「あきらめない心」~障害を乗り越えて輝く人たち~ (中2へ)

2015-01-17 21:21 | by 中山(主担) |

 今日は 「あきらめない心」 ~障害を乗り越えて輝く人たち~をテーマに本を紹介します。

 まず皆さん想像してみてください。「もしもあなたが○○だったら・・・」

 初めに紹介する本は、教科書(中2国語 教育出版)で学んでいる『夢を跳ぶ』(岩波ジュニア新書 2008)の 著者佐藤真海さんの書いた『ラッキーガール』(集英社 2004/集英社文庫 2014)

です。1982年宮城県気仙沼で生まれた佐藤真海さんは文武両道を目標にして、水泳や長距離走に頑張る女の子でした。

 文武両道って意味はわかりますね? 勉学とスポーツの両方にすぐれていることですね。皆さんも文武両道を目指して頑張っていることでしょうが、とても難しいことですね。

 真海さんは、箱根駅伝で見たエンジ色のユニホームの大学。どこの大学かわかるかな?

早稲田大学ですが、早稲田大学へあこがれて仙台育英高校へ入学し早稲田大学目指して

進学コースに入ります。気仙沼の実家を離れて仙台の学校へ入り、寮生活で勉学に励みます。進学コースは部活動が禁止されているそうですが、体がうずうずしてこっそりと陸上部へ入り運動も頑張ります。見事早稲田大学に入学した真海さんは、小学校のころからあこがれだったチアーリーディングのサークルに入部します。

 チアの見せ所は選手の応援ですが、振り付けを考え、笑顔で演技することが大切。そしてみんなで作り上げる楽しさ、緊張感にこれまでにない大きな喜びを感じていました。
 大学2年の時、足首が痛み出します。
みをこらえて練習していた真海さんに「これはただのケガじゃない・・・」と今までに経験したことのない痛みがおそいます。

 家の近くの小さな病院でレントゲンを撮ると、先生はすぐに大学病院に電話をし、すぐに行くようにと指示します。すると、さらに専門のがんセンターへ行くようにと言われます。

 そこで骨肉種であること。これは骨のガンであること。悪性の腫瘍の中でも最も(たち)の悪いものであることを聞かされます。

 抗がん剤の治療で、猛烈な吐き気と倦怠感がおそいます。そして副作用で、髪の毛が抜けてしまいます。右足を切断し、リハビリを終えて大学に戻ると、真海さんはかつらをかぶり、つえをついて歩く自分が嫌でつらかったそうです。

 そんな時、障害者スポーツと出会います。

多くの人の応援を受けて走り幅跳びでパラリンピックに出場するまでに成長していきます。

 

 感謝してもしつくせないほど、私は周りの人に恵まれている。夢にまで見たパラリンピック。それが現実のものとなった。私はどこまで幸せ者なんだろう・・・・。

本当に日本一、いや世界一の「ラッキーガール」だ。

と言える真海さん、いつまでも笑顔を忘れずに頑張ってほしいと思わせてくれる人です。

次の「もしも・・・」は『足でつかむ夢 手のない僕が教師になるまで』(ブックマン社 2008)小島裕治さんです。はじめにのところを読んでみます。

4歳の時、祐次さんは交通事故にあって両手両腕を失います。はじめは両親がすべての世話をしてくれました。将来のことを考えて、リハビリセンターに通うことになります。

その日から右足にスプーンを持って食べるようになります。

皆さんも足の親指と人差し指にスプーンを持って食べ物をすくい口に運ぶことを試してみてください。

うまくできましたか?とても難しいですね。

でも練習っていうのはすごい!泣き言を言いながらも次第に自分一人でご飯が食べられるようになっていきます。こうして両足の親指を使ってパソコンを打ち、車の運転もできるようになっていきます。

 ホノルルマラソンに挑戦したり、アメリカ・カナダに留学したりしながら、教師になりたいうという目標に向かって頑張りますが、採用試験に受からずに苦労します。

家庭教師をしたり、非常勤の先生をしたりしながら3度目の挑戦で採用試験を突破することができました。

先生として授業をしている姿が、表紙にあるこの写真です。

ここで「もしも・・・」です。

皆さんの先生が両手両腕のない先生だったら皆さんはどうでしょうか?

