日本からの留学
日本からの留学生たちが見たフランスとヨーロッパの写真です。
やはり彼女ら、彼らの視線が何を捉えたのか、興味深いところです。
私たちの生活の拠点
ブルターニュ地方
ブルターニュ地方にあるロッシュベルナールという町の港でサンタを待っていた時の写真です。
港町なだけあってサンタもそりではなく舟でくるようです。パリとは違い、大きな店や遊べる場所はあまりありませんが自然豊かで、町並みは日本やパリとは全く異なる本当に異国の町といった感覚を味わうことができます。
ブルターニュ地方はフランス北西部にあり、かつてはブルターニュ公国という独立した地域であったため、今でも独自の文化を維持しています。パリしか知らなかった私にはあまりに新
鮮なフランスの一面でした。
また、この地方の食べ物も一度は味わうべきだと思いま す。シードルやガレット、牡蠣、キャラメル、モルガットなど美味しいものがたくさ
んあります。
くまさんと一緒に
バスティーユ
芸術の都・パリ
パリ国際大学都市
街を走るトラム
国際大学都市駅のトラム
寮からINALCO大学へはトラムで10分。
Cité Universitaireは電車RER B線が通っており、空港まで約40分。
パリの中心地まではバスも便利!シテ島やオペラ座までもバスで一本です!とっても快適な寮生活でした。
大学の近くにはフランソワ・ミッテラン国立図書館やリヨン駅があります。リヨン駅の東にはベルシー界隈という地区があります。
ここは昔パリの田舎と呼ばれており、今でも当時のワイン倉庫が残っています。現在ワイン倉庫はショッピングスポットとして店舗利用されています。石造りのお店が昔のパリを想わせてくれます。国立図書館はひっくり返した机のような現代的なデザイン。13区は開発地区で、イメージとは一味違った新しいパリを見ることができます。
私が暮らした寮
ルーブル美術館
ノートルダム大聖堂/リュクサンブール公園
クリスマスパーティー
オープンキャンパスデー
INALCO (オープンキャンパスデー)
派遣留学先は国立東洋言語文化大学INALCO
ヨーロッパ一の外国語大学です。中でも日本語学部が最大人数を誇ります。東京学芸大学からの留学生は日本学部に派遣されます。
その為、語学の授業のほかに学部生向けの授業が受けられます。日本の歴史・文化・言語をフランス語で学ぶ貴重な時間でした。
学部生は皆、日本に興味のある学生なので私たち留学生をとても寛容に受け入れてくれます。授業や試験のサポートもしてくれ、1年間楽しく学生生活を過ごせました。留学生と学部生1対1で授業をする時間があり、サポート体制はしっかりしています。
オープンキャンパスでは書道体験教室が開かれていました。INALCOは様々な地域を専攻する学部があり、毎月大学内で国・地域の催し物が行われます!
充実のバカンス
南フランス・ニース
フランスのクリスマスマーケット
イタリア旅行にも行きました
モネの愛した睡蓮の庭
サロン・デュ・ショコラParis
夜のエッフェル塔
サクレ・クール寺院
サクレ・クール寺院(Basilique du Sacré Cœur)
パリの北部、モンマルトルの丘の頂上にそびえ立つ教会堂。当時の大統領であったティエールの主張していた第三共和政の憲法が1875年に発布され、その新政体の門出として政府支援の下、建設が始まった。
当時の建設の目的としては普仏戦争やパリ・コミューンの犠牲者たちに捧げられるためのものとしても考えられた。しかし時代ととものその意味も消えていった。
現在では観光客はもちろん、パリの人にも愛されている聖堂。ポール・アバディ設計のもと1875年から建設が始まり、1919年に完成したビザンチン様式の建物であるが、ロマネスク風のファサードを持つことからビザンチン・ロマネスク様式とも呼ばれることもある。
凱旋門
凱旋門(L’Arc de Triomphe de l’Etoile)
ローマ遠征の際、ナポレオン・ボナパルトがコンスタンティヌスの凱旋門に影響を受け、さらにはヨーロッパ連合軍に勝利した際の記念として、当時、世界最大の門の着工が1806年に始まった。30年後の1836年に完成したが、ナポレオンが門をくぐったのは1840年の彼の埋葬時であった。
高さ50m、幅45m、奥行き22mと迫力のある凱旋門の中央下には第一次世界大戦で犠牲となった無名兵士達の墓が存在する。門の内側には歴代の戦争の場所、戦争で戦死した兵士達の名前、フランスの将軍の名前などが彫られている。凱旋門はフランス軍の戦いと勝利をたたえる場所であったのだ。
(上にナポレオン・ボナパルトの名が置かれ、その下にナポレオン配下の将軍たちの名前が散見できる)
バスティーユ広場
バスティーユ広場(Place de la Bastille)
1789年7月14日、アンシャン・レジーム(聖職者/貴族/農民・市民の階級制度)に対する怒りが頂点に達し、パリ市民たちが圧制や国王権力の象徴であったバスティーユ牢獄を襲撃した。元々バスティーユ牢獄は1370年から1383年にかけて建設され、これはシャルル5世の治世の時であった。当初はパリ防衛のための要塞であったが、17世紀になるとルイ13世の宰相リシュリューにより国事犯や精神病者などが一時的に収容された。国王が自由に発行する勅令逮捕状により、収監されるようになると、軽い罪の者たちも牢獄に入れられた。フランス革命後の自由を記念する記念柱として写真のようなオブジェが建てられた。パリ祭の前夜祭が今でもここで行われるほど重要な地であるのだ。
ノートル・ダム大聖堂
ノートル・ダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris)
「ノートル・ダム」はフランス語で「私たちの貴婦人」という意味であり、聖母マリア様に捧げられたシテ島内にある、ゴシック建築の大聖堂である。
