平成22年3月17日FS追記
平成20年10月7日FS追記
平成19年9月15日FS追記
平成19年8月1日FS追記
平成19年2月15日FS追記
平成19年1月31日FS追記
平成19年1月18日FS追記
平成19年1月12日FS
下の内容に関連して、こんなことがありました。
そう、トヨタ車のリコール問題・・・。
日本時間2010年2月25日未明「アメリカ下院監視・政府改革委員会」つまり「公聴会」での質疑、つまり「公聴会」での豊田彰男社長の発言から、ということで、
「事業の成長スピードが速すぎて、人材育成が追いつかなかった。自動車メーカーとして欠かせない安全や品質を重視する姿勢がおろそかになっていた。・・・」
前述のように、去る平成18年12月10日(日)に、バンコクにおけるユネスコの国際会議から帰国。その後、休むまもなく(?)2日間の授業。それを終え、13日(水)午前の便、ソウル経由で、ウランバートルに向かい、JICAモンゴルプロジェクト「モンゴル国子どもの発達を支援する指導法改善プロジェクト」の業務に。そこでは特に、授業評価の方法と実際及び評価項目の策定(案)等の遂行支援にあたり、12月30日(土)、雪の北京空港を経由して、ほぼ3時間遅れ午後9時過ぎに成田着と相成った。
それにしても、大学事務の方々の格別なご配慮(何と、背中等用と足裏用のホカロン、ゲルから排出される石炭煙を含む名物ともいえるスモッグの中での生活を懸念されたマスクなどのご提供。感謝)に加え、特に現地のカウンターパートと通訳の方をはじめとし、関係者の朗らかで暖かなお心遣いとお気遣いによって、腰の痛み知らずで、快適に、業務を遂行することができた。
そんな訳で、今日平成19年1月12日(金)午前、久しぶりに、S院でうかがった。「おはようござーい」....「おかげさまで」....「やや左の腰が痛むことはありますが、まずまず」「さぼらずに、来てくださいね」「はい、苦い経験はもう・・・」「お世話様」「おだいじにー」「おきをつけてー」の生き生きした声に背を押され、辞した。
そうそう、雪の北京空港といえば、こんなことがありました・・・。
ほぼ定刻に雪の北京空港に着いて、「International Transfer」に向かい乗り換えの手続きをしているときのこと。2人の西洋人風の老ご夫妻2名。このうちの老ご婦人は、カウンター横に泣き崩れて・・・痛ましい光景。ご主人は見当たらず、いずこかへ・・・・。
言葉の十分に伝わらない知らない国での不安といったら、・・・。
我がことのように、思えたものである。
というのも、実は、そばにいたものの中国人フロアアテンダント(と思しき若き女性)は、中国語のみ理解でき、英語すらもおぼつかないご様子。事実、英語で話しかけても、ただただ顔を赤くしているだけ。ユネスコ勤務時代のもっとも親しくしてさせていただいた方が中国人であったり、研究室にも中国からの留学生がいたり、はたまた、華東師範大学の国際教師教育センターで非常勤の職にあたっていたりするものの、ヲー何がしなど、この場に相応しくないいくつかの中国語は知ってはいたものの、この場の様子では、埒が明かないこと必定!
