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展示会場の入り口のパネル

 100年前の風景を見に行く

  スフバートル・スクエアの東側の道をちょっと入ったところに国立近代美術館がある。その辺りにはスポーツセンターや歌劇場、コンサートホールといった大きな公共施設がいくつか集まっていて、シンプルに言ってみるなら、その一帯はウランバートル・シティの中心地といった感じ。ホテルがあり、レストランやパブがあり、大学や高層マンションが軒を連ねている。目一杯大きな看板を掲げた零細企業の事務所もあれば、大企業のクールな装いのブランチもある。目抜き通りにはラーメン屋さえある。一角には街中でもっとも背の高い建物があるせいで幾分薄暗い気がする。日の光が差さないから。ときどき見かける愛想の悪い長身のモンゴル人みたいにずっとそこに突っ立っている。にこりともしない。

  どういう訳でこんなにも窮屈にたくさんのビルを建ててしまったのだろう。モンゴルの土地がものすごく広いことは地図をみればすぐに分かるのに。モンゴルの人たちの大らかな性格に合ってないのでは?余計なお世話だよと言われてしまうかもしれない。でもいろんなものが密集しているせいで、毎日、道路では自動車の大渋滞が起きている。それに、こんなに広い国なのだし、何もマンションの10階に暮らさなくてもいいような気もする。際限のない広い土地で遊牧をしながらゲル(移動式テント住居)に住んでいた人たちがこぞって都会に集まってきたわりに、ゆったりした空間がないような気がするのは僕だけなのだろうか。でも、実はゲルの中はワンルーム・マンションみたいに一部屋なのだから、部屋の広さや間取りにはあまり不都合がないのかもしれない。まあ、僕は都市計画の専門家ではないからよくわからないけれど。

  他の建物と同様に、美術館もけっこう立派な建物だ。ところが、他の建物の奥にひっそりと隠れていて大通りからは全く見えない。入念に地図を見たとしても、初めて訪れる人にはうまく辿り着けるかどうか。そこを何度も訪れている僕だって美術館の外観がどうなっているのかは、いまだによく分かっていない。エントランスホールに入ってみて初めて、そこが美術館だと気がつく。でも美術館の内装は古風とはいえそれなりに立派なものだ。

  いったいぜんたい、いつごろからこのような街がつくられたのかなあと思いを馳せる。そんなことをぼんやり考えていたら、ちょうど、おもしろい展覧会に出会った。100年前のモンゴルの風景をテーマにした写真展。例の国立近代美術館で開催していた。およそ100年前にフランスの写真家がモンゴルを訪れて撮っていったものだという。先日、美術館に立ち寄ったら偶然そんな広告を見つけたのだ。

  とにかく何にもない土地だったんだな……。この展示を見た多くの人は、そんなふうに感じただろう。広い草原、そこで生活する人たち、家畜、そして小さな住居の数々。写真に映っているのはだいたいそんなところだった。これが100年前のウランバートル市です、と書かれていても、それが本当にウランバートル・シティかどうかを自分の知識で確認しようと思ってもその手がかりが一つもない。もっとも、100年前のウランバートルは "フレー" という名の都市だった、ということを聞いたことがある。

  チベット仏教に由来する寺院を別にすれば、モンゴルにはあまり古いものが残っていないのかもしれない。フランスやイタリアといった遠くの地域と比べるまでもなく、お隣の中国ともだいぶ事情が違う。ただし、ものが残っていないだけで、伝統や習慣はくっきりと残っている。それがモンゴルのユニークなポイントかもしれない。
  
  展示を見てふと思い出したのは、以前、モンゴルの大草原を旅行したときに見た、無限に続く景色、遊牧民の姿、家畜の姿だった。それと、全く同じ光景がその写真には映っていた。100年前と何も変わらない光景。たぶん、今まで、ずっと何も変わらなかった。何も変えなくてよかった。そういうことなのだと思う。モンゴルの人々が、ゲルに暮らし、遊牧生活を始めたのは200年や300年前からではないはずだ。もっとずっと前のことだろう。13世紀ころには既にゲルが存在していたという説もある。

  地方では、今も何百年も前とだいたい同じ生活を今もしているのだ。発展もなければ後退もない、見事な"持続可能社会(サスティナブル社会)"。

  首都ウランバートルでは、20世紀になってアパートメントやコンドミニアムのような集合住宅に住む人が増えてきた。教育制度なども徐々にでき上がって行く過程の中で、伝統的な生活を辞めなくてはならなかった人もその頃は多かったのではないか。何百年と続いていた生活のリズムに、異変が起きたということだ。だから、ウランバートルはモンゴルの玄関のような街であるものの、モンゴルの決定的な何かを持ち合わせていない不思議な場所でもある。でも首都や大都市というのはだいたいそういうものなのかもしれない。

  赤い伝統衣装を身につけた二人の男が大草原に座っている写真。入り口に飾ってあった。広告の写真と同じだ。これがウランバートルの100年前の姿か、もしくは他の場所だったかどうかは忘れてしまった。

  同館のディレクターを勤めるヤラルトさんが帰り際に通りがかったので握手をして美術館を後にした。余談だが、彼はいつもコットンのシャツをスマートに着た長身で愛想のいい男前である。

▼100年前のモンゴルの風景。興味深いですね。ところでモンゴルはもうすぐ夏休みに入るそうです。桐山さんは、どんな夏休みを過ごされるんでしょうか?

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。03年に東京学芸大学卒業。会社勤務を経て2011年3月より国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊プログラムでモンゴルのウランバートルにグラフィックデザイン教員として派遣されている。期間は2年間。
なお、表題の“МОНГОЛ”は「モンゴル」と読む。モンゴルではこのキリル文字が公用文字。


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