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OECD E2030とコロナ禍における教育

柄本健太郎(武蔵大学 特別招聘講師)

 

2020年に本格化した新型コロナウイルス感染症の拡大は,医療,経済,教育,福祉など様々な分野に甚大な影響を及ぼしています。2020年の今,世界は以前よりも一層複雑で不確か,不安定で曖昧なものになったと感じられます。

本稿では,コロナ禍での教育において児童生徒に求められる力として「生徒エージェンシー」を紹介し,さらにOECD(経済協力開発機構)の動きを紹介することで,コロナ禍における教育の姿を考えていきます。

1.コロナ禍のもと,教育では一体何が起きたのでしょうか

日本では,2020年3月2日からの学校の臨時休業に始まり,児童生徒が教育を受ける機会をどのように確保するのか,いま必要な教育・指導事項とは何なのか,評価をどのように行うのか,オンライン学習などのICTをどのように使うのか,入学試験はどのように行うのか,子どもの精神的・身体的健康をどのように保障するのか,そもそも学校・教師の役割とは何なのか,など様々なことが問われ直されました。

参考:令和2年2月27日 新型コロナウイルス感染症対策本部(第15回)
 https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/202002/27corona.html
 (全国の小・中・高・特別支援学校に対する3月2日から春休みまでの臨時休業の要請)

学校が再開しても,密閉、密集、密接の「3密」を避けることなど様々な制限がある中で現場での試行錯誤が行われています。小学校・中学校・高校・大学・特別支援・専修学校など,学校種を問わず,新しい教育の姿が問われ続けています。

2.コロナ禍の教育において,人が身に着けるべき力は何でしょうか

様々な力が役立つとは思いますが,一番大切なものは,子どもが主体的に考え,行動し,周囲と協力しながら一緒に生き残っていく力ではないでしょうか。「唯一の正解」を誰も持っていない,この複雑で不確かな現状において,従来の「答え」の良い部分は大切にしつつも,主体的に,責任感を持ちながら周囲と協力して,自身の「新たな答え」を見つけていくことこそが,よりよい人生を歩むことにつながると考えられるためです。実は2020年よりも前,2018年頃から既に,このような複雑で不確かな世界でも活躍し,生き残っていくための力として,「生徒エージェンシー」という概念が提唱されていました。

生徒エージェンシーは,OECDによるThe Future of Education and Skills 2030事業(以下E2030)において,ポジションペーパー(2018年公開),コンセプトノート(2019年公開)という2種類の文書の中に示されています。2種類の文書は2018年,2020年にそれぞれ日本語仮訳が公開されており,ポジションペーパーの仮訳では,生徒エージェンシーと日本の教育基本法との関連が記載されています。

参考:教育とスキルの未来:Education 2030【仮訳(案)】(ポジションペーパーの仮訳)
http://www.oecd.org/education/2030-project/about/documents/OECD-Education-2030-Position-Paper_Japanese.pdf

参考:2030年に向けた生徒エージェンシー(コンセプトノートの仮訳)
http://www.oecd.org/education/2030-project/teaching-and-learning/learning/student-agency/OECD_STUDENT_AGENCY_FOR_2030_Concept_note_Japanese.pdf

生徒エージェンシーは,「複雑で不確かな世界を歩んでいく力」(2018年),「変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力」(2019年)と述べられており,目標を設定し,行動し,振り返ることを繰り返しながら自分や世界を変えていく力であるといえます。「働きかけられるというよりも自らが働きかけることであり、型にはめ込まれるというよりも自ら型を作ること」(2019年)とも記されており,「唯一の正解」を誰も持っていないこの現状において,特に重要な力だと考えられます。

