戦争当事国に行って来た

「第三次世界大戦勃発」から2年が経ちました。

そういえば、今年7月に渡米したときも、風景は「戦争当事国」そのものでした。

研究会の大会校となった大学のキャンパス内には、窓ガラスに小さく"SAY NO TO WAR(戦争反対)"の手書き文字。教会の表には"PEACE(平和)"の横断幕。

その一方で、"We Support Our Troop(派遣軍を支持します)"や"God Bless Our Troop(派遣軍に神のご加護を)"といったプラカードを出している民家も複数あり。「我らが部隊(Our Troop)」という表現は、日本ではまず見あたらないもの。そういえば、路線バスでは軍の身分証を提示して割引運賃の適用を受けている人がいました。一朝事ありし時は命をかけていただくからには、バス賃くらいおまけしちゃうよ、ということのようです。

いずれにしても、この種のプラカードの多くが見事な活字体で書かれていて手書きのほうが例外だということは、業者が書いているかホームセンターのようなところに売っているかのどちらかでしょう。何でも金儲けの種になるものです。

研究会の最終日には、現会長がギターの弾き語りで自慢の歌声を披露してくれたのですが、いつの間にか往年のベトナム反戦歌「花はどこへ行った」の大合唱になっていたりして。

ああ、この国は今戦争をしているのだ、とあらためて感じました。

研究会の間にすでに聞いていたことではありましたが、帰りの空港では靴を脱がされ(靴に爆弾を仕込むテロリストがいるらしく、靴をX線スキャンにかける)、貨物室に預ける荷物は奥の奥まで目視と手探りで検査された上「鍵をかけずに預けろ」と不安この上ない指示を受け、なぜか年配の女性を狙い撃ちに、脇の下からポケットの中まで金属探知器でスキャンされている乗客さえいたりして。

そういえば、ヒアリング力の貧弱さを克服しようと、帰国してから十数年ぶりに聞き始めた「泥縄」のAFN(昔のFEN。在日米軍放送網。うちの父は今だに「進駐軍放送」と呼ぶ。当然全編英語)でも、「赤十字に協力して同胞を救おう」とか「軍服を紛失したらすぐ届け出ましょう。テロリストに悪用される恐れがあります(っていうか、紛失すんなよそんなもの)」とか「我、イラクでかく戦えり」とか、第二次大戦中の日系人部隊がいかに勇敢だったかとか、そういった公共広告や番組が目に見えて増えていて、ここも「戦時下」でした。

ちなみに、イラク戦争勃発の日、羽田空港で戦闘服を着て大荷物を抱えた米兵二名と同じエレベータに乗り合わせました。「イラクまで2枚、あればビジネスシートね」ってな感じで、羽田発でこれから戦争に行くように見えました。後日、職業柄米軍に詳しい知人に確認したところ、米軍も出張に民間機を使うことは多いらしく、彼らが戦闘服を着ているからといってこれから戦地に赴くとは限らないのだそうでした。 

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