国語教育からみた学校司書さんは、一言で言うなら、「読む」ことのハードルを下げてくれる人です。具体的に言うなら3つの要素が挙げられます。
一つめは、「授業の話ができる人」です。本の機能、本の歴史、本をめぐる昨今の話題、読書の素晴らしさを語れる人でもあります。表紙や裏表紙といった本のつくりのことなどは、担任教師には思いもよらなかったりします。また、「どう読むか」ということは国語科でやっていますが、どうやって探すか、どうやって出会うかは学校司書さんの力を必要とする部分です。さらに、読書を通しての学習指導、たとえば本について話し合う(読書座談会)、本について書く(読書記録、紹介・推薦)などの活動を考える際に、本について詳しい学校司書の存在はたいへんありがたいものです。本の紹介というのは自分のおススメですが、推薦ということになると「あの人にこの本!」というもので、本の特性と読み手の特性を結び付けることが求められてきます。
二つめは、「子どもの話ができる人」です。学校司書は、学校図書館を通して常に子どもを理解しながら、本の個別性と子どもの個別性を上手く結び付け、そこに出会いのコーディネートをしている人でもあります。イメージとしては、私は保健室の先生に近いものを感じています。どちらも、学校の子どもたち全員のことを知っており、なおかつ、その子の1年生からの成長を知っていてくれます。ですから、学校司書さんは、学級担任と「その子」について語り合える先生だと思います。同時に、子どもをきちんと指導できる人でもあり、集団としての子どもたちを「動かす」ことのできる教育技術をもっている人でもあります。子どもたちと「先生」として話ができるというのはいうまでもありません。
そして、三つめが「本の話ができる人」です。子どもたちはもちろん、担任ですら知らないような本の話ができる、「ドラえもんのポケット」を持っている人ということしょうか。「先生、なんかおもしろい本ない?」という子どもからのリクエストにも、「先生、こんどの授業でこういうことをやりたいのだけど子どもたちが使えるような資料ないですかね?」という担任教師のリクエストにも、「ちょっと待ってね、だったらこれなんかどうかしら!」と必ず何かが出てくるすごい人。あと、子どもの「お手本」になってくれる人、つまり、読み聞かせやブックトークが子どもたちのあこがれになる=子どもの学習活動の「お手本」となってくれる、それが学校司書さんではないでしょうか。
4.先生方とのやりとり(会場からの質問に答えて)
Q.非常勤職員である立場の学校司書は、正規職員の司書教諭とは立場が違うし、求められる職務も違う なかで、どのように関わっていったらいいのか?
A.確かに勤務形態の違い、立場の違いからどうしても遠慮がちになってしまうこともあると思います。 でも子どもや保護者にとっては「先生」ですよね。子どもに向かって私は非常勤で教員ではないから・・・と説明したら、やはりおかしいように思います。子どもたちは、「図書の先生」という期待を抱きます。学校図書館にいる人は、いやおうなく「先生」になる。子どもたちからはそう見られている。私(司書)がそこに(学校図書館)にいる意味はなにかと問うたときに、私というのは代替不可能な存在なのだと思います。私だから子どもたちにできること、私でなければできないことを、制約された条件の中でどう最大限に工夫するか、考える余地があるように思います。なんといっても、学校司書さんは、子どもに直接関われる立場にいるわけですから。
Q.読む楽しみを意図的計画的に、といわれましたが、もう少し具体的にお願いします。
A.担任の先生で、読書のカリキュラムを持っている人はほとんどいないです。まさに学校司書さんの出番です。司書さんは経験則で、事例をたくさんもっていらっしゃる。これは私が以前担任した子の例ですが、なかなか本が読めない男の子に、司書の吉岡さんは「マジックツリーハウス」をまず手渡してくれた。そして、それが読めたらあの本、次はこの本と順次本を手渡して、その子は少しずつ本が読めるようになっていきました。よその学校のノウハウがそのまま自分の学校では使えるわけではありませんが、自分の学校のやり方を、教員と司書も一緒につくるプロセスが大事だと思うのです。
Q.教員の理解や協力をどう取り付けたらいいでしょうか?教員の中には、ネットがあれば学校図書館 は不要と考えている人もいます。
A.本を手に取ることで、本が誘発する身体性ってありますよね。本を手にしている自分ってかっこいい じゃないかというような。たばこがやめられなくなっていくプロセスには、含まれている物質による原因とともに、「たばこを吸う」という行為(動作)そのものも要因になっているそうです。たとえが適切でないかもしれませんが、本を手に取ってページをめくるという動作そのものもが、実は読書という行為の中でもとても大切なような気がしています。特に小学生の段階ではそうだと思います。情報を調べるのであればパソコンや端末を使えば便利ですが、一方で、読書は「便利」のために、功利的な目的のためにだけ行うわけではありません。そのあたりのことも考えておきたいと思います。
Q.教員養成の課程でぜひ「学校図書館」を伝えてほしいが。
A.教育実習生には各附属学校で講話をしていただいていると思います。大学の授業の中でも、国語科教育法の科目などで伝えていきたいと思います。
5.学校司書さんだからできること
さて、ここからまとめに入ります。学校図書館に学校司書がいる理由です。
①「私」をわかってくれたうえで、「この本」を薦めてくれる人、それが学校司書さんです。本の受け 渡しを通して、「わかってもらえている」「わかってもらった」という充足感が子どもの側に生まれ ます。
②「私」に関わってくれる先生としての学校司書さんは、「私」という個別性と、「本」という個別性 を結びつけて、ふさわしい本を手渡してくれる存在です。
③「私」に「この本」を薦めてくれる「親密なる他者」としての存在です。「親密なる他者」というのは私がかってに使っている言葉ですが、家族でもなく、かといって赤の他人でもない、第三者なんだけれども私にとって大切な人、そんな意味合いです。親でもなく、全くの他人でもない「親密なる他者」である司書さんが、face to faceで本を手渡してくれることの意味。それは 教育的に重い存在であり、そこに学校司書の教育的意義があると思うのです。
私には3歳の娘がいて、今年妹が生まれました。その生後半年の妹に、上の娘が絵本を一生懸命読んであげているのを見ました。自分が母親から読んでもらったと同じようにです。本を読むようになるプロセスを対人的に考えてみると、まずは親などのもっとも親しい人から読んでもらいます。次に学校の先生や友人といった「親密なる他者」から読んでもらったり本についての話をしたりします。そして、成長するにつれ、まったく第三者からの有益な情報をもとに本が読めるようになるのではないでしょうか。
最後に、学校図書館に「この私」(司書)がいることの探求です。教師にとっては学習指導の面から、授業の話ができて、子どもの話ができて、本の話ができる学校司書は必要不可欠な人です。子どもにとっては学校生活において、自分をよく知り、自分が必要とする本をいつでも手渡してくれる人として欠かせない人です。学校図書館にいる人は、「いてもいなくてもいい」「誰でもいい」から「いてくれないと困る」「あなたでないと困る」と言われるかけがえのない人であってほしいと思います。それがボランティアでは担えない学校司書の存在理由だと思います。本日はご清聴ありがとうございました。
(まとめ 東京学芸大学附属世田谷中学校司書 村上恭子)