ノートル・ダム大聖堂は、フランス国王ルイ7世に治世であった1163年に建設が始められた。ファサード(正面の外装)を構成する二つの塔は1250年まで建設が続いた。さらに完成に至ったのは約170年後の1330年ごろであった。
ノートル・ダム大聖堂には「バラ窓」と呼ばれる3つの華やかなステンドグラスがあることでも有名である。バラ窓とは、ゴシック様式の聖堂建築において主にステンドグラスで作られる円形の窓のことである。中世のゴシック建築の技術により高い天井を作ることができるようになり、その高さからステンドグラスを通ってくる光は、中世のゴシック建築の一つの極致と言えるだろう。
(写真2枚目:ノートル・ダム大聖堂のバラ窓)
サント・シャペル
サント・シャペル(La Sainte-Chapelle)
パリ最古であり、最も美しいステンドグラスを見ることができるサント・シャペル。ゴシック様式の礼拝堂であり、その歴史はルイ9世の時代、12世紀まで遡る。現在はノートル・ダム大聖堂に保管されているキリストの茨の冠を保管するために建設が始められた。この茨の冠は、第四次十字軍がビザンチン帝国のコンスタンチンノープルを占領し、ロマニア帝国(1204)が成立するが、その皇帝ボルドアン2世から購入したものである。
民衆の礼拝堂としてノートル・ダム大聖堂が威厳を保つ一方、サント・シャペルは王族用の礼拝堂として威厳を保っていた。
ステンドグラスの細かな絵は左から順に旧約聖書のキリストの物語となっている。中には様々な言語のパンフレットがあるので照らし合わせて見てみるとさらに興味深いだろう。
イナルコでの寮
ゴチック様式のサンジャック塔
サンジャック塔の内部
おいしい屋台
色鮮やかなマルシェ
チーズ
エリゼ宮殿
イナルコ大の授業
フランスパン
ロンシャン宮
フランスの景色
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パリParis
オルセー美術館内部です。元々駅だった建物を美術館にしたものなので、所々に駅の面影が残っています。ルーヴル美術館とは違い、オルセー美術館では近代以降(印象派など)の画家の作品が展示されております。
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ランスReims
パリではなく、ランスにあるノートルダム大聖堂です。歴代のフランス国王の戴冠式が行われてきた歴史を持っています。シャガールのステンドグラスも有名です。フランスの思想家ジョルジュ・バタイユの著作に「ランスの大聖堂」というものもあります。
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モンサンミッシェルMont-Saint-Michel
カトリックの巡礼地のひとつです。小島にそびえ立つ修道院が有名ですが、写真はその小島の内部です。お土産屋や名物オムレツのレストランなどが立ち並んでおります。
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イリエ=コンブレーIlliers-Combray
プルーストの小説「失われた時を求めて」の舞台のひとつです。もともとイリエという街でしたが、小説に出てくるコンブレーという名前が有名になりイリエ=コンブレーという名前になりました。
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カルカソンヌCarcassonne
ヨーロッパの中で最大とも言われる歴史的城塞都市です。フランス南西部に位置します。かつての「カタリ派」が根付いた地域でもあります。
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マルセイユMarseille
マルセイユMarseille
フランス最大の港湾都市です。地中海に面し、その歴史も古いです。港町というだけあって、フランス人だけでなく様々な国の人が住んでいる印象を受けます。 -
レンヌRennes
ブルターニュ地方の中心都市で、旧市街には木組みの建物が今もなお残っています。
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シャルトルChartres
シャルトルChartres
パリから鉄道で1時間ほど離れた街で、ランスと並ぶ美しいゴシック建築のノートルダム大聖堂で有名です。 -
トゥールーズToulouse
フランス南西部の中心都市で、美しいレンガ造りの街並みや比較的古い様式の建築を楽しめます。航空機で有名なエアバスの故郷でもあります。
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アルルArles
フランス南部にあるコミューンで、フィンセント・ファン・ゴッホの絵や、ジョルジュ・ビゼーが作曲した「アルルの女」で有名です
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ニースNice
フランス南東部に位置する都市で、地中海に面する世界的に有名なリゾート都市です。ここBaie des Angesの向こうに見える丘の手前にニース港の灯台が見えます。
ベルギー
ヨーロッパ諸国
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ミラノMilano (フランス語では Milan )
イタリア北西部に位置し、フランスにも近い都市です。写真はミラノのドゥオーモです。有名なスカラ座もあります。
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ヴェネツィアVenezia ( フランス語では Venise )
