《トンドの極貧状況、長野の自然、そして三国誌の地での感想》
1) Tondo(東都)の Happyland(Ulingan)、Baseco,Dumpsite(Payatas)in Manila
and Quezon City(former capital,1948〜1976) ,Philippines
フィリピンのマニラでの国際フォーラムで発表をすることになり、以前から国際人権授業で視聴覚資料を用いて扱ってきたアジア最大のスラム街(貧民村)といわれる「トンド」やPayatas のDumpsite(ゴミの最終捨て場、埋立地)に行ってその実態を目で確認して来ました。劣悪な環境は予想以上にひどく、決して抜け出せない繰り返される貧困の構造に憤りさえ覚えました。
現地訪問の写真などは以下の新聞の連載記事で確認ができます。写真だけでも「極貧」とは何かをご覧いただけると思います。そして、我々の隣人でもある在日・在韓フィリピン人がなぜこんなに多く、国を離れて暮らしているのか。このTondo地域の水道も電気も、学校も病院もまともにない世界で、一日死ぬほど働いても200円そこそこの稼ぎで一家の生計を賄う彼らに一体何が出きるだろうか、教育の機会も、技術も何も身につける環境も用意できていないトンドのウリンガンの彼らをどのようにしたら人間らしい環境での生活が可能になるのか。真摯に考えてみる一つの素材になれば幸いです。
『Seoul Moonhwa Today』2012年7月5日〜7月11日
@http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14766
Ahttp://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14782
Bhttp://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14823
Chttp://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14841
『世界韓人新聞』(在外韓国人向け新聞)2012年7月4日〜7月6日
@http://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2844
Ahttp://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2847
Bhttp://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2852
同じマニラの地で最低の暮らしをしている隣人を見てみぬふりをする権力者や金持ちがどれほどいるだろう。なぜ、5大財閥や絶対権力を味わってきた特定の名家(金と権力の歴史を享有してきたのが名家といえるかどうかは各自の判断に任せる)は、溢れる富の蓄積・贅の極まりの一部を社会還元したり、持たない人々との配分にはまったく興味がないだろうか。
誰もが死ぬ。その際は何も持っていけない俗な物にしがみ付き、醜い権力の貪欲と腐敗に浸り、極貧と餓えに苦しむ人々をないがしろにする人々の世界、フィリピン。裸で生まれ、一時の夢を見させてもらう「人生」を充実に営み、自分がこの世で使う分としてあまったり節約できる分は社会に還元し、持たない人・助かる人に手を差し伸べ、分け合う意識が少しでも自発的に行われる社会になるなら、このようなスラム街は存在しなくなるだろう。いつになったら彼らに福祉と環境が整い、差別と暴力と腐敗権力者がない、天恵の自然資源をみんなが享受できる時代が来るのだろうか。
(捨てられたゴミを拾って炭を作って生計を立てるトンドのウリンガン村の環境。2012年6月24日現在)
いくら働いても貧困という渦の中で、まっとうな経済的配分を期待することは出来ない現状。宗教という精神的支えさえなかったなら彼らは絶望的で悲惨な毎日にどれほど苦しむだろうと考えると、この国の素朴で純粋な人々のおとなしさを改めて感じました。呼吸もままならなかったトンドの街やケソン市のダンプサイトを歩き、会議場であった最高級のホテルの過消費電力を自慢するかのような冷房によって身体がやられた時、この矛盾こそがマニラの現実だと思い、やるせない気持ちでいっぱい。
人懐こく、乞食行為をしない無欲の子どもたちの笑顔と、その身体の至るところに残されていたゴミの破片の傷に、自分に何ができるかを考えた時間にもなりました。東京に戻っては旧知の医者たちに何とかしようと声をかけたものの、絶望的なあの子どもたちを救うためにはその環境を早急に何とかしなければならないと焦りを感じています。
(腐敗物や廃油等で汚れた海水で泳いで来た子どもたち。右は廃材やゴミから金になるものを漁る子どもたち)
基本的生活の安全と保障ができるプロセスを如何に確保すべきか。