ここは一肌脱がねば、と、老婦人に英語で話しかけると、「上海に行きたいが切符がない」との趣旨の返事。なまりのある英語ではあるが、我が英語も自慢じゃないが、なまりには自信がある。
そこで、ポケットにいつも入れているメモ用紙と、同じくジャケットにはさんでいるボールペンを取り出して、くだんの若きフロアアテンダントの前で「北京経由で上海へ行きたいと希望している。担当者に取り次ぐか、適切な手配をお願いしたい」という内容のメッセージを、矢印と漢字で書いて見せると・・・。
何と、この若きフロアアテンダントとのコミュニケーション・・・。成功、成功、・・・・。
周りの同僚も驚き(?)喜んでいるご様子でしたが、ともあれ、かつての我が身を省みて「良いことをした」ことは、今回の渡航、何よりのお土産であると、思ったものである。
しばらくして、ご主人と思しき男性が車椅子で、別の男性フロアアテンダントと現れ、お2人とともに、コンコースを、いずこかへ移動された。
それにつけても、「何事につけても、急速な発展は、いずれどこかに『ひずみ』を残しかねない」こと懸念し、「我がJICAモンゴルプロジェクトも同じような事態にならぬよう、そうwithin
one's capacityの原則に立って」と、当面の業務に、いっそう気を引き締める契機となったできごとであった。
なお、行き先の切符を持っていないのに、北京空港のしつこいとも感じられる税関を通過し(?)上海へ行きたいというのは、もとはと言えば、不可能だったはず、何故通関ができたか、との不可思議さは、今でも残っている。
平成19年1月18日(木)は、ここ2、3日来の左腰の痛みが、やや感じられる・・・。それに、明日19日(金)は、翌20日(土)と翌々日21日(日)2日間に行われる大学入試センター試験のための事前準備の会議。立ち続けることが予測される。ここは一つ、久しぶりに「鍼」をと、S医院を訪れた。
「おはようーござーい」「おはよーございまーす」はいつもの通り。元気が出てくる。
先ずは、院長によるマッサージ・・・。実は「左腰がやや痛みますし、今週末から立ちっぱなしが続きそうですから、また、2月には25日間ほどモンゴルへ。12月はおかげさまで、まったく問題なく、モンゴルでの業務を行うことができましたと、お礼。
入念にマッサージを行ってくれる。やはり、「魔法の手だ」。
「どうしたら治すことができるか」「くせなので、治すことはできませんよ」
「歩くこと、運動すること・・・。ともかく、続けることが重要です」と、院長。
フッと「ESD」「持続可能な・・・」を思い出す。そういえば、昨日の会議でも、「卒論大賞、卒論グランプリは、続けることが重要なのです」と、若い同僚に話したことも、思い出す。
ついで、久しぶりにKo医師による鍼。
左腰・・・。ウッというと、これは「腰をひねる」ときに使う何とか筋とのこと。ぎっくり腰のときは、ちょうど真後ろの腰で、何とか筋と・・・。
左の腰、背骨の上辺り、左足と右足のふくらはぎと外側・・・。指でツボのありかと確かめながら(であろう)、素人目には、こうとしか表現できないが・・・。今回も、ただ鍼を打っているのみではなく例の「雀啄鍼」とまではいかないまでも、何か探っているご様子・・・。ただただ、安心して、任せるのみ・・・。「じゃ、もぐさをつけて、・・・」と・・・鍼の上にお灸をしていただき、しばし、じーっと。
「お気をつけー」「お大事にー」の声を背に辞すが、ん、痛みは、とれている!
またしても、感謝、感謝、である。
それにしても、日本中の国立大学法人すべてと多くの公私立大学が、いっせいに決まった時刻に同時に分単位いや秒単位でことを運ぶさまは、今では韓国が何かと話題になるが、考えてみれば、実に恐ろしいとは思うのは、私だけか。
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平成19年1月31日(水)、今日は、「おはようー・ござーい!」は、無かった。そう、院長先生がいらっしゃらなかった。
若い先生のマッサージ。カルテを見て「いかがですか?」「おかげさまで。今日はメインテナンスのつもりです。・・・ただ、腰の左と左の肩が、やや痛いと感じます」・・・マッサージ進行につれ肩口へ。肩甲骨の下をマッサージしながら「大分張ってますね」と。・・・途中で、「実は、風邪でもないのに、このところしばらく、アタマが痛いのですが・・・。血でも出ているか・・・?」・・・。「分かりませんが、偏頭痛、というのがありますよ・・・。」そうか、偏頭痛というのは、そういうのを言うのか、と、また学習(!?)