また,生徒エージェンシーは,他の児童生徒・教師・保護者・コミュニティと協力しながら,個人と社会のウェルビーイング(良い状態)に生徒が目的意識をもって向かう力とされており,アイデンティティー,所属感,モチベーション,希望,自己効力感,成長する思考態度(能力や知能は発達可能であるという理解),目的意識と関連があるとOECDは述べています。ここでの,他の児童生徒・教師・保護者・コミュニティと互いに支え合う協力関係を,共同エージェンシーといいます。

なお,現行の学習指導要領では,育成すべき資質・能力の一つとして「学びに向かう力,人間性等」が挙げられています。このうち,「学びに向かう力」は観点別学習状況評価の観点として「主体的に学習に取り組む態度」が設定されています 。この観点は,「粘り強い強い取組を行おうとする側面」,「自らの学習を調整しようとする側面」という二つの側面から評価することが求められています。

参考:学習評価の在り方ハンドブック―小・中学校編―(国立教育政策研究所,2019)
https://www.nier.go.jp/kaihatsu/pdf/gakushuhyouka_R010613-01.pdf

これらの観点と側面からは「学びに向かう力」が文字通り学習に向かうことに重点をおいていることが読み取れます。それに対し,生徒エージェンシーは個人の成長,社会の変化を目的としていることから,さらに向かう範囲がさらに広いという特徴があります。なお,生徒エージェンシーというときの「生徒」は,中等教育で学ぶ生徒だけでなく,初等教育で学ぶ児童も含んでいます。

3.2020年のOECDの動きはどうなっているのでしょうか

2018年・2019年に生徒エージェンシーを提唱したOECDですが,2020年のコロナ禍における動きはどうなっているでしょうか。

まず,2020年3月末に,HGSE(ハーバード大学大学院教育学研究科)グローバル教育イノベーションイニシアチブのフェルナンド・レイマーズ教授と OECD教育スキル局のアンドレアス・シュライヒャー局長の連名によって“A framework to guide an education response to the COVID-19 Pandemic of 2020”が公開され,コロナ禍における教育を考える枠組みをいち早く世界に公開しました。なお,2020年4月時点の版に対しては,福井⼤学⼤学院連合教職開発研究科から仮訳が4月23日に公開されています。

参考:OECD 2020年 新型コロナウイルス感染症パンデミックへの教育における対策をガイドするフレームワーク(仮訳)の公表
https://www.fu-edu.net/story/1627

2020年5月19日,20日には,OECDのE2030が主催するGlobal Forum (以下GF)がオンラインで開催されました。このGFは2020年5月に予定されていた第11回Informal Working Group Meeting (IWG)がコロナ禍により11月に延期されたことを受け,教育分野での対策を議論する場を急遽設けたものです。

GFのテーマは,“Overcoming challenges in curriculum delivery during school closures and transition back to school”(学校閉鎖・再開時におけるカリキュラム実施上の困難を克服する)というもので,コロナ禍における「生徒の学びへのアクセス」,「学びの質」,「生徒のウェルビーイング」という3つの枠組みで議論が行われました。設定された3つの枠組みからは,教育の機会を確保すること,学びの質を確保すること,児童生徒のウェルビーイングを低下させないことが世界的な関心事になっていることがうかがえます。

2020年の後半には,第2回以降のGFの開催が予定されています。OECDとしては,コロナ禍における教育の在り方をひとつの大きなテーマとして掲げており,国際的な議論により,世界中の教育に貢献できる枠組み,知見の創出を目指していると考えられます。

4.コロナ禍における教育の姿とはどのようなものでしょうか

生徒エージェンシーと関連する概念からみた場合,コロナ禍における教育の姿はどのようにとらえられるでしょうか。

まず,学ぶ目的の再設定についてです。コロナ禍においては,教育として何を目標とするのか,児童生徒のどのようなウェルビーイングを目的とするのかが混乱し,目的が曖昧になったり,目標が立てられなくなったりする期間がありました。たとえば入学試験・資格試験が本当に予定通りの内容,スケジュール,形式で実施されるのか不透明になることでモチベーションを一時的に失った人は少なくなかったでしょう。現状,児童生徒がどのようなウェルビーイング上の問題を抱えているのか(例.ストレスなどの精神的な健康,身体的な健康,貧困,教育)を把握したうえで,Afterコロナ,もしくはWithコロナの世界でどのような人生,社会,教育を望むのか,教育を考える上で目的とするウェルビーイングを確認し,ときには議論し,再設定する必要があると考えます。

