「実戦的」神話


 合気道など稽古しているせいもあって、「実戦的」という言葉を聞く機会は他の人より多いのではないかと思う。昔は自分で口にしていたものだが、考え尽くした末にばかばかしくなってやめた。それでも「実戦ではああたらこうたら」と型稽古に不満そうな人はいるものだ。

 しかし「実戦的」とは何だ? 刃物を振りかざして向かってくる暴漢を素手でねじ伏せる効果的な技か?

 そんなもの、「相手が刃渡り○○センチの刃物を持っている」とわかっている時点でもう実戦的じゃない。百万回でも言う。相手の人数と装備がわかっているだけで、「実戦的」ではない。

 まあいい、相手は一人で刃渡り20センチの刃物を持っているとしよう。でもその暴漢はどこにいるんだ? 交通量の多い国道っぷちの歩道だったら、前後には動けるが左右にはさばけない。それは車道に降りて車にはねられることを意味するからだ。歩行者天国の真ん中だったら、逃げまどう通行人にもみくちゃにされて、ちゃんとした技なんか使えそうにもない。

 それもまあいい、どんな狭い場所でも人混みでも使える技を会得したとしよう。でもその暴漢は誰を襲うんだ? 「実戦的」な武道だの格闘技だのを年中考えているような人に刃物を向ける暴漢はそうはいない。いたらよくよくの腕自慢だ。ひょっとしたら外国の軍隊で本当に実戦経験のある人かも知れない。日本国内で武道や格闘技をやっている程度の人には太刀打ちできまい。いや、別に外国の軍隊にいなくたって、刃物を持っているだけで十分強敵だ。現にコンビニ強盗に怪我させられた格闘家がいたじゃないか。力道山だって刃物の傷がもとで落命している。刃物と素手じゃ勝負にならない。アメリカの警察では、「相手が素手のうちは警棒で、刃物を持ったら拳銃で制圧せよ」と教えているようだ。

 それでもやはり、街中で刃物を振り回すような手合いは弱い者を狙う。乳児とか小学生とか、絶対に刃向かってこない相手を狙うものだ。だから一生に一度出会うか出会わないかの「実戦」は、自分に向かってくる暴漢ではなく、誰かを傷つけている暴漢をどうにかする、という場面である可能性が高い。当然、武道も格闘技も必要ない。後から蹴飛ばしてしまえばよい。その種の卑怯な技ならいくらでも知っている。もっといくらでも仕入れることができる。実は「実戦的」な技の確実で合法的な入手先が人々の目の前にあるのだ。詳細は教えない。

 自身武道家でもある内田樹氏は、武道はからだを賢くする方法だと言っている。からだが賢くなった結果として、人を投げたり押さえ込んだりできるのだと。けだし名言である。

 本当に実戦的といえるのは、たとえば、高級フランス料理店で泥酔して大声張り上げている下品な客を、ケンカにならないように黙らせる方法とか、そういう技だ。日常生活で出くわすトラブルとしてはそちらの方が圧倒的に多いのだから。そしてそういう機転こそが、暴力沙汰に発展しかねないトラブルに直面して、暴力を回避するために有効なのだと、何度か遭遇した暴力沙汰、ならびに辛うじて回避した暴力沙汰をふまえて思う。

 いきなり刃物振りかざして向かってくるような手合いについては、近寄らず、近寄らせずに限る。実戦的護身術より、まずは防犯だ。
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 そんなことを考えていた矢先。

 世間が寝屋川の教師殺人事件に騒然としていた2月14日深夜、府中市内で金融機関の職員(39)が、退勤時を待ち伏せしていたと思われる暴漢に刺されて落命した。謹んで冥福をお祈りするとともに、一刻も早く犯人に法の裁きか天罰、願わくばその両方が下ることを切望する。

 一緒にいた同僚の話では、ドアの外に出たら1メートルもない距離で刃物を顔面に突きつけられたらしい。同僚らの話によれば、被害者は熱血漢で、刃物を向けられて黙って引き下がるような人ではなかったという。

 でも、だからってなあ。

 「銃と暴力の国」アメリカの警察では、「刃物を持った相手には拳銃を向けなさい」だよ。元「治安大国」日本だって、夜間勤務の警察官は防刃ベスト着用、近頃では刃物を振り回している相手に威嚇発砲するケースもあった。それ以前から、明らかに不審と思われる場所にやってくる警察官は、1メートル以上ある棒を持って駆けつけてくれたものだ。

 刃物持ってる相手に素手で立ち向かうのは、家族とか教え子とかの命を守らなきゃならない時だけでたくさんだよ。

 ちょうど十年前、「末期ガンでもうじき死ぬので最後のご挨拶」と、高校時代の友人が電話をくれたことがあった。当時の居住地周辺の治安が極端に悪いことを話した私に対する彼の最後の言葉は「山田は正義感が強いから気をつけてね」だった。それが今生の別れになった。

 彼の目に、私はどんなふうに映っていたのだろうと、しばらく気にしていたものだった。今になって思うと「熱血漢で、刃物を向けられて黙って引き下がるような人ではな」いように見えていたのだろうか。「実践的護身術」に最も入れあげていた時期でもある。

 そんなの、蛮勇だよ。「実践的護身術」なんて、蛮勇を助長するだけじゃないのか。考えようによっては犯罪的だよ。
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