何よりもまずはあの危険なゴミの廃材が散乱する村を裸足で歩く子どもには靴と水と食事が必要。「頑張ればあの沼底を抜け出することができるという希望」を持たせる実用的支援と多様な応援が必要。同情よりも、現実的に手を差し伸べることが必要だと思いました。そして、生涯を人間らしく生きられるためにも、各種技術のスキルを体得できる教育的インフラ(カリキュラムも含む)の開発と提供。それらの教育を受けられる環境保障とその間の経済的支援を政府規模で行うこと。「貧益貧、富益富」の構造にメスを入れ、一定の利益を生み出す企業らの税金対策(良心的社会還元が出来ればなおよいが)の一環としての教育・技術習得施設の環境整備への投資、雇用創出のための施設設置(そのための技術教育が必要)、基本的労働環境が整った工場などの誘致による社会経済の制度が行政的に軌道に乗れば、誠実に働く彼らの生活環境の向上も期待できると思います。
共に生きる国際化社会が進む中、我々はもっと「生き甲斐」のある「生き様」によって「生きる」意味をより意義あることにするためにも、子どもたちの明るい未来のためにも、観光と消費だけの旅行ではなく、トンドのような場所で生き抜こうとする人々に手を差し伸べられる余裕を持つのは大変価値のある生き方に繋がるでしょう。分け合うことで生まれる心の充実さは、金の使い方がわからない貧しい心の金持ちよりもはるかに豊かな生き方になると確信します。
私は教師としての自分にできることが何かを今、真剣に模索し続けています。それぞれの立場からできることを実践すること。そして、少しでも多くの子どもたちの笑顔を守れるなら、我々の社会は明るい未来に向かうと思います。自分にできること、まずは現地を見て来た責任としての報告と、教育に携わる人間としての今後の役割について考えて、良い形でトンドの子らに再会できるような機会を作りたいと考えるこの頃です。(7月6日)
2)鬱蒼とした森の中の素敵なキャンパスが自慢の本学と、北門の向かい側にある名物うどん屋【光月庵】のご夫妻を韓国に紹介しました。緑豊かな本学で魂が癒されるなら、食べ物は学食やダラッパンもあるけど、このご夫妻のうどん屋も素敵。いつまでもお二人が長生きでいらっしゃいますように。(お店は2013年を以って廃業となりました。とても残念!!!)
『Seoul Moonhwa Today』 2012年6月18日付
http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14436
『世界韓人新聞』2012年6月11日付
http://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2804
3)癒しの地・長野(My favorite place,Nagano)
1986年の夏に癒しの地・長野の梓川と安曇野に魅せられて以来、機会を作ってはよく長野に出向いたりしています。ゼミでも旅行でも毎年のように行っているので、今もゼミ生からはゼミ旅行に行こうと先にいわれるほど。
京都時代は岐阜高山から、東京では高速で松本から入ります。約300キロほど走ると、そこは別世界。沢渡から乗り換え。日本の中でももっとも美しいと思う場所です。特に上高地は大好き。
先日、旧知がソウルから見えたので彼女と新緑溢れる大自然の上高地や善光寺、そして、松代象山地下壕に行ってきました。梓川や雪山の穂高連峰、白骨温泉(お湯は最高。でも、上高地からの道は工事中。乗鞍高原を通って冒険をしてきました)で旧知は嘆声。輝かしい新緑と自然の美しさ。感性を持つ人間として生まれてよかったと思える瞬間(もちろん、、白馬や秋田の田沢湖や北海道から沖縄まで素晴らしいところは多々ありますが、この時期の長野は格別に美しいです。)。
善光寺のおやきも人間味があって最高。松代は複雑だけど、やはり戦争は絶対、如何なる状況であっても決してあってはならないことを再確認できた惨めで悲しい場所。隣のお寺の藤の花は見事で、平和に感謝でした。ボランティアの平和ガイドさんの方々にも多謝です。ぜひ皆さんも魅力溢れる、澄んだ空気の長野に足を運んでみてください。日本の素敵な魅力が再発見できるはずです。その紀行文は以下に。写真だけでも癒しになります。
『Seoul Moonwha Today』(Healingの地・長野で韓国の跡を感じる。5回目は研究室の写真まで)
@ http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14234
A http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14239
B http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14261
C http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14262
Dhttp://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=14278
『世界韓人新聞』(釜トンネル、上高地、、善光寺、松代までコンパクトに)
@http://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2775
Ahttp://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2778
Bhttp://www.oktimes.co.kr/news/articleView.html?idxno=2782
4)『三国志』の地・中国の中原で‘桃源の誓い’を思う!!
