教員を殺す気か!? 文科省不審者対策ビデオ

 文科省が、「不審者対策に不熱心な学校を啓発するため」に、不審者対応マニュアルビデオを作成したとテレビニュースが報じています。

 画面に映ったのは、「不審者」の足下に椅子や机を押しつけて進路を妨害し、「刃物」を持った右手首をつかんで取り押さえる女性教員の姿でした。

 この1シーンを見ただけで断言できます。このビデオを真に受けたら、教員に死者が出ます。なにしろ、わずか数秒の画面に三つも間違いがあります。そこいらじゅう間違いだらけだとみて間違いありません。

1 刃物を持った手首を自分からつかみにいってはいけない。
 「不審者」を取り押さえる際に使われていたのは「小手返し」と呼ばれる技です。手首をつかみ、手首・ひじなどの関節を攻めて相手の態勢を崩し、刃物を取り上げる。
 この種の技が有効なのは、相手が勢いよく刃物をふるっているときだけです。しかもその場合でさえ、まずひじ関節付近をしっかり受け止め、刃物の動きを止めてから手首を取りにゆくものです。相手がどちらに向かって刃物をふるうかわからない時点でうかつに手首をつかみにゆけば、つかもうとしている手に切りつけられるのがオチです。手首は自殺の際に切ることでも知られる急所の一つ。誰が確かめたか知りませんが「二秒で失神、二分で絶命」とも言われます。そうでなくとも指は思いのほか簡単に切断されると聞きます。音楽や体育など実技系の教員なら職業生命を失いかねない事態です。
 刃物は何かモノをもってたたき落とす。手近なモノがなければ靴の先で蹴り上げる。武道の有段者だって本物の刃物を持った手を素手でつかみにゆくことはまずしないでしょう。ちなみに、アメリカの警察で使われている警棒のトレーニングマニュアルでは「相手が刃物を持っていたら拳銃を抜いて対処せよ」と教えています。

2 相手から視線をそらしてはいけない
 「不審者」の足下に椅子や机を押しつける際、モデルの教員は椅子や机の方に視線を向け、あろう事か前傾さえしてしまっています。不審者が教員に向かって刃物をふるったとしたら、教員は身をかわすことさえできずに刺されたり斬られたり殴られたりすることになります。顔を上げたら不審者が移動してしまっていて目の前にいないことだってあり得ます。「あれ、消えた。どこへ行った」とおたおたしている間に自分や児童生徒が怪我をする恐れは十分にあります。
 自分が怪我をしたら児童生徒を守ることは困難です。血を見た児童生徒がパニック状態になる恐れもあります。
 不審者に対処する間、決して視線をそらしてはいけません。椅子や机を足下に押しつけたければ、足で蹴ればよい。教科書、出席簿、チョーク、チョーク消し、その他を手当たり次第投げつけてもよい。とにかく視線をそらさないこと。「メンチきる」「ガンとばす」は喧嘩の基本です。

3 行動の間、声を出し続けなければいけない
 「不審者」を取り押さえる一連の動作中、モデル全員が無言でした。一体、第一発見者の教員は、どうやって他の教室の教師に異常を知らせたのでしょうか。駆けつけた隣室の教員は、どうやって職員室から警察に通報してもらうのでしょうか。
 一人伝令が走る? 誰が伝令になるか、その場で相談するんですか? うっかり複数の教員が走っちゃってごらんなさい。不審者を取り押さえる人数が足りなくなりますよ。おまけにまた「教員が子供を見捨てて逃げた」とか後ろ指さされますよ。
 大声を出して緊急事態の発生を周囲に知らせるとともに、相手を威嚇し、自分を鼓舞しなければなりません。さらに堂々とした声を出して不審者と渡り合うことには、児童生徒を鼓舞しパニック状態に陥ることを防ぐ効果も期待できます。
 児童生徒の連れ去り事件対策として、不審者につきまとわれたら腹式発声で「ウォー!」と叫ぶように、という指導が普及し始めています。腹式呼吸で気持ちを鎮める効果と、甲高い悲鳴より遠くまで聞こえる効果があるのだそうです。教員も「ウォー!」とか、剣道の気合いのように「トォー!」とか、腹式発声で通る声を出す練習をしておくべきでしょう。ついでに児童生徒にも、「逃げろ!」の号令一下「ウォー!」と叫ぶ練習をさせておくとよいでしょう。周囲に異常を報せ、パニックを防ぐだけでなく、三十人からの子供の裂帛の気合いを目の当たりにしたら、さしもの不審者も多少は怖じ気づくかもしれません。

 武道の経験、少なくとも喧嘩の経験があれば、この程度のことはわかりそうなものです。たとえ経験者でなくても、ビデオ制作にあたって護身術の入門書を調べればこの程度のことは書いてあります。一体どんな不勉強な人があんなビデオを作ったのでしょうか。
 まさか素人だけで作ったわけではないでしょうが、監修した専門家はあのビデオの仕上がりに何も言わなかったのでしょうか。専門家の意見だけ聞いておいて映像の確認は受けなかった、というところでしょうか。

 映像のイメージは強烈です。あんな間違った映像を作っておいて、それを見た教員が「ああすればよいのか」と思ってしまうなら、ビデオの制作はただの税金の無駄遣いではなく、わざわざ税金を使って教員を危険にさらす愚行です。この種の愚行を私の実家では、「手伝わなくていいから邪魔するな」と言います。

 昨今の教育行政の右往左往ぶりは、不合理で朝令暮改の図上作戦で徒に兵を死なせる、旧日本軍の悪弊を彷彿とさせます。しかし、今度の間違いは、比喩ではなく本当に死者を出すことになりかねません。

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