生徒エージェンシーは,ウェルビーイングへ向かう目的意識と関連が深いとされているため,生徒エージェンシーを育成することが同時に人生,社会,教育などで何を目指すのかを児童生徒が考えることにもつながるでしょう。OECDのGFの枠組みにも「生徒のウェルビーイング」が設定されているように,学校での限られた時間・空間の中で,何を目指して勉強するのかはコロナ禍での大きな課題になると考えられます。みなさんは,今,どのような人生,社会を求めているでしょうか。何のために学ぼうとしているでしょうか。

次に,主体的に学ぶ力についてです。コロナ禍の世界では,オンライン学習,家庭学習といった,学校での面接授業・対面授業に留まらない学習形態の授業を受ける機会が増えると考えられます。コロナ禍の世界では「学校の教室において集団で同時に学習する」形態だけに依存することが非常にリスクを伴うことが明らかになりました。例えば,「生徒の学びへのアクセス」・「学びの質」においては,感染症に伴う休校によって教室での授業がそもそも実施できず,学習の質も確保できないこと,また「生徒のウェルビーイング」においては,「3密」が確保できないことによる感染リスクの高まりや,「3密」を避けるがゆえに換気やマスク着用による過度な暑さ・寒さが生じることが挙げられます。一方,オンライン学習,家庭学習が推進されたとしても,これらの学習では教師が児童生徒の様子を直接見ることができず,児童生徒の学習を教師が把握することの難しさがあります。

オンライン学習,家庭学習を実施しないことの困難さ,実施するがゆえの困難さの両方から,これまで以上に,児童生徒が仲間・教師・保護者と協力しながら主体的に,自らの目標を設定し,学習し,振り返ることを繰り返す力,すなわち生徒エージェンシーが求められます。ICTの技術も,教師が児童生徒の学びを把握し・評価するためだけでなく,児童生徒の主体的な学習サイクルを促進するために用いられていくでしょう。

週5日間,1日5時間程度,何をどのように勉強すべきか学校から提示されていた頃とは異なり,コロナ禍では,児童生徒が,教師や保護者と共に主体的に学習を創っていくことが求められます。その際,自己調整的に学習を進める力,時間管理の力,精神的・身体的な健康を保つために上手に休む力,モチベーションを管理する力,成長する思考態度(能力や知能は発達可能であるという理解)の向上といった,生徒エージェンシーに関連する課題が待っていることでしょう。なお,現行の学習指導要領においても,観点別学習状況の評価の観点として「主体的に学習に取り組む態度」が設けられたように,学校教育の枠組み中で既に,実践や知見を蓄積していく枠組みができています。

5.最後に

本稿では,コロナ禍での教育について,求められる⼒として⽣徒エージェンシー,教育の動 向として OECD の動きを紹介し,さらにコロナ禍における教育の姿として,学ぶ⽬的の再 設定と,周囲と協⼒しながら主体的に学ぶ⼒について考察してきました。 東京学芸⼤学 次世代教育研究推進機構では,⽣徒エージェンシーについて研究を進めており,本稿はその⼀部です。また,機構では成果の⼀部をホームページ上でも紹介しています。コロナ禍で求められる⼒として,⽣徒エージェンシーについてみなさまが考えるきっかけになれば幸いです。

 

付記

本稿の執筆において,東京学芸⼤学 次世代教育研究推進機構の翁川千⾥特命助教,扇原貴志特命助教から貴重なコメントをいただきました。感謝申し上げます。

 

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