじ通信」。新宿には12年たったいまも、「おやじ通信」を大切にとってあるという母たちがいます。

おやじの会、次に住む街でもできるだろうか……。不安を胸に移り住んだ街で、小林さんはすごいおやじたちに出会います。

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2003年、見知らぬ土地で孤立していた小林さんは、「第1回全国おやじサミットinかがわ」に参加しました。県内はもちろん、全国から大勢のおやじが集まってきました。隣の小学校で活動していたおやじの会に参加し、活動の礎を築きます。

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2007年、東京都小金井市。ふたたび東京勤務となった小林さんは小学校で副校長先生に直談判していました。

「 学校でお泊まり会やらせて下さい!」
「なに考えてるんだあんた! そんなのムリだよ!」

小林さんは転勤のたびにおやじの会に関わり、園や学校とともに活動してきたことを話しました。食中毒対策と火の元管理、近隣への説明を、みな自分がやるという小林さんに、副校長先生も重い腰をあげました。

「すべての課題をクリアできるというなら、いいでしょう」

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「おやじの会に入りませんか」

2008年、小金井第三小学校PTA会長となった小林さんに声をかけられ、相馬さんは、それならと入ることにしました。おやじさんはいったい何人いるんですかと尋ねると「企画をしているのは僕ひとり。相馬さんがふたりめです」。相馬さんは、目を丸くしました。でも放っておけないと、その年のお泊まり会を手伝いました。それからお祭りや水鉄砲合戦など、イベントごとに顔を出すようになりました。

「ガスで飯炊きなんて僕にはできません。でも相馬さんは、ぱっとやってくれた」

小林さんが幼稚園でおやじの会を立ち上げてから7年間。当日を手伝ってくれる父母はいましたが、ともに企画や準備をしてくれたのは相馬さんが初めてでした。「ひとりで抱え込まないで下さいよ」。相馬さんのことばは、小林さんと新たな仲間をつなぎます。

小林さんの着想とプロデュース力、相馬さんの気遣いと技術力。活動を重ね声をかけると、三小おやじの会に、次々と「おやじ」「おかみ」が名乗りをあげました。翌2009年には2回目のお泊まり会で、企画に関わる数人の主要メンバーがそろいました。

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アウトドアのプロ、飯ごう炊飯のプロ、読み聞かせのプロ、災害救援のプロ、建築デザインのプロ、学童保育父母会の会長、学校の先生、大学生、大学の先生もやってきました。

2014年はこんなメンバーが参加しています。

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小林さんは、栃木県の幼稚園でおやじの会の存在を知り、新宿区、高松市、小金井市に暮らしながらおやじの会の活動に関わってきました。

地域横断の動きもあります。
近年の活動は小学校に留まらず、児童館、中学校、大学、公園、商店街へと横展開しています。2014年には三小学区の緑中学校で、中学生の居場所「ほっと@放課後カフェ」を立ち上げ、小中一貫支援もはじめました。大妻女子大学と協力してロボット教室を開催し、教員を志す女子大生のボランティア体験活動を受け入れています。

日本全国津々浦々に4000を数えるおやじの会が生まれています。2011年から姫路、札幌と続き、2013年は宮城に3名で遠征。今年は北九州へと、まさに全国を横断しています。いつかこの「全国おやじサミット」を東京に招致して、おやじの会の楽しさを東京のおやじに味わってもらうのが、小金井三小おやじの会の目標です。

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ところで、学校と地域の関わりを研究・実践する習志野市の秋津コミュニティ顧問の岸裕司さんは、こう書いています。
「おやじとは、子を持つお父さんだけのことではなく、(中略)新しい概念の人々をあらわす言葉なのではないか」。「おやじの会とは、よりよい生き方を追求し、暮らす地域コミュニティをよりよく変えていこうとする人々」。
※2013/9/9 isMedia 「お父さんたちの地域の居場所 「おやじの会」を続けるコツ お母さん、独身者、女子大生… 「おやじ」の新しい概念」より
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3131?page=3

小金井三小おやじの会の特長に、新しい概念での組織運営があります。

「代表や役職を作らない」
「動員しない」
「人の動きを事前に決めすぎない」
「できなくても責任を問わない」(できたことで楽しむ)

ともすれば、義務感とヒエラルキーにしばられがちな組織。つねにフラットにしておくために、あえて「作らない」「決めない」組織運営をしています。

「自分で判断していいんだなとわかると、おやじは自分で動きます。指示待ちじゃ変化に対応できない。企業の組織もいまはそういう動きにシフトしつつありますね」。

大まかな方法を決めておけば、細かく決めなくても大丈夫。自分で判断したことは、モチベーションも、 活動の質も量もぐんとあがります。夏休みの「学校で思いっきりあそぼう会」では2日間に14種類もの活動プログラムを130人の参加者とこなしました。

戦後の伝統的な運営方法を踏襲するPTA、自治会、町内会、こども会などの組織にはみられなかった、ゆるやかでフラットな、自由で躍動する、ネットワーク型組織がここにあります。

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「いまから焼きマシュマロをやります。食べたい人は外へ来て下さい」
「業務連絡。ダンボールをまとめます。手のすいているおやじさんは体育館前に来て下さい」
「おまえら、闘えよ! つまんねえよ!」

拡声器を右手に握って呼びかければ、声がトリガーとなってみんな動き出します。みんなの動きをみて呼びかけも変わります。組織運営は新しくても、拡声器はレトロなのがおしゃれです。サイレンつき。

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地域サポーター近影。
小林浩。あるときは愚痴きき侍。往々にして変な人。初代世話人。
小金井在住歴7年。以下おやじさん語録。

「 スゴい人はいても、エラい人はいない」

「 参加する人が自分で判断するにはゆるやかでフラットな関係がだいじです。 それには会長でも委員長でも代表でもなく、世話人なんです」

「 こどもの成長する瞬間は、ある日ある時にバッと来ます。父親として、その瞬間をこの目で見たい。だから自分で子どもと関わる活動を続けています」

「まずは自分の子どもからですよ。けれど子どもが大学生、高校生になってもこうしてここにいたくなる。僕の子どもは親に話せないことも別のおやじさんには話しているようです」

「結果は後付け。狙ってやってません」

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2001年から新宿区、高松市で「おやじの会」の活動。
2008年小金井市内で「小金井三小おやじの会」を始める。
2013年 全国おやじサミット参加。
   「ほっと@放課後カフェ」を緑中学校支援本部から委託。

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小金井三小おやじの会
https://www.facebook.com/koganeisanshooyaji/
小金井市梶野町5-7-1 小金井市立第三小学校
(月1週末、夏休み)
小金井市緑町2-11-47 小金井市立緑中学校(木)
sansho_oyaji@mac.com

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