「護身用のナイフ」をめぐる雑感二題(2)

「護身用」のナイフをめぐる雑感(1)の読者の方から早くもメールをちょうだいしました。図らずもその内容は、私が(2)として書くつもりだったことと重なっていました。すなわち、(2)なぜ青少年はナイフを携帯したがるのか? そしていつどのようにしてナイフを必要としなくなるのか? です。

率直に言えば、一般的なことは何も言えない、ということになります。

ほとんど根拠なしに言わせてもらえば、かなり多くの青少年にとっては、ナイフの携帯が流行だから、でしょう。ヌンチャク、特殊警棒、そしてバタフライナイフ。ちょっと悪ぶってみたい青少年が飛びつくアイテムは、いつの時代にも画一的です。

ただし、バタフライを一躍有名にした人気俳優主演ドラマ放映の十年以上前から、バタフライナイフを携帯している青少年はいました。私自身、自動車で走行中、バタフライを開閉させながら自転車をこいでいる高校生を目撃したことがあります。もとより、それがバタフライナイフであると一目でわかった私自身、人後に落ちずナイフに惹かれる青年だったわけですが。

流行とは無関係に、ナイフに惹かれてしまう青少年というのは確かにいるようです。かくいう私もその一人でした。私の興味はむしろそちらの、どちらかといえば少数派に属する青少年の動機です。

なお、ここに示すのは、いくらか書き言葉を操れるようにになった今の私が、ナイフを携帯する少年だった四半世紀前の私を対象化して得られた知見にすぎないことをあらかじめお断りしておきます。

結論からいえば、彼らは「護身用」のナイフで「魂」を守っている、ということです。もっとかっこうわるく言えば、「御守り代わり」です。アメリカの人気漫画に、常に毛布を抱きしめている幼児が登場しますが、あの毛布と似たようなものだと思えばよいでしょうか。ただし依然として、「なぜ毛布ではだめでナイフでなければならないのか?」という疑問は残りますが。

個人的な話から始めましょう。私は小学校5年生の時に鉛筆をナイフで削り始め、その直後に父から一丁のナイフを譲られました。カッターナイフや「ボンナイフ(カミソリの刃を使った折りたたみ式ナイフ)」では刃が薄く、初心者が鉛筆を削るには不向きだとの配慮からでした。鉛筆を削るという目的が、ナイフを携帯する方便だったのかどうか、それは私にもわかりません。

中学校の部活動で「木工部」に所属した私は、中学2年から3年にかけて、のみ、かんな、のこぎり、きりなどの刃物がつまった道具箱を毎日持って通学していましたが、その期間を含めて、鉛筆削り用ナイフだけはペンケースに入れて携帯しました。同級生のいたずらで刃先を折られたくらいですから、きっと見せびらかしたはずですし、「なぜそんなものを持っている?」と尋ねられれば、「護身用」と答えていたような記憶があります。

ナイフが「護身用」の役になど立たないことは、理屈ではなく、ある事件によって思い切り具体的に明らかになりました。

それは、私が自覚的に危機管理を考えるようになる直接のきっかけとなった事件でしたが、些細なことから番長グループに言いがかりをつけられ、「謝れ」と言われて「謝る理由などない」と拒否したところめった打ちにされた、というものでした。正義が勝つとは限らないのが世の中です。

なお、この一件は校内に「山田が番長とケンカした」と誤って伝えられ、いじめられっ子だった私は一夜にして一目置かれる存在となりました。人間万事塞翁が馬。

校長と担任は事件のもみ消し以外何もしてくれませんでしたが、部活動の顧問から忠告がありました。

「子分の見ている前で、「ガリ勉」一人どんなに殴っても土下座させられなかったのは、番長にとって格好悪いことに違いない。体面を保つためにまた襲撃があるかもしれないから用心するように

さて困った、いったいどんな用心をすればいいのだろう。

他人事だと思って気楽な同級生たちは、いつもナイフを持っているのだからそれで立ち向かえばいいじゃないか、などと言うのですが、折りたたみナイフをケンカに使えば間違いなく自分の指を切りますし、何より刃傷沙汰になったらケンカに勝っても社会的生命は断たれます

とにかく逃げよう。さしあたり、校内は人目があるから体育館の裏などに行かなければ安全だろう。呼び出されたら言いつければよい。問題は通学路だ。我が家の周辺は新興住宅地で人通りも少ないし、自宅を突き止められでもしたらえらいことになる。

そう思って、下校時はわざと遠回りをし、毎日のようにルートを変更し、曲がり角を曲がるときは尾行の有無を確認するようになりました。今から思えばPTSD(心的外傷後ストレス障害)の一種なのでしょうが、本人は真剣です。本人の気のすむようにさせるしかありません。

