授業と学校図書館

授業で役立つ活用事例を「先生のひとこと」として紹介します。
 

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2012/04/19

「あなたでないと困る」と言われるかけがえのない人

Tweet ThisSend to Facebook | by 村上
*この講演は、201111月に開催した東京学芸大学の公開講座 『学校司書応用講座』で行われたものです。川崎市公立小学校・東京学芸大学附属世田谷小学校を経て、現在東京学芸大学で教鞭をとられている中村和弘先生に、国語教師にとっての学校図書館・学校司書について語っていただきました。とても良いお話だったので、ご本人の許可を得て、ここに掲載させていただきます。
 
特別記録◆学校司書応用講座◆

「国語教育から見た学校図書館―読むことのハードルを下げるために学校図書館ができること― 
 
                         日本語・日本文学研究講座 国語科教育学分野 中村和弘准教授 
 
 1.はじめに

 今日ここでお話をすることは、ずいぶん前からお願いされていましたので、その間どんな話をしようかとずっと考えていました。ふと思い出したのが、この本『天文学への招待』(村山定男/藤井旭 著 河出書房新社)のことです。これは、小学校6年生の時に、担任の先生が「中村君、読んでみたら?」と手渡してくれたものです。今思えば、私の担任の先生は図書室の担当をされていたようで、本にラベルを貼ったり整理整頓をしたりとよく手伝いをしました。そこで、たぶん廃棄図書の一冊だったこの本を、私がそのころ宇宙の本をよく読んでいたものですから、きっと手渡してくれたのだと思います。実は今でもその本は本棚に大切に並んでいます。「本の向こう側には、その本を手渡してくれた人がいる」ということを、あらためて思い出しました。
 

2.小学校国語科の現状

 (1)国語科の時間数増と読書活動

  今日は、学校図書館というのは本が楽しく読める場所、そして学校司書は本を楽しく読めるようにしてくれる人、当たり前のことですが、そんな話ができればいいなと思っています。その前に、まずは現在の小学校の中で国語科の置かれている状況についてちょっとお話をさせてください。4月から改訂学習指導要領が完全実施となり、教科書も大きく変わりました。授業時間も増えました。小学校での全時数に占める国語科の時間の割合は 5,6年で17.9%、4年で25%、3年で25.9%、2年で34.6%、そして1年では36%です。低学年の場合、総時数の1/3が国語科です。国語の授業時数の中で、週1回をいわゆる「図書の時間」に振り替えている学校は多いと思います。その授業を誰がどのように行うかは学校によって違うかと思いますが、週1回ということは年に35時間、これを6年間行うとしたら、これはかなりの時間数です。特に目標もなく図書室に連れて行き本を読ませるのと、意図的計画的にその時間をマネジメントした場合とでは、大きく違ってくることはいうまでもありません。
  今回の国語科の改訂の要点に、読書活動の充実があります。読書の指導については、目的に応じて本や文章などを選んで読んだり、それらを活用して自分の考えを記述したりすることを重視して、改善を図っています。そのうえで日常的に読書に親しむために、学校図書館を計画的に利用し、必要な本や文章などを選ぶことができるように指導することを重視しています。けれども、「目的に応じた読書」を重視してはたしていいのだろうか、という疑問をもちます。また、学校図書館が「日常的に読書に親しむため」という二次的な利用でいいのでしょうか? 私は読書の指導に関しては、最初に「学校図書館を利用し・・・」となるぐらいの、必ず使うという重要な位置づけでいいのではないかと思っています。

 
(2)「自分の考えの形成」と読書

  また、学習指導要領の改訂で国語科に新設されたのが、「自分の考えの形成および交流」に関する指導事項です。たとえば、光村図書の小学6年生の教科書にでてくる重松清の「カレーライス」は、今までも扱っていた教材ですが、教材文の後ろにくる「学習のてびき」は以下のように大きく変わりました。
 ・「自分と体験とのつながりを見つけて感想を書こう」
 ・「そして同じように心のゆれ動いた、あなた自身の体験について考えよう」
 ・「同じような体験はないだろうか。他の表現もさがし、友達と話して『ひろし』の心情を想像しよう」
  自分の体験のような非言語的かつ個人的なことがらを、物語の内容とどう結びつけたらいいのでしょうか。わからない子は何をどうしたらいいのかわからないまま、「さあ考えてみましょう」という教師の投げかけによって授業が進んでいってしまいます。できる子はできるができない子がますますできなくなってしまうという、国語科の悪しき「ゼロサム状況」が生まれかねません。
  皆さんは、こうした力は読書を通して自然と培われているということに、お気づきだと思います。「もしも自分がこの物語の主人公だったら…」「あ~、自分も似たようなことがあったなぁ…」と思いあたることができるのは、読書体験の厚みではないでしょうか。自分の体験と物語の世界をブリッジできる力、そういうものを培っているのが読書であり、読書という行為は、そうしなさいといわれなくても、自然とやってしまっています。

