震災再び。なのに。


[1]震災再び。なのに。
新潟県中越地震。「中越」なら新潟に決まっているんじゃないのか? まさか中国やベトナムのことではないだろうに。
これで「阪神大震災」を「(ザ)震災」と呼ぶ風潮は多少はあらたまるだろうか。「縁ある人の親戚が奥尻の津波で死んだ」と言ったら「でも奥尻は義捐金が十分行き渡ったからいいじゃないですか」とのたもうた、自宅一部損壊の「阪神」の被災者もいたが。
今回、行政の対応はさすがに早かったようだが、むしろ相変わらずなのは被災者の方だ。
「三日分の水と食料を」どこの自治体でも呼びかけている。救援体制が整うまで最低でも3日。それまでは自助努力で持ち堪えてくれ。言い古されたことだし、妥当な話だ。だから「自宅が一瞬で倒壊して緊急物資を持ち出せなかった」と言うのでもない限り、「避難所に駆け込んだが水も食料もない」などというのは自業自得だ。
被災地域だけでなく近隣や提携している各地の自治体の職員や、赤十字、自衛隊などが不眠不休の努力で救援物資を届けてみれば、「遅い」「少ない」「冷たい」のオンパレード。
そういえば「阪神」の被災者が、「テレビを通じて全国のみなさんにメッセージを」とカメラを向けられると、異口同音に「温かいものが食べたい」「お風呂に入りたい」と注文ばかりしていたっけ。そんなこと、親戚に言いなさいよ。全国の、あなたと一面識もない人たちが、心配したり義捐金送ったりしてることについてどうなんだ、って話だよ。
被災したことは気の毒だと思う。復旧復興には手厚い公的援助があってしかるべきだと思う。でも、避難所での不自由に関しては、どうしても同情する気になれない。だって彼らは、「大震災の時不自由するリスク」と「いつ来るかわからない震災に備える労力」を天秤にかけて、各自の意志で前者を選んだはずなのだから。
10/25

[2]非常食
「阪神」のとき、我が家には3日分の非常食と飲料水があった。前年の暮れ東北地方でそこそこ大きな地震があったのをきっかけに買いそろえたものだった。
自宅は震度4程度の揺れだったが、大学では大きな書棚が倒れ、授業中なら死傷者が出ただろう、というような惨状だった。被災学生の卒論提出をめぐる特別措置、被災教員の仕事の肩代わり、家をなくした被災者の受け入れなどなど、無事だった周辺地域だってたいへんなのだ。「ザ・被災者」たちは認めないだろうが、というか、ずいぶん仕事を肩代わりしたこっちに向かって実際にザ・被災者の一人は「あればかりは経験しない人にはわからない」とのたまったものだが、こっちだって気分は被災者である。
食料と水が不足する避難所の光景が中継されるたびに考えたのは、「一人3日分の食料をもって避難所に入ったら何が起こるか」だった。一人で食べられるわけがない。しかし分け合うほどの量でもない。老人や子どもを抱えた人たちから自分だけ特別に分けてくれと懇願されることは容易に予測できる。どんな基準で分け合っても、必ず後に恨みを残す。きちんと準備していた人間が、きちんと準備していたがゆえに、迂闊だった人間の恨みを買う。世の中は理不尽にできている。
今回もきっと、非常食や水、燃料などを備蓄していた人たちは、避難所から距離を置いて、隠れるようにして温かいものを食べているのだろう。それでいいと思う。せいぜい懇意にしているご近所にお裾分けする程度で十分だ。
10/25

[3]ビンゴ
>今回もきっと、非常食や水、燃料などを備蓄していた人たちは、避難所から距離を置いて、隠れるようにして温かいものを食べているのだろう。

果たしてその通りだった。「避難所に入れず」と解説される、自動車に寝泊まりしている人々の中には、湯気の立つものを食べている人が少なからずいる。

野天でこたつに入って「暖かいですよ」と言う人
路上で大鍋で料理しながら「避難所に水もらいに行くのが面倒でね」と言う人

たいへんだろうに、みんな笑っている。
孤立した地区から2時間かけて、村中が自力で脱出してきた、という一行も、みんな笑顔だった。自分で何とかする、ということは、きっと人を元気にするのだろう。
一方、「食料が届いたが避難所に配る人手が足りない」という地域があったという。笑止。避難所の元気な人たちが手伝えばいい。
安直な二分法には慎重でありたい。しかし確実に、ちゃんとしてる人としてない人がいる。
10/25
[4]清水圭、よくやった
>「阪神大震災」を「(ザ)震災」と呼ぶ風潮