ところが、それほど苦労したにもかかわらず、自宅に着く前の最後の曲がり角を曲がるところを目撃されたら一巻の終わりだと言うことがわかりました。三叉路になっているその角は、一方は住宅街の中の迷路のような路地に通じているので、走って逃げれば追っ手をまくことも可能ですが、もう一方は事実上行き止まりで、その路地に面している家は我が家を含めて数軒しかないのでした。

最後の角は、周囲に番長グループとおぼしき人影がないことを確認して、全力疾走で駆け抜けることにしました。

とても長い前フリにおつきあいいただき、ありがとうございました。この全力疾走の間、いつも私は、刃を折りたたんだままで、例の鉛筆削り用のナイフを握りしめていました。毎日携帯している道具箱の中には、金槌とか釘抜きとか、もっとケンカの役に立ちそうな道具はたくさん入っていたのに、です。

あの時の私と同じような恐怖感を、日常的に感じて生活している青少年が、きっとほかにも、そして今でもいるのでしょう。そしておそらく私も、あの全力疾走の間とよく似た「目に見えない何者かにつけねらわれている」という恐怖感を、日々うっすらと感じていたのでしょう。

では、なぜ毛布でなく、釘抜きや金槌でもなく、ナイフでなければならないか?

私の場合、携帯していたナイフが父から譲られたものであった点で「家宝」だから、という仮説も成り立つのですが、市販のバタフライナイフを携帯している青少年にはあてはまりません。

あまり確信はないのですが、「日本人だから」ではないでしょうか。

  • 三種の神器に「草薙の剣」が含まれているように、
  • 戦場で兵器として使用されることはほとんどなかったらしいにもかかわらず(だから状態のよいものが大量に残っている)日本刀が「武士の魂」といわれたように、
  • 火器が発達した近代戦争においてさえ将校が、冷静に考えれば邪魔でしかない日本刀を携えて戦地におもむいたように、
  • そしてその日本刀で何十人も斬った、などという日本刀の構造上ほぼ不可能なほら話を史実であるかのように信じている人が今でもいるように、
  • 歌舞伎や漫画に石や鉄を一刀両断にする「名刀」や「剣豪」が登場するように、

  • 我々は刃物に霊的な力を感じてしまうのではないでしょうか。

    何しろ相手は目に見えないのです。霊的な、といって悪ければ象徴的な力に頼るしかありません。

    そういえば、「両親の夫婦仲が悪いので、子供のころ、夫婦げんかがあった夜に、家中の刃物を抱いて寝たことがある」という知人が二人、トーク番組でそう語っていた芸能人が一人いますが、この「刃物を抱いて寝る」という行為は、夫婦げんかが刃傷沙汰に発展するのを抑止するという悲しく合理的な目的と同時に、そんな殺伐とした家庭で凛として立とうとする悲壮な覚悟を感じさせます。

    さて、最後の疑問、人はいつ、どのようにしてナイフを必要としなくなるのか。

    これには、とりあえず二つの答えがあります。

    一つは、たぶん、こちらの方が本質的なのですが、「せかいとのわかい」が成立したから世界はこちらに致命傷を与えるほど残酷には攻めてこない、と確信できたときに、「世界」という漠然と巨大なものに立ち向かうための霊的な力は必要なくなります。

    一方、「せかいとのわかい」が可能になる程度にまで、ナイフへの興味を徐々に失ってゆくのはなぜかといえば、

    御守り代わりになるようなナイフは、道具として使い勝手が悪いから

    私が初代の鉛筆削り用ナイフを携帯しなくなったのは、重くて大きくて、当時流行の細身のペンケースに収まりきらない上に、刃を研ぐのが苦手だったからでした。やがて替え刃式や使い捨てのナイフに持ち替えてゆきましたが、200円くらいで手に入る使い捨てのナイフは、御守り代わりと呼ぶにはあまりにも安っぽいのです。これで邪気を払おうという人は、よほど追いつめられた人だけでしょう。こんな頼りないナイフしか持っていなくても、「世界」が攻めてこなければ、ナイフなしで生活してみようと考えるまではあと一歩です。

    道具としてナイフを使わなければ、後者の理由でナイフへの興味を失うことは期待しにくいでしょう。それは結局、「せかいとのわかい」を遅らせることになるのかもしれません。ナイフを道具として使うことを、私が推奨する理由の一つはそこにあります。

    ただし、「せかいとのわかい」がいつ、どんな形で訪れるかは、本人を含めて誰にもわからないことです。我々にできるのは、たぶん、ただ祈りながら待つことです。短兵急に「どうしたらいいんでしょう?」と訊かないでください。小さいけれどどうにもできないことは、世の中にたくさんあるのです。

    なんだか歯切れの悪い締めくくりになってしまいました。お粗末。

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