 
(3)国語力の育成と読書活動

  さらに、国語科に限らずに教育課程全体を眺めた時に、今回の学習指導要領が特に重視しているのが「言語活動の充実」です。児童の思考力・判断力・表現力などを育む観点から、言語に関する能力の育成を図ることが重視され、そのために各教科で「言葉の力」を高めることが求められています。どの教科領域でも、自分の考えを言語化し相手に伝え、また相手の考えを受け止めながら合意形成を図っていくといった言語活動が必ず取り入れられています。
読書と学校図書館が果たす役割がここにもあるといえます。本の世界の中で、登場人物たちはたとえば自分の思いや考えを言葉で表現し、また、言葉から相手の思いや考えをくみ取っています。そういった人物たちのやりとりを読者はストーリーを追いながら、知らず知らずのうちに頭の中にため込んでいきます。つまり、楽しく本を読んでいるうちに「言葉の力」がついてしまうわけで、こんな幸せなことはありません。
  このようなことは、経験的に先生方には常識になっていたのだと思います。本が好きな子は総じて学力も高い、というふうに。すこし前の話題ですが、平成16年2月、文化審議会の答申『これからの時代に求められる国語力について』が出されました。
  答申では、これからの時代にはこれまで以上の国語力が必要だと述べています。考える力、感じる力、想像する力、表す力などです。そのためには「自ら本に手を伸ばす子どもを育てる」ことが最も大きな目標であり、その達成に向けては「国語教育」と「読書活動」が柱となっています。また、国語科以外の教科でも国語力の育成をしていく必要性を説いています。読書については,「本を読むこと自体が楽しい」という読み方を学校教育の中で教える必要があり,これまでの教育では,読むことの楽しさを教えることに失敗しているのではないか…とまで述べています。読むことの楽しさを意図的計画的に教えられるものなのか。一般の先生方で読書指導のプランを独自に持っている人はほとんどいないのではないかと思います。それこそ、学校司書さんの出番ではないでしょうか。
 
 
3.「読むこと」のハードルを下げるために

   国語教育からみた学校司書さんは、一言で言うなら、「読む」ことのハードルを下げてくれる人です。具体的に言うなら3つの要素が挙げられます。
  一つめは、「授業の話ができる人」です。本の機能、本の歴史、本をめぐる昨今の話題、読書の素晴らしさを語れる人でもあります。表紙や裏表紙といった本のつくりのことなどは、担任教師には思いもよらなかったりします。また、「どう読むか」ということは国語科でやっていますが、どうやって探すか、どうやって出会うかは学校司書さんの力を必要とする部分です。さらに、読書を通しての学習指導、たとえば本について話し合う(読書座談会)、本について書く(読書記録、紹介・推薦)などの活動を考える際に、本について詳しい学校司書の存在はたいへんありがたいものです。本の紹介というのは自分のおススメですが、推薦ということになると「あの人にこの本!」というもので、本の特性と読み手の特性を結び付けることが求められてきます。
 二つめは、「子どもの話ができる人」です。学校司書は、学校図書館を通して常に子どもを理解しながら、本の個別性と子どもの個別性を上手く結び付け、そこに出会いのコーディネートをしている人でもあります。イメージとしては、私は保健室の先生に近いものを感じています。どちらも、学校の子どもたち全員のことを知っており、なおかつ、その子の1年生からの成長を知っていてくれます。ですから、学校司書さんは、学級担任と「その子」について語り合える先生だと思います。同時に、子どもをきちんと指導できる人でもあり、集団としての子どもたちを「動かす」ことのできる教育技術をもっている人でもあります。子どもたちと「先生」として話ができるというのはいうまでもありません。
 そして、三つめが「本の話ができる人」です。子どもたちはもちろん、担任ですら知らないような本の話ができる、「ドラえもんのポケット」を持っている人ということしょうか。「先生、なんかおもしろい本ない?」という子どもからのリクエストにも、「先生、こんどの授業でこういうことをやりたいのだけど子どもたちが使えるような資料ないですかね?」という担任教師のリクエストにも、「ちょっと待ってね、だったらこれなんかどうかしら!」と必ず何かが出てくるすごい人。あと、子どもの「お手本」になってくれる人、つまり、読み聞かせやブックトークが子どもたちのあこがれになる=子どもの学習活動の「お手本」となってくれる、それが学校司書さんではないでしょうか。
 
 
4.先生方とのやりとり(会場からの質問に答えて)
  
Q.非常勤職員である立場の学校司書は、正規職員の司書教諭とは立場が違うし、求められる職務も違う なかで、どのように関わっていったらいいのか?

