ゼロに戻す、ゼロを保つ(2)


「ゼロに戻す、ゼロを保つ」は危機管理の本質を指し示す言葉として私が愛用している言葉ですが、この言葉と対になって思い出される出来事があります。

ファイル名の下二桁をご確認いただければわかるように、この文章は「爆弾をつくりたかった僕から、つくってしまった君へ」「「護身用」のナイフをめぐる雑感(2)」の間に下書きされています。「爆弾」でおずおずと私事に言及した私が、ちょっといい気になって書き始めてしまったのがこの文章です。もっともそれを公にするまでには、「「護身用」のナイフ」という「爆弾」と並ぶある種の原体験を語ることが必要だったわけですが。

すでにお気づきの方も多いと思いますが、もはや当「危機管理小論」は、具体的な暴力に備えるノウハウを超えて、不測の事態にどう対処するか、生きてゆく過程で暴力とどのようにつきあってゆくか、という巨視的な視点からの文章を多く含むようになっています。

実は、私のこの発想は教育問題を論じる際にも貫かれていて、すでに現在の教育改革を危機管理的視点から考察する論文もいくつか上梓しています。「学校の役割を見直す」「個性的であることの過酷さが見落とされている」「新しい教育評価をふまえた学校づくり」がそれにあたります。

確認しておくと、「ゼロに戻す、ゼロを保つ」というのは、多くの人がそこを出発点や最下限だと思っている水準(ゼロ)が、実は人知れぬ苦労によって人為的に支えられていること、またそのような人々の営みを指す表現です。

NHKの人気番組「プロジェクトX」にも共通する視点ですが、困ったことに、番組でとりあげたり、私がここに記したりすると、その営みは「人知れず」ではなくなってしまいます。「人知れぬ苦労」は常に書かれたことの行間や欄外にしか姿を現さないことをふまえてお読みください。



本当に私事で恐縮なのですが、今も我が家のアルバムのどこかに、こんな写真が貼り付けてあるはずです。

5人の中学生の一人は私です。龍の絵は体育祭の装飾として描かれたものでした。

この5人が龍の絵を描いたとお思いの方もいるでしょうが、そうではありません。私達は、龍の絵を描く「カンバス」を作ったのでした。

運動が苦手だった私は、中学校で文化系の「木工部」に所属していました。開店休業状態で、体育系の部活を退部した生徒が「逃げ込んで」くる、校内では軽侮の対象となっている部でした。

自動車のセールスマンから転業したという技術科教師が顧問になってから、部は大きく変わり、文化祭のたびに巨大な共同製作を展示しては校内の注目を浴びるようになりました。その一方で、部の地位向上のために日常的な活動を重んじた顧問は、工具の扱いに慣れた我々を校内の営繕作業に積極的に参加させるよう配慮し始めました。行事の前の「カンバス」製作はその営繕作業の最たるものでした。

行程は単純なもので、
体育祭や文化祭の前になると、劇の書き割りや各種の装飾に使うための「カンバス」を何枚も作ったものでした。

枚数が多いだけに一枚あたりの「カンバス」にかけられる時間は限られていますし、模造紙を貼った糊に過不足があると絵を描く作業に支障をきたします。中学生にとっては「高度な技術」を要する作業でしたし、作業工程を工夫したり必要な道具を見つけてきたりして、自分たちでも作業効率を向上させようと努めました。それに、今にして思えば、四寸釘を打ち込むこと自体が中学生にとっては「重労働」だったのかもしれません。

体育祭当日になっても、絵を飾る(校庭の周囲のフェンスに針金で固定する)作業が残っているので、腰に道具袋をぶら下げて、競技開始間際まで走り回りました。退屈な入場行進に参加しなくてよいのは役得でしたが、生徒達からは露骨な「ブルーカラー差別」に類する軽侮の言葉を浴びせられました。

この「差別」は昨日今日始まったことではなく、運動部についてゆけそうにない(または実際についてゆけなかった)生徒が集まっており、「公式戦」のような晴れ舞台がない木工部は、とくに運動系の部活動から格下に見られていました。また、校歌斉唱時の伴奏などで、儀式の際に着飾って、光り輝く高価な楽器を携えてひな壇に並ぶことの多い音楽系のある部(って、具体的には一つしかありえませんが)は、ふだんの活動場所にしている教室が隣り合っている因縁か、ここ一番で着飾って目立つところに座る自分たちと作業が佳境にはいるほどおが屑・かんな屑・ペンキなどで汚れてゆく我々のコントラストが滑稽なのか、顧問が率先して罵倒してくるほどでした。

ともかくも、龍の絵はそのようにして作られ、飾られ、来校者の絶賛を浴びました。絵の前に立って、「よく描けてるわねえ」と語り合う来校者のグループをいくつも見ました。

しかし、飾られた絵をほめる人はいても、絵が描かれた「カンバス」をほめる人はいません。「カンバス」の善し悪しに気づかないどころか、絵が「カンバス」の上に描かれていることにさえ気づかない様子です。

絵を飾り終えた直後だったか、取り外す寸前だったかは忘れましたが、顧問が私達を急き立てるように龍の絵の前に並ばせて、写真を撮りました。確か彼は、「おまえ達がいなければ描かれることのなかった絵だから」というようなことを口にし、「○○先生(美術部の顧問)に言うと怒られるだろうけどな」といたずらっぽく笑いました。

隣の教室の音楽系の部から再三にわたって繰り返された侮辱について、当時家族からはこうなだめられました。「今、はらわたの煮えくりかえるような思いをしたことが、十年後にきっと肥やしになる」と。

その「肥やし」が、「ゼロを保つ、ゼロに戻す」という営為に対するセンスだということになるのでしょう。

その「肥やし」が、今や研究者としての基本姿勢の一部をさえなしています。誰もが誰もに対して優しい学校で中学校生活を送ったなら、私は今のような研究者にはならなかったでしょう。縁というのはわからないものです。

「ナイフを携帯したいと思ってはいけない」「爆弾を作りたいと思ってはいけない」「学校ではみんな仲良くしなければならない」いずれももっともな正論ですが、それらに反する境遇を辛くもくぐり抜けてきた身としては、それらの正論に接すると、「おまえのようなキャラクターは出現するべきではなかった」と言われているようで反射的に身構えてしまいます。

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