2月中旬から中国・中原の地で諸葛孔明や屈源の生き様と知恵を改めて考え、『三国志』の史跡や多くの文学者・思想家らに出遭い、様々な辛亥革命の地で貴重な資料を確認して来ました。廬山の美廬(蒋介石や毛沢東ゆかりの)山荘周辺(西洋人の別荘地として開発された)や秀峰瀑布(李白が詩を書いた山。険しく、サバイバルの冒険)も含めて、武漢・武昌から赤壁の地などの江西・湖南・湖北地方を経て、長沙までの実に長い歴史の地を見て、重要人物に関する一次資料などが確認できたのは嬉しい限りでした。
(辛亥革命の地・武漢の武昌を黄鶴楼で見下ろす) (湖南省韶山の毛沢東の生家で)
毛沢東の生家では思わぬ出来事も。いずれ論文や授業内容として皆さんにも報告しましょう。なお、この紀行の詳細は『Seoul Moonhwa Today』『世界韓人新聞』(以下のサイト参照)に8回シリーズで連載されました。
一緒に同行し、激励や暖かい配慮を下さった多くの方々に改めて感謝します。謝謝!!(1204)
@ http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13644
A http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13645
B http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13659
C http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13660
D http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13678
E http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13679
F http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13700
G http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=13701
▼自分の好き勝手に解釈し、自己中心的に武装している「ツゴー(都合)イスト」の蔓延を危惧する
時代は果たしてどこに向かっているのか?
最近、ネット通信の発達とともに有効な情報も多くなった反面、好き勝手に編集され、それが真実かのように一部だけを取り上げている「ツゴウイスト」が多すぎる。そして、良識・教養を身につける立場でもそれらの実体を確認もせず、事実かのように受け止めてしまう。これが持続すると・・・さて、どうなるか?
自分らと同じく考える人がいることを理解しない、リアリティのなさにはびっくりする。最初から反対論で構えたら真実を受け止める余地がなくなってしまう。好戦的発想をなくすことは人間の知恵を培うことでコントロールできるはずだ。しかし、本能制御には人道的良心と知識と事実確認への勇気が必要となってくる。世界を視野にいれることの必要性。それこそグローバル社会への認識。我々が考えるべきところは目先ではなく、しっかりした基盤の平和社会を構築し、後世に残すことである。今の風潮は何をもたらすだろうか。無責任でむやみに自分らを主張ばかりしている「ツゴウイスト」にうんざりする昨今。(201405、久々の雑感)
2010年夏、田内千鶴子が愛した韓国の地と子どもたちを感じるために現地に赴きました。そして、彼女の献身的愛について再確認して来ました。ヒューマニズムと責任の彼女の実践的生涯こそ、共に生きる社会への道しるべではないかと強く思った次第です。
(2010.07、木浦共生園で鄭園長の説明を受ける筆者)
愛された人だからこそその愛を無償に分け与えることが出来たのでしょう。
国境を越えた子育てに献身したその生涯を、私は教壇でもっと広く知らせて行こうと思います。
▼師に恵まれて
ご静養中でいらっしゃる西川長夫先生から出たばかりの大きな著書がおくられてきた。
