禁じられた「故郷」3

 春、年に一度フィルムのカメラを取り出す。旧陸軍燃料廠跡地に桜の写真を撮りにゆくためだ。気がつけば年中行事になっている。そうなった経緯はこちら

 今年は花見客でごった返す緑地公園だけでなく、まだ用途が決まらず、廃墟のまま放置されているエリア(と思ったのだが。後述)をフェンス越しに撮影してみた。誰にも気づかれずにひっそり、というには華麗すぎる、満開のソメイヨシノ。

 それにしても、廃墟の放置されっぷりはあんまりだ。おそらく旧日本軍が建てたと思われる瓦屋根の建物は柱が腐って屋根が傾いており、おそらく米軍が建てたと思われる、横腹に大きな番号表示のあるバラックはガラスが割れ、壁面が見えないくらいツタにおおわれている。そんな建物を背景に咲き競う桜。撮影してはみたが、とても彼の地ゆかりの人にお送りできる代物ではない。年々歳々花相似、歳々年々人不同。

 撮影中、自転車で通りかかった年配の女性に「米軍の事務所はどこか」と尋ねられた。「とても大切な書類」が、折からの強風で自転車の前カゴから舞い上がり、フェンスの向こう側に落ちてしまったのだという(※とても大切な書類なら、こんな強風の日に自転車の前カゴにペラリ一枚入れておいたりしないぞ、ふつう)。同じ跡地に立っている市の施設では埒が明かず、管理事務所へのホットラインも日曜日はつながらないのだという。これだけ広大な土地が、管理担当者の所在もしかとわからぬまま放置されている。花見客でにぎわう市管理エリアと対照的な見捨てられっぷりに、しんみりした気分で現地を後にした。

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 帰宅後、気になって「府中 燃料廠」で検索してみた。地域史や「廃墟写真」のサイトが少なからず見つかった。中でも目をひいたのが東京都のHP。なんとこのアンテナ(パラボラではなく、画面中央の鉄塔の方)は現役らしい。「用途が決まらず廃墟のまま放置」ではなかったのだ。そういうつもりで見れば、確かにフェンス内の舗装道路はきちんと清掃されている。

 それにしても、なぜこれほどまで周辺施設のメンテナンスを怠る? フェンス際の道路は夜はひときわ暗かろうに。廃墟に擬装した秘密基地か?

 なお、この跡地については「国、都、市が三分割して跡地を引き継いだ」という、航空自衛隊ルートの情報があった。空自基地−国、緑地公園−市、廃墟−都という三分割だろうと単純に考えていたのだが、実はもっと複雑な状況らしい。予算が動いたり、建てる箱物で一もめしたり。嗚呼不可解なり在日米軍基地問題。

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 さらにこんな本も見つけた。

石井 正紀 『陸軍燃料廠―太平洋戦争を支えた石油技術者たちの戦い』光人社NF文庫 、2003年

 1939年開設とされる燃料廠。石炭の液化だの、松根油だの、資源小国日本ならではの奇抜な研究が行われていたらしい。戦時体制下、慌ててつくった施設なのだろう。土地を収用されて泣かされた農民もいたに違いない。燃料廠で働いていた人たちの郷愁とともに、土地を失った農民の恨みも彼の地には積み重なっている。我こそは正史たらんと覇を競う「歴史認識」たちに一顧だにされることもない無数の思い、鎮まらせたまえ。

付記 amazonのブックレビューにある「松根油は神風」というフレーズに思い出したことがある。
 「神風」という命名にはまだ勝つ意志がある。人間魚雷「回天」にも、まだ起死回生の意気込みが感じられる。しかし有人ロケット弾「桜花」に至っては何事か。あらかじめ散華を予定した命名ではないか。もはや勝つ気がないのが見え見えだ。「やる気がないならやめちまえ」な兵器である。
 ちなみに、設計者は後に新幹線ひかり号の設計に携わったと「プロジェクトX」で知った。「生き残ってしまった者」の仕事は、時に人智人為を超える。


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