「ありがとうございました」と礼を言って、辞した。
今日の外は、暖かである。
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平成19年2月10日(土)、昨日、一昨日と、それぞれ、非常勤講師の新規採用に関する委員会と卒業論文発表会などあり、またしても「篠原さんは、えーと・・、土曜日が多いようですね。1週間から10日か、・・・。大丈夫ですか?」との院長のお訊ねから始まって、じっくりと、マッサージ。神の手である。次いで、Ko医師による鍼。雀琢ではないようだが、それに近い?指の動きと鍼の動き・・・。「篠原さんとは、これが最後か。実は、この治療院は2月一杯で止め、別の治療院へ移るのです」とのこと。「いや、モンゴルへの出張が、また2月18日から予定されていますから、まだ来ます」と。
やや寂しい気持ちが沸いてくるが、恐らく、自分の技術をいっそう磨くために異動するのだろう・・・。若き師に、栄光あれ!
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平成19年2月15日(木)、昨日は、今、モンゴルの関係で仕掛けている?日本賞ビデオライブラリーの打合せで、午後からNHKで打合せ。Yahooで近場の駅を調べて・・・徒歩と電車で。これが堪えたか?!実は昨日の帰りには、腰の後ろがひどく痛む・・・。
そんな訳で、朝から鍼に。院長の丁寧なマッサージとストレッチ。問診によって、的確に、腰後ろ下方の両サイドと中央をやや強く押して、矯正か。素人目だが、そう思う。そして、いわゆる電気。
次いで、鍼。いつものように、Ko医師の治療。丁寧に、両足のふくらはぎのそれぞれに3本ずつ。腰中央と両サイド、そして背中のやや中央付近と両サイドに。大分、念入りである。時に、雀琢とも思える「指裁き」(?!)
その後は、これら鍼の一部に艾を載せてのお灸。今では、快い香りである。ひところは、じじ臭い、とおもったものだが・・。礼を述べて、昨日の春一番を忘れさせる快晴の外へ。
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この項の記述が去る2月15日以来滞っていた・・・。
今日が7月30日であるから、かれこれ、5ヶ月半が経過していた。この間、何も無かったわけではなく、「メンテナンス」と称して、1ト月に1度は、通っていた。もっとも、別のページに記しているように、2月から3月にモンゴルに、3月末にはタイ国に、そして、4月半ばから5月にまたモンゴルに、それぞれ出張していた。
そして、新学期、瞬く間に月日が経過したというのが事実。
事実、思い出せるのは、去る7月6日(金)には、治療院に飛び込み、副院長の手になる鍼と灸で、事なきを得ている。そして、これよりも、同じく1ト月程度前であろうか、紅一点の女医さんの手を煩わせ鍼と灸があったと記憶している。
してみると、哀しいかな・・・。痛くならないと行かない?!
ひとごとのようだが、困ったものである。
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8月1日、昨晩以来の無理がたたったか。
日本ユネスコパートナーシップ事業の公募企画書が、見事なまでに、条件付で審査を通過し、やや慎重に文書をリファイン。
常勤、いや、上筋、中筋、そして課金、いや下筋の3つから、腰の筋肉から太股の筋肉が支えられていて、これら中筋から下筋をほぐすのだという。
痛みが、走る・・・・。
同時に、しばらくは、緊張が続き、私も走る。
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9月14日、「八頭身」ならぬ「灸頭鍼」を首筋、背中から腰にかけてしていただく。K女医。
鍼を打ったその鍼の上にお灸を据えての治療。K女医によれば、この方法は、慢性にも急性にも、効果がある、とのこと。
実は、9月11日午後にもうかがって、入念なマッサージをお願いしている。
7日BKKへ、8日マルチメディア活用タイ地域・国内コンテスト実施。
10日は午前中、ユネスコバンコク事務所で、APEID関係者に面談し、日本ユネスコパートナーシップ事業への協力を依頼。旧知の仲のMiao氏、MMコンテストで初めてお目にかかったLay-Chen、そして、Benjamoin氏に。加えて、もちろん、アソーシエートエキスパートの横井さん。
その10日の晩の便でBKKを発ち、翌11日帰国・・・・。
また、無理がたたったか・・・。
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