『植民地主義の時代を生きて』(平凡社、2013年5月発行)。619頁の重みはまさに先生の労力の賜物であり、ちょっとした仕事でも弱音を吐いてしまう昨今の筆者の怠慢を叱責するかのような、79歳の先生が実践的に見せて下さった‘静かなる教育愛’でもある。
西川先生に初めてお会いしたのは院生時代で、国際関係論における「国境の越え方」の理論に戸惑う自分にその解き方をご教示下さり、多文化や共生社会を念頭に入れたフランスの国民国家論と植民地主義批判に関する授業であった。それ以来、筆者にとって先生の影響は大きく響いている。早く完治され、この不安なグロバール時代の乗り越え方を続けてご教示下さることを切に願うのである。
考えてみると、私は研究者としての険しい道のりを支えて下さった多くの師に恵まれた環境であった。地球環境論や科学的なものの考え方と平和学への導きを教えて下さる安斎育郎先生(ちなみに、安斎平和学はASAPの研究所のサイトから確認できる。ある方々は安斎先生は真の天才学者だと評価していますが、弟子たちにとっては揺らぎのない信念で生きる術を教えて下さる、逞しく、繊細な恩師でもあります。)に出遭ったのは大きな幸せである。
さらに、院生時代に挫折した自分に、研究者の道を続けられるように激励下さった中川勝雄・順子先生ご夫妻のご恩を忘れることはできない。愚直に生きる信念で研究者への道を貫くように励まして下さった中川先生ご夫妻をはじめ、池内靖子先生、世界的目線から平和学の実践と構造的暴力を解いて下さったJohan Galtung先生などによって世界を見る視座がずいぶんと変わった。
博士論文に悩んでた時に、今は亡き加藤周一先生からフランス文学運動についての手解きを頂き(先生からはフランス語の激励の手紙を頂き、独学で仏文作品に挑んだ無茶もしたものだ)、加藤先生のご紹介で渡辺一民先生のご指導を頂けたことは大きかった。さらに、未熟さ故の私のクラルテ論にA.グラムシとバルビュスについて教えて下さったM.H先生や研究者への道を引っ張って下さったG.M先生、そして今の私を支えて下さるT.S夫妻にも深く感謝するのみである。
さらに、日韓近代文学に関してだけではなく、個人的に大切にしていた資料などを譲って下さり、筆者の博論を応援して下さった故・小田切秀雄先生や、「ビジネスで絶対成功できるぞ〜」と元気付けるように、日本の社会労働運動や近代経済事情を教えて下さった故・塩田庄兵衛先生、在日研究のため必要だった貴重な文献と激励を手紙で励まして下さった故・祖父江昭二先生や故・鄭早苗先生、『三千里』全巻などで応援を頂いた故・李進煕先生(呉文子先生のご配慮に多謝です)、ロマン・ローランと平和思想で激励下さった故・尾埜善司弁護士、『種蒔く人』研究で応援を下さった故・近江谷左馬之介先生と桐山清井先生など、多くの方々をも失ってきた。
しかし、今だに研究者としての丁寧な仕事や現場主義を見せて下さる近代言論史の鄭晋錫先生や大村益夫先生(詩人・尹東柱の墓を探し、日韓文学関係に多大な功績を残す方)、日本近代史関係でご教示下さる宮地正人先生、本人も闘病中でありながら姉のように心配して下さり、作品活動を続ける詩人・李海仁修女、88歳でも現役で作品を書き続ける文壇の歴史でいらっしゃる金石範先生などを初め、ある意味で生涯を研究にかけたかのような「モンスター」のような先輩や同僚(特に山口のバカセトリオの刺激は大きい)・後輩などなどなどなど、ここには全部紹介できない多くの研究者たちに出会ってきたのは幸いだったが、時間に追われっぱなしの自分が時々情けなくなって仕方がない。
今になっては自分に見合った道を歩むほかないのだが、こういった出会いの中で培ってきた研究者としての姿勢は「丁寧かつ地道な仕事」と「生涯現役で成長し続ける」ことへの願望のみである。24時間は限られており、やっていかねばならない仕事は山積である。しかし、地道だが、誠実な研究を通して自分と関わる人々、特に受講生らに仕事の内容を丁寧に伝えていけるように頑張ること。それが自分の役割だと改めて考えてみる。未来志向的批判精神は持つものの、歪みすぎて排他的ないし独善的主張にならないように、自分を保つこと。簡単ではないが、周辺に振り回されない構え方。この時代にここにいる意味や、明日のために自分がやるべきこと、できることへの追求。
