71期
鈴木さん
こんにちは 71 期の鈴木憲子です。中学時代は女子バスケ部キャプテンや保健委員会委員長、卒業アルバム委員会委員長を務めていました。その後、東京学芸大学附属高校へ進学し、現在は薬学部に通う大学生です。中学生の頃はバスケにどっぷりハマり、休み時間には真っ先に体育館へ行き、バスケをする学校生活を送っていました。
そんな私が思う竹早中学校の大きな特徴は、部活動に卒業生が多く訪れることです。私自身、竹早中学校を卒業して数年がたちますが、今でも部活動に顔を出し続けています。これには、自分が中学生の時に卒業生に教えていただいたことを後輩にも伝えたい、そんな思いがあります。この連鎖が当たり前のように存在することが他の中学校にはない特徴であると思います。
そして、このような縦のつながりは在学中から垣間見えます。運動会や合唱コンクールなどがその代表例です。運動会では、昼休みの時間を使って、当たり前のように先輩が後輩に競技のコツを教えたり、合唱コンクールでは生徒自らが担任の先生に相談をして、他学年との合同練習を企画したりと先輩から後輩に教える姿が多々見られます。生徒の主体性が、縦のつながりによって連鎖していく、それが竹早中学校の特徴だと感じます。
私自身、主体的に行動するということを竹早中学校で学びました。小学校時代は授業中に当てられても、まともに人前で発表ができない引っ込み思案な子でした。しかし、竹早中学校で憧れの先輩を見つけ、先輩のようになりたいと思ったことがきっかけで中学二年生の頃から様々なことに、積極的に取り組むようになりました。そして、高校ではバスケ部キャプテンや、ホームルーム委員会の課長を務めたり、探究活動で研究した内容を数百人がいる人前で発表したりと、活動の幅を広げていきました。
竹早中学校での生活は、自分に自信が持てるようになるきっかけが多くあり、自信を持って行動することで、新たな出会いが生まれ、活動の幅が広がる好循環ができました。そんな私は現在、大学での活動の他に小学校の特別支援学級でボランティア活動をしています。まだ将来のビジョンは明確に定まっていませんが、薬剤師という資格を活かしつつ、今までの経験を活かして、障がいの有無に関係ない地域の居場所づくりをしたいと考えています。
68期
田代さん
竹早中学校は僕にとって、 「教えてくれる学校」ではなく、 「学ばせてくれる学校」でした。 一 一つの授業で教科書に載っている知識が本当に正しいのか自分達で調べたり、 自分自身や友達と考える時間が取られ、 また自分で考えた意見を発表する機会が多く設けられていました。 例えば数学の授業ではサイコロで各数字の出る確率が等しい事を調べるために、 一人100回サイコロを振り、 クラス全体で合計しておよそ正しい事を確認したり、 国語の授業では物語の中の台詞の意味をクラス全員で議論したことを覚えています。 先生方が、 ただ教科書の内容を教える一方通行の授業にならないように注意を払って下さっていました。
先生方のこの姿勢は普段の学校生活でも徹底されており、 運動会や文化祭のイベントの際、 運営は常に生徒主体で、 先生はルールの確認やアドバイスを下さるスタンスを取っておられました。
この様な環境で学校生活を送る中で私は「相手の意見と相手自身は全く別だ」と気づきました。 初めは意見が異なる友人と喧嘩になることが何度かありましたが話し合いの機会を重ねるにつれて、 例え意見が違ったとしても友人は友人であり、 そこには何の関係も無いと考えるようになりました。 周りの友人達も同じ様な考えを持ち、 その結果学年全体でお互いの意見や個性を尊重する空気が流れていました。 そのおかげで家族や学校外の友人には話し辛い話題でも、 竹早中学校の友人には臆することなく話すことができました。
現在私は大学で化学について学んでいます。 研究を行っていると、 その内容や方法について教授から指摘や修正を受けることがあります。 自分のやり方が上手くいかない事は残念ですが、 中学校での学びから、 教授に自分自身を否定されている訳では無い事を知っているため、 落ち込まず次の研究を考えることができています。 竹早中学校で自ら多くの学びを得ることができたことは私の人生にとって大きな財産です。
74期
清水さん
外部⽣としてこの⽵早中学校に⼊学することになり、⼊学前は内部⽣の輪に馴染めるかなどの不安も⼤きかったがその⼼配は杞憂に終わった。⼊ってすぐすると内部・外部という各々の背景が感じられなくなるほどに交友関係が広がっていき、⼀つの「⽵中⽣」というものになっていった。そこからの⽇々はあっという間だった。
毎⽇が本当に本当に楽しくてたまらなかった。都⼤会という⼀つの⽬標に向けて顧問の先⽣と仲間とバレーボールに向き合ったこと、合唱コンクール・運動会でクラスのメンバーと⼀つになれたこと、レポートの提出や中間期末に向けて友達と⼀緒に焦りながら勉強していたこと。特に、3年⽣になって経験した⽂研委員会の委員⻑ではコロナウイルスによって中⽌が続いていた合唱コンクールを復活させて、先⽣⽅や委員会の仲間たちなど周りの⼈たちと共に何かを成し遂げるという経験をすることができ、⽣徒の思いに全⼒で応えてくれる⽵早でしか成し得なかったことだと思う。
卒業した今振り返ってみると、あの毎⽇は本当にかけがえのないものだった。何物にも変え難いほど⼤切で、特別だった。温かく、時に厳しく指導してくれた先⽣⽅のおかげで⼀⼈の⼈間として⼤きく成⻑することができた。⽵早という学舎での⻑い様で短い3年間は必ずあなたの⼈⽣の宝物の⼀つになるでしょう。