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春の雪

 春の空のような女性

  5月のモンゴルの気候は不思議だ。摂氏20度くらいの日が続いたかと思うと急に零下になることがある。春の訪れにうかれて薄手の洋服を着てみた日に限って雪が降ってくる。普段はほとんど降らないはずの雨や雪が大量に降った挙げ句、分厚い雲たちは何事もなかったように知らん顔でどこかにさっと逃げてしまう。茶色の土が露になった遠くに見える山脈に白く寒々しい雪をうっすらと残して。太陽が顔を出すと、近くに見える建物の輪郭が白くくっきり見えるようになる。ときに、急に風が強くなり、激しい砂嵐が起きる。ひどいときには200メートル先が全く見えなくなるほどだ。ついこないだまで、照りつける日差しにうんざりしていたのに、驚くような変化だ。

  激しい風とめまぐるしく変化する気温のために、この季節にはモンゴル人でさえ体調を崩すことがあるらしい。このような気候はモンゴルの人々の生活文化にも影響を与えているようで、例えば、「春の空のような性格の女」という言葉がある。「美しい心を持った穏やかな女性」という意味ではない。モンゴルの春の気候ような、気性が激しく考え方がめまぐるしく変わる厄介な女、ということらしい。あるモンゴル人女性教師が親切に教えてくれた。あたかも私はそんな女性ではありませんよという表情で。そういえば街を歩いていると、男女関係のもつれからか、女性が男性を相手に激しく罵っていたり、殴り掛かっていたりするところを見かけることがある。もちろんこちらは春に限ったことではないのだが。

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このような暖かい日と寒い日が交互にやってくる

  このような変化の激しい季節に、学校では卒業試験が開催されている。5月をもって卒業を迎えるために、今は学生も教師たちも慌ただしい様子だ。僕の勤務する専門学校の美術・デザインコースの卒業試験には卒業制作作品の提出が求められている。学生が自身の作品を携えて全ての美術教員たちが待ち構える会議室に、おずおずと入ってくる。審査は原則として一人ずつ行われる。担当指導教官が手短に学生の紹介を行なったあと、学生は自身の作品に関する説明をすることになっている。神妙な顔をして手を振るわせている学生さえいる。

  2年間の成果をきちんと披露できた学生もいれば、そうでない学生もいて、そのことは講師の立場から眺めていると興味深い。よほどのことがなければ、卒業試験で失格になることはないようだが、実際のところ、僕の知る限りでは、1名だけ失格判定を受けていた。講義や演習にろくに出席せず、おまけに作品の品質もひどいとなると、卒業資格を与える学校の名誉のためにも失格はやむを得ないのだ、と副学長がその場で語っていた。とはいえ、猶予期間内にもう一度作品を提出し、それが十分な品質であれば合格にしてもらえるらしい。

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彫刻科の学生の試験の様子

  全体の傾向として、学生たちは人前で話をすることが苦手だな、と思った。作品について説明する段になると、黙り込んでしまう学生が少なくない。なんの準備もしないでそこへやってきたのか、大勢の教員を前に声が出ないほど緊張をしているのか、その辺りの事情はよく分からないのだけれど、顔を真っ赤にして何も話さない。ある教師が、「さあさあ、話しなさい。話さなければ単位を出さないわよ」と追い打ちをかけると、いよいよ学生は前を向くことさえできなくなってしまう。「さあ」とか「早く話しなさい」という教師たちの命令は、むなしく学生の後ろにある鉛色の壁に響くだけだ。まるで検察官の恐ろしい取り調べに黙する容疑者のように。そういう学生が壇上に立つと、何もことが進まずいたずらに大量の時間だけが過ぎていく。教師たちもいらいらを隠さない。本当にお気の毒な光景である。

  ある黙り込んだ学生に対して、しばらくして一人の男性教師が、「じゃあ、まず材料にはどんなものを使ったんだい?」と気さくな雰囲気で切り出した。続けて、どうしてそれを選んだのか覚えてる?といった問いかけをする。黙りこくっていた学生も、このように尋ねられれば困難なく答えられるようだった。最後には、教師たちが求めていた作品の制作目的や主旨といった抽象的な内容さえ引き出すことができた。学生を追いつめることに大きな意味がないのなら、これはなかなかよい方法だ。それまで漂っていた絶望的な雰囲気も徐々に和らいでくる。その一人の教師のお陰で、学生たちの何人かはずいぶん救われたようだった。僕にはやりとりの詳細が語学力の問題で分からなかったが、こういう光景は見ていてほっとさせられる。

  ところで、5月の後半になると卒業制作展示会がスタートすることになっている。国立近代ギャラリーという場所を借りて行われるそうだ。これを乗り越えれば、学生たちは厳しい5月の気候と厳しい卒業制作の両方から解放されて、いよいよ素晴らしい夏のヴァカンスを迎えることになる。春の空のような心持ちの学生も、きっとその頃には夏の空のように爽快になることだろう。モンゴルの夏の空は本当に美しい。

▼卒業試験がこの時期にあるんですね!?学生たちの緊張感とともに、指導にあたった先生たちの心情も伝わってきます。モンゴルの美しい夏空が待遠しいですね。

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。03年に東京学芸大学卒業。会社勤務を経て2011年3月より国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊プログラムでモンゴルのウランバートルにグラフィックデザイン教員として派遣されている。期間は2年間。
なお、表題の“МОНГОЛ”は「モンゴル」と読む。モンゴルではこのキリル文字が公用文字。


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