A.確かに勤務形態の違い、立場の違いからどうしても遠慮がちになってしまうこともあると思います。 でも子どもや保護者にとっては「先生」ですよね。子どもに向かって私は非常勤で教員ではないから・・・と説明したら、やはりおかしいように思います。子どもたちは、「図書の先生」という期待を抱きます。学校図書館にいる人は、いやおうなく「先生」になる。子どもたちからはそう見られている。私(司書)がそこに(学校図書館)にいる意味はなにかと問うたときに、私というのは代替不可能な存在なのだと思います。私だから子どもたちにできること、私でなければできないことを、制約された条件の中でどう最大限に工夫するか、考える余地があるように思います。なんといっても、学校司書さんは、子どもに直接関われる立場にいるわけですから。
 
 
Q.読む楽しみを意図的計画的に、といわれましたが、もう少し具体的にお願いします。

A.担任の先生で、読書のカリキュラムを持っている人はほとんどいないです。まさに学校司書さんの出番です。司書さんは経験則で、事例をたくさんもっていらっしゃる。これは私が以前担任した子の例ですが、なかなか本が読めない男の子に、司書の吉岡さんは「マジックツリーハウス」をまず手渡してくれた。そして、それが読めたらあの本、次はこの本と順次本を手渡して、その子は少しずつ本が読めるようになっていきました。よその学校のノウハウがそのまま自分の学校では使えるわけではありませんが、自分の学校のやり方を、教員と司書も一緒につくるプロセスが大事だと思うのです。
 
Q.教員の理解や協力をどう取り付けたらいいでしょうか?教員の中には、ネットがあれば学校図書館 は不要と考えている人もいます。

A.本を手に取ることで、本が誘発する身体性ってありますよね。本を手にしている自分ってかっこいい じゃないかというような。たばこがやめられなくなっていくプロセスには、含まれている物質による原因とともに、「たばこを吸う」という行為(動作)そのものも要因になっているそうです。たとえが適切でないかもしれませんが、本を手に取ってページをめくるという動作そのものもが、実は読書という行為の中でもとても大切なような気がしています。特に小学生の段階ではそうだと思います。情報を調べるのであればパソコンや端末を使えば便利ですが、一方で、読書は「便利」のために、功利的な目的のためにだけ行うわけではありません。そのあたりのことも考えておきたいと思います。
 
 
Q.教員養成の課程でぜひ「学校図書館」を伝えてほしいが。

A.教育実習生には各附属学校で講話をしていただいていると思います。大学の授業の中でも、国語科教育法の科目などで伝えていきたいと思います。
 
 
5.学校司書さんだからできること

 さて、ここからまとめに入ります。学校図書館に学校司書がいる理由です。
 ①「私」をわかってくれたうえで、「この本」を薦めてくれる人、それが学校司書さんです。本の受け  渡しを通して、「わかってもらえている」「わかってもらった」という充足感が子どもの側に生まれ  ます。
 ②「私」に関わってくれる先生としての学校司書さんは、「私」という個別性と、「本」という個別性  を結びつけて、ふさわしい本を手渡してくれる存在です。
 ③「私」に「この本」を薦めてくれる「親密なる他者」としての存在です。「親密なる他者」というのは私がかってに使っている言葉ですが、家族でもなく、かといって赤の他人でもない、第三者なんだけれども私にとって大切な人、そんな意味合いです。親でもなく、全くの他人でもない「親密なる他者」である司書さんが、face to faceで本を手渡してくれることの意味。それは  教育的に重い存在であり、そこに学校司書の教育的意義があると思うのです。 
  私には3歳の娘がいて、今年妹が生まれました。その生後半年の妹に、上の娘が絵本を一生懸命読んであげているのを見ました。自分が母親から読んでもらったと同じようにです。本を読むようになるプロセスを対人的に考えてみると、まずは親などのもっとも親しい人から読んでもらいます。次に学校の先生や友人といった「親密なる他者」から読んでもらったり本についての話をしたりします。そして、成長するにつれ、まったく第三者からの有益な情報をもとに本が読めるようになるのではないでしょうか。
  最後に、学校図書館に「この私」(司書)がいることの探求です。教師にとっては学習指導の面から、授業の話ができて、子どもの話ができて、本の話ができる学校司書は必要不可欠な人です。子どもにとっては学校生活において、自分をよく知り、自分が必要とする本をいつでも手渡してくれる人として欠かせない人です。学校図書館にいる人は、「いてもいなくてもいい」「誰でもいい」から「いてくれないと困る」「あなたでないと困る」と言われるかけがえのない人であってほしいと思います。それがボランティアでは担えない学校司書の存在理由だと思います。本日はご清聴ありがとうございました。
                               
                                   (まとめ 東京学芸大学附属世田谷中学校司書 村上恭子)
 
 
 
 

 

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