時間の確保はそう容易ではないが、マラソンのために癒しを確保しつつ、幅広い知識の吸収で良質の教育を心がけるためにも、有効な時間の使い方に尽力しなければ。
(130605. B.Russellやニーチェの本と、届いた西川先生の本を眺めながら反省中の凡才)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔惜別〕・・・この間の記憶の時間・・・
*私の院生時代から学問的にご指導頂いた渡辺一民先生が2013年12月21日に永眠となりました。渡辺先生にお会いできたのは故・加藤周一先生からの紹介によるものでした。以後、フランスのクラルテ国際文化運動を研究していた私に最も良い理解者のお一人として、博士論文の執筆やその審査委員、その後も様々な激励を頂いたのですが、残念ながら先生に二度と会うことが出来ません。胸が苦しみます。
関東の渡辺一民先生、関西の西川長夫先生、仏文学における大きな方々が亡くなられ、個人的にも1995年の「仏・日・韓クラルテ国際シンポジウム」以来、ずっと研究者への道を支えて下さったお二人を失い、父も去った2013年の冬がとても残酷に思えてなりません。尊敬する渡辺先生、そして西川先生、どうか安らかにお眠り下さいませ。本当にありがとうございました。
*2013年末に父と、恩師の一人でいらっしゃる西川長夫先生が永眠となりました。後悔ばかりのお別れ。記憶が続く限り反省の時間になると思います。親は生きている間に親孝行をすべきだと強く思うこの頃。西川先生からは遺作となった『植民地主義の時代を生きて』(平凡社)とお葉書を頂きましたが、父と同じ時期に亡くなられました。胸が痛む毎日・・・それでも前向きに生きていかねば。(2014年新学期に)
*広開土王碑文研究で著名の李進煕先生が先日、おなくなりになりました。お連れ合い様の呉文子先生とは一緒に在日関連の共同研究中であったため、大変な状況の下で研究に携わって下さったことに感謝するのみです。李進煕先生とは2年前の大使館主催のパーティーで出会ったのが最後になってしまいましたが、故人のご冥福をお祈りいたします。学務などが重なってしまい、本日のお通夜にもお伺いできず、呉先生には申し訳ありません。(2012.04.18)
*弁護士としてだけではなく、文学や音楽にも幅広い知識をお持ちであった尾埜善司先生から毎年「ONO ZENJI CALENDAR」が届くことで、あ〜、また一年が始まるのかと気づく昨今でしたが、2010年夏からはイギリスで研究専念期間を過ごしていたため、カレンダーを遅く拝見。年明けに飾ろうと思ってカレンダーをめぐってびっくり。2010年12月15日に79歳で永眠なさったのです。
先生とは1996年、私らが企画に携わった京都立命館大学での仏日韓クラルテ国際シンポの際にロマンローランとアンリ・バルビュスについてお話を頂いたのを契機に、機会ある時に連絡し合っておりました。また、大阪弁護士会の会長の経歴もお持ちで、何度も法的知識を頂いたこともあります。
あの明るい尾埜先生の笑顔や、素敵な作品を拝見できなくなったのは残念でなりません。遅くなって申し訳ないですが、先生のご冥福をお祈り申し上げます。尾埜先生、これまでありがとうございました。
*一緒に共同研究中だった朝鮮史の鄭早苗先生(当時、大谷大学教授)が2010年2月4日、永眠されました。生涯を韓半島の歴史研究と在日コリアンの社会的位置づけ、人権問題に献身した一途な生き方でした。奈良教育大学での百済文化シンポジウムにに来られた時に見せたその笑顔を忘れることはできません。年末の依頼原稿を頂いたのが遺稿となってしまうとは。儚く、早すぎた、働きすぎたその死に心よりご冥福を祈るばかりです。(2010.02.05)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・