障害があっても受け入れて前向きに生きる姿に励まされることがたくさんあるでしょうね。

つぎの「もしも・・・」は聴力障害だったらです。

『15-ハンディ わが子は耳の聞こえぬテニスプレーヤー』(梶本律子 小学館 2009)です。

梶本かじもと律子さんが書きました。息子の梶本かじもとれい君は先天性の難聴です。

難聴と言ってもそれぞれ聞こえ方は違いますが、怜紀君の場合は「飛行機のジェットエンジンから噴出するゴーッという轟音が、私たちがささやく声を聞くのと同じ程度」だそうです。

手話や口話(人の口の動きで言葉を読み取る)でコミュニケーションをはかりますが、早くしゃべったり、口が見えないと 話がわからないので苦労します。

また、聞こえないという障害は外見ではわかりにくく、呼んでも返事をしないとか無視するなどと勘違いされたりする(二次障害)こともあります。

 

そんな怜紀君は4歳でテニスを始めます。テニスコーチをしている」お父さんのレッスンを受け、めきめき上達していきます。

ジュニアの世界大会に出場したり、松岡修造さんの行っている修造チャレンジという日本のトップジュニアのためのキャンプにも参加します。

そんな活躍を知って、デフリンピック(4年に一度の聴覚障害者のための国際競技大会)へ出場することになります。

怜紀君は2009年に台北(たいぺいで行われたデフリンピックのテニス男子シングルで銀メダルを獲得します。

 この本のタイトルの「15-ハンディ」はテニスの試合形式による練習で年齢差、実力差がある場合、ハンデのある方へあらかじめ1ポイントを与え15(フィフティーン)(ラブ)から試合を始めることです。

 でも怜紀君は、ハンデを受けることなく、健聴者と同じフィールドで戦っているところがすごいです.

現在18歳になっている怜紀君が近いうちに世界で活躍する選手になることが楽しみです。皆さんも怜紀君の名前を覚えておいてくださいね。

 

では最後の「もしも・・・」です。

『運命の顔』(藤井輝明 草思社 2003)です。こんなにかわいい普通の顔本の中の写真を見せる。)で生まれた藤井さんですが、2歳の時に右頬に異変があらわれます。

右頬が赤くあざのようになり、上唇の右側が少しずつ腫れだしたのです。

病院を何件まわっても、どうすれば治るのかが分かりませんでした。

海綿状血管腫という病気で生まれつきの病気ですが、皮膚の下の脂肪や筋肉の血管が異常に増えてそれが大きく広がって腫瘍になるので、赤ん坊のころには何でもなかったということがわかりました。

腫れを切除しても、その後再び腫れは成長していくので、顔面がゆがんでしまったり、下手に手術して顔の神経まで切除してしまうと、顔面がマヒしてしまうということで様子をみることになります。

小学校に入ると、『なんだその顔』と指差されたり、「バケモノダだ!」とからかわれたりしました。「お岩さん」と呼ばれていじめられもしました。

私立の桐朋学園に転校してから、いじめはなくなり、水泳で活躍しますが、中二の夏に病気が悪化してあざが広がり、くちびるの腫れも大きくなってしまいます。

大学に入学すると食堂で席を探していると、露骨にさけられたり、懇親会には「お前は遠慮してくれ」と面と向かって言われたりします。

反対に「俺のゼミに来い」と誘ってくれる教授に出会ったりもします。

そして君のように病気を抱えていたり、生死をさまようような体験をしている人こそ、いい医療人になると恩師の岡野先生にすすめられ大学を出て、就職した後で千葉県立衛生短大に入学し、看護師の資格を取ります。

その後筑波大学大学院へ進み、さらに名古屋大学医学部大学院で学び、たくさんの論文を書きます。

現在は熊本大学の教授として看護学の授業をしています。

現在のように表立った活動をしていても、町に一歩出れば彼のことを知らない人がたくさんいます。信じられないかもしれませんが、彼の顔を見て唾を吐きかけてくる人もいるのです。

「私の顔をまるで宇宙人にあったかのように興味深げに見る人たちが数えきれないほどいます。そういったことをしてくる人たちに、かつては目いっぱいの怒りを視線に込めて、睨み返していました。(ただでさえジロジロ見られることで大きなストレスになっているの、そのうえわざわざ自分から嫌な思いをすることもないじゃないか)

そう気づいてから、笑顔でお辞儀を返すことを試すようになりました。」

と藤井さんは語っています。

あなたは藤井さんに会ったら、ジロジロと眺める人になりますか」?

それとも藤井さんの苦しみを察して笑顔を向ける人になりますか?

今回紹介した本の他にたくさんのあきらめない心を持った人の本を集めました。

皆さんに渡したリストにも紹介していますね。

どんな「もしも・・・」を持った人がいるのかぜひ読んでみてください。



 中2国語の単元のテーマにあわせたブックトークでした。その後、ハンディを乗り越えていくことを取り上げた本を集め、ブックリストにして配布しました。大変、熱心に読んでくれました。
 一番人気は『15―ハンディ』でした。
テーマ「あきらめない心」リスト.xls

( 実践当時 千葉県袖ケ浦市昭和中学校 現在は昭和小学校司書 和田 幸子)



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