これに関しては大きな例外を指摘しておく必要がある。
関西ローカルの「探偵ナイトスクープ」という番組がある。視聴者からの依頼をもとに、探偵(レポーター)がとんちんかんな取材をする番組だ。
あるとき、雲仙普賢岳の噴火で自宅が被災し、中学を出てすぐ近畿圏の美容室に就職した、という視聴者から依頼が来た。噴火の時、着の身着のままで避難したので、小学校の思い出の品が一つもない。実家にランドセルを取りにゆくのについてきてほしい。
きっと、番組から取材費を出してもらわなければ帰省もできないくらい苦しい経済事情だったのだろう。
担当した探偵は清水圭だった。現地について清水は愕然としていた。積もりに積もった火山灰のせいで、もはや復興など望むべくもない。清水はうめくように言った。「僕ら震災震災言うてたけど、ここも酷いわ」「ここも」ではなく「ここのほうが」だったかもしれない。彼は涙ぐんでいた。
10/25

[5]罵られる、という奉仕
結局被災者はどんな救援をしても満足はしないのだろう。彼らは地震が起こる前と同じように暮らしたいのだ。一日一つのおにぎりが三食とも松花堂弁当になったとしても、避難所にウレタンマットやパテーションが入ったとしても、とにかく気に入らないのだ。
相手が地震では腹を立てても仕方ないから、目の前にいるスタッフにかみついているのだろう。気の毒なのは救援スタッフだ。地震の代わりに罵られるのだから、生身の人間の手に余る。しかし、罵られること自体が、被災者のいらだつ心を鎮めるに違いない。あまりにも残酷なことだが、罵られるのも救援活動の欠かせない一部なのだ。
「阪神」の避難所になっていた学校に、某県教職員組合から手伝いに行っていた人たちが、避難所スタッフに対してできた最大のことは、深夜、被災者が寝静まった後で、理不尽な被災者に関する愚痴をどこまでもどこまでも聞いてやることだったという。それはまさに、避難所のスタッフが被災者に対してしていることの相似形だったはずだ。早くも被災者の心のケアにまで救援の話は及んでいる。救援スタッフの心のケアも忘れないでもらいたいものである。
10/26

[6]カメラ
「阪神」の仮設住宅を建設するために現地入りした、住宅都市整備公団の人(個人的な知人で、すでに故人である)のレポートを読んだことがある。現場の写真を撮るためにカメラを持参したが、移動中は被災者の目に触れないようにカメラは隠して持ち歩いたという。
テレビ局のクルーが、被災者にカメラを向けた途端に「そんなん撮ってる暇があったらパンの一つも持ってこいや」とこづき回される映像が流れたりもしていた。人ひとりいるだけで食事も布団もトイレにも大きな負担になる被災地で、「いい絵」を撮るために大勢で乗り込み、ニュースの時間に合わせて被災者に動員をかける報道陣はあきらかに邪魔者だった。「助けに来た」住都公団の人たちも、そういうカメラへの敵意に配慮したのだった。
フリーターをやっている教え子に連絡とって、片っ端から被災地に送り込んだ、という小学校教員が、その教え子から聞き込んだ話によると、報道陣以外にも、無神経に倒壊した家屋にカメラを向けている人がずいぶんといたらしい。憤然として注意したら、自分は教員で、この悲惨な現状を子供たちに伝えたいのだと語ったそうである。
そこで写真が撮れているんだから、あんたにはどれだけ悲惨かなんかわからないよ。
学校は、何でも「サンプル」にしてしまう。学校という場所がもつその身勝手な構造に、教員はもっと自覚的であるべきだと思う。
10/26

[7]せめて食料は
提案。不慮の災害に備えて、せめて食料は用意しておこうじゃないか。
3日たてば救援はやってくる。すでに食料は有り余っている避難所もあるらしい。ひもじいのは最初の3日だ。その間、各家庭にすぐ食べられる食料が用意してあれば、最初に届くわずかばかりの食料を病人や老人、子どもに優先的に配給することができる。食べて体力をつけて、人手のいる力仕事に参加することもできる。体力を温存して風邪をひかないだけでも、病気が伝染しやすい避難所の衛生を維持する役に立つ。食料の手当が早めにすめば、トイレ、生理用品、紙おむつ、ウェットティッシュなど、第二段階の救援物資の手配も少しは早くなるはずだ。
一人あたりカロリーメイト15箱とペットボトルだけでもいい。当座食いつなぐことが、自分だけでなく周りの人も助けることになるはずだ。
10/29

[10]都市防災
吉井博明『都市防災』講談社現代新書、1996年
この本が出るまで、「防災」といえば各家庭の備蓄に関することばかりだった。私について言えば、この本を読んで初めて、陸軍歩兵のように重いリュックを背負って避難するイメージから自由になれたと言ってよい。
そして「阪神」から9年。電力会社は「復電火災(電力復旧時、床に落ちた水槽のヒーターなどが作動することで発生する火災)」を防ぐため、一軒一軒屋内を点検してから電力を復旧させたという。ガス会社は、地震に強いポリエチレン製のガス管への切り替えを順次進めており、ガス復旧までの時間は大幅に短縮される見込みだという。六千人もが亡くなったあの大惨事を繰り返すまいと、9年間地道に努力し続けてきた人々がいたのだ。そのことに感謝したい。
これから「都市防災」として行うべきことは何なのか、今回の震災の復旧復興とは別に、考え続けなければならないことである。
11/06

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