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コンピュータが教室に到着したときの様子。

 コンピュータを巡る小さなストーリー

 僕が担当しているグラフィックデザインの1年生教室には学生用のコンピュータが1台もなくて、デザインといえば、せいぜい画用紙に絵の具で色を塗る程度の授業しかできない。学生たちはアクリルガッシュと呼ばれる専用の絵の具を使って思いついた色を次々に置いていくのだが、色についても造形についてもトレーニングがまだ不十分で、どんなにひいき目に見たとしても、それをデザインと呼ぶには無理がある。まだ1年目の半期が過ぎたばかりで、それは致し方ないようにも思えるが、彼らは2年間の課程を終えたあと就職しなくてはならない。そう考えると悠長に構えて熱心に絵筆のトレーニングばかりを積んでいる時間などなく、一刻も早くコンピュータスキルを学ばなくてはならないという危機感を覚える。コンピュータの優れた点は色彩や形状のシミュレーションが合理的にできることだ。絵の具による手作業に比べれば遥かにスピーディだし、ミスをしても前に戻ることができる。多くのパターンを見比べることもできる。これはデザインをする上でとても重要なことだ。というのも、モンゴル国内のグラフィックデザインの仕事現場では既にDTP(デスクトップ・パブリッシング=コンピュータでデザイン制作を行うこと)が定着しつつあって、どんなデザイン事務所でもデザイン用のコンピュータ・プログラムを自在に操りながら仕事が進められている。コンピュータ・プログラムとは、例えばAdobe社のPHOTOSHOPである。僕は一度、この国で業界の最前線に立つデザイン会社を訪問したことがあるのだけれど、そのオフィス空間は日本のそれとたいして違わないものだった。スタッフは素早くキーボードを叩き、マウスを滑らせていた。カラー・レーザープリンタもそこにはあった。モンゴルのデザイナーも、そうした技術がなければ働くことができない時代になっているのである。手作業を軽視したい訳ではないし、そのトレーニングの意味もそれなりに僕は承知しているつもりだけれど、僕が通う学校のような専門学校の学生には、即戦力のようなものを身につけさせることが優先されなくてはならない状況にある。それは日本の場合でも同じことが言えると思う。

 学校の教育環境と職場の仕事環境の大きなギャップが、業界の全ての人を不幸にしているという状況にあった。学生は就職が思うようにできないし、雇用者は即戦力となる人材の確保が困難になっている。モンゴルという国がいくら支援を受けている国だと言っても、すでにコンピュータは、かなり一般的なビジネスツールになっているのだ。
 
 このような状況であるにも関わらず、どういう訳かグラフィックデザインコースにはコンピュータがなかった。学長に何度も購入依頼の申請をしてきたが、どうにも予算を確保することが難しく、拒否され続けてきた。同僚のデザイン教師、アリオンボルドさんは、申請が却下されるたびに失意の表情を浮かべ、まただめだったよ、とこぼしていた。これほどまでに悲しい表情をするのは、彼のこれまでの卒業生たちの多くが、やはりデザイン会社に就職できず、過酷な肉体労働を強いられるか、無職のままあてもなくウランバートル市内をさまようような人間に成り下がっているのをよく知っているからである。僕はその表情をみるのが、最も辛く悲しかった。露店の女に釣り銭をごまかされるよりもはるかに悔しい気分にもなった。こんな状況では、国際機関がどんなに優れた人材やプログラムを送り込んだとしても、意味のないことのように思われた。

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教室に配置されたコンピュータに、さっそく興味津々の学生たち。

 そんな日々を過ごしていた先週のある日、教室にコンピュータが突然やってきた。16台ものコンピュータが一斉に搬入され、学生たちから、ちょっとしたどよめきが起きた。デスクトップコンピュータが15台にラップトップコンピュータが1台だ。それにインクジェットプリンタも一緒に来た。学生はまるで黒船を見物するかのように目を丸くして驚き、呆然としていた。納入業者が次々と梱包用の段ボールを積み上げていく様子にただ溜息をつくばかりだった。

 僕はアリオンボルドさんと一緒に、国際協力機構(JICA)の資金援助プログラムとコンタクトをとり、コンピュータの提供を申請していたのだった。学校からの提供が無理なのであれば、別の方法を検討する以外になかった。機材の使用計画書や見積書などを添付し、およそ2ヶ月間かけて必要な書類を揃えた。僕がコンピュータにたいして詳しくないことに加え、専門用語やビジネス用語をモンゴル語で説明することに、おそろしく苦労した。夥しい数の見積書をとることや、納期の指示や支払いの方法、税に関するやりとりを全てモンゴル語で説明しなくてはならず、コミュニケーションの行き違いもあった。業者に思わぬ誤解をさせたこともある。正直に書けば、危うく大きな問題に発展するような危機もあった。それでもアリオンボルドさんは穏やかに僕に協力してくれた。「金銭」や「信用」について話をするときに、僕たちはひどく神経質になった。僕には、この国の商習慣についても知識がなかった。国際協力機構の日本的な習慣とモンゴルの小売店の習慣の間に折り合いをつけることも決してやさしいことではなかった。授業を終えたあと毎日のように、二人でウランバートル市内の数多くのコンピュータ店をさまよっていた。申請をしても却下される場合は当然ある。忙しかった年末の頃は、モンゴルの寒さが本当に身にしみたものだ。

 コンピュータが無事に納品され、学生が帰っていった夜、アリオンボルドさんが「これは、夢じゃないよね、いや、これは確かに現実だ」といって自分の頬をつねってみせた。それは彼特有のジョークのようにも見えたが、幾分か本音を言っているようにも見えた。涙を浮かべるような素振りもみせた。彼にとってコンピュータの設置は実に長い間の悲願だった。彼の教師としての情熱は、夏のモンゴルの青い空のように純粋で雄大なものであるが、教室の環境は、これまでずっと、この国の冬の凍り付いた雲と薄汚い煤煙のような鈍い色に覆われていた。今、初めて春の兆しを迎えるような様子になった。モンゴルでは5月頃までしぶとく雪が降るのと同様に、簡単には暖かな春を迎えさせてくれないかもしれない。根気づよく学生が成長していくことを願うだけだ。

 日本では巨大地震による大きな被害があった。そんな苦難を強いられた状況にも関わらず、こうして日本国民の税金によって、我々の学生のためにコンピュータを購入してくれたことに心から感謝したい。とにかくこれからは、学生とともに頑張ること。それだけです。と彼は語った。その言葉は、不思議と僕の胸を打つ。

 この学校のグラフィックデザインコースは、少なくとも、ようやくスタート地点に立つことができた。

▼モンゴル通信もVol.10を迎えました。桐山さんへのメッセージよろしくお願いします。

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。03年に東京学芸大学卒業。会社勤務を経て2011年3月より国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊プログラムでモンゴルのウランバートルにグラフィックデザイン教員として派遣されている。期間は2年間。
なお、表題の“МОНГОЛ”は「モンゴル」と読む。モンゴルではこのキリル文字が公用文字。


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