イタリア北東部に位置し、「水の都」や「アドリア海の真珠」などとも呼ばれる美しい都市です。
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ベルリンBerlin
ドイツ連邦の首都です。写真はブランデンブルグ門です。
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プラハPraha (フランス語では Prague )
チェコ共和国の首都です。写真はブルタヴァ川にかかるカレル橋です。
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モスクワMoskva ( フランス語では Moscou )
ロシア連邦の首都です。写真は聖ワシリイ大聖堂です。
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ベオグラードBeograd ( フランス語では Belgrade )
セルビア共和国の首都です。写真はかつての空爆の跡だと思われます。
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ノヴィサドの市役所
セルビア北部のノヴィサドはベオグラードに次ぐセルビア第二の都市です。このノヴィサドの市役所は、ドナウ川の左岸地区にありますが、右岸にはかつてのペトロヴァラディン要塞があります。セルビアの文化の一大拠点として栄えたこの街は、「セルビア人のアテネ」と称ばれたとか。
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聖処女マリア教会
ノヴィサドのカトリック教会です。17世紀末からハプスブルク家の支配を受けたその歴史から、正教徒のみならず、カトリック、プロテスタントが居住しユダヤ教会、アルメニア教会もあった。市役所前の広場を挟んで向かい合うように建っている。
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ノヴィサド
ノヴィサド、ドナウ川左岸から右岸のペトロヴァラディン要塞を望む。
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ドナウ川
ペトロヴァラディン要塞からノヴィサドのドナウ川左岸を眺望。
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ベルシェヴァッツ村
セルビア中南部の都市クラグイェヴァッツ近郊のベルシェヴァッツ村の情景。
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スボティツァ のアールヌーヴォーの建物
セルビアの北部、ハンガリーとの国境近くの街 スボティツァ のアールヌーヴォーの建物。住民のほぼ半数がハンガリー語話者であるこの街では、ハンガリー語とセルビア語の表記が半分ずつという感じ。
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セルビア料理
ポドヴァラク(豚肉とキャベツの煮物)とプロヤ(トウモロコシのパン)と自家製パンと自家製チーズ(セルビアは農業国で手作りのものがとても多いです。)
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サワーチェリーのジュース作り
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政党ミーティング
セルビアの選挙前の政党ミーティング(支持者が集まってアピール、ちなみに写真はセルビア進歩党)
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ベオグラード第一高校の生物の授業見学
"賢い板"と呼ばれるプロジェクターで授業
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ソフィアSofia
ブルガリア共和国の首都です。写真は聖ゲオルグ教会です。
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リラRila
ソフィアから南へ約100km離れたリラに位置する、正教会の修道院です。
モロッコ
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フェズFès
モロッコ王国の内陸の都市です。モロッコは1912年に締結されたフェズ条約より、大部分がフランスの保護領となった歴史を持っています。
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フェズ旧市街
かつてのイスラム王朝の首都であったフェズは染色業が盛んな街であり、規模の大きいユダヤ人街もあったところです。
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アイト・ベン・ハドゥ
フェズから南西ほぼ440キロ、アトラス山脈の南側にある砂漠地帯の集落です。
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マラケシュ
アイト・ベン・ハドゥから北西へさらに100キロあまり、アトラス山脈の丘陵地帯にあるマラケシュの旧市街も世界遺産です。
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サハラ砂漠
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ヴォルビリス遺跡
フェズから西へ約50キロ、ローマの都市遺跡がよく保存されているローマ帝国最西端の地域だったようです。