データベース開設10周年企画!
2020-02-13 08:03 | by 村上 |
斉藤倫さんは、昨年『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』(通称『ゆびぱち』)を出版されています。福音館書店のサイトでは、以下のような紹介がされています。
対談は、和やかな雰囲気の中、岡田さんの投げかけた質問に斉藤さんが考えながら答えるという形で進みました。ことばはなまものだからこそ、用意したことばではなくて、今まさに心に浮かんだことばで伝えたい…と斉藤さん。一方、問いを投げかける岡田さんが手に持った『ゆびぱち』の本には付箋がびっしり!「この本を僕ほど読みこんだ人はいないはずです。」ときっぱり! 編集者として関わった「本」に対する“愛”が感じられました。
詩人の道をめざした斉藤さんは、普通の目立たない子だったけれども、「ことば」が好きで、特に辞書を読むのが好きだったそうです。今は自分が書かなければ消えてしまうものを掬いあげたいと言います。ことばにできないものをことばとことばをつなげることでなんとか表そうと日々格闘しているのが“詩人”なのですね。
ことばはとても解像度が低いものなのだという話も印象に残りました。岡田さんは、もともと一筋縄ではいかない曖昧性の高いことばに対し、わからなければという強迫観念に囚われすぎているのでは?と指摘されていました。わかろうとする努力は必要だけれども、わからないまま好きになっていいんだよ…というのが『ゆびぱち』で伝えたかった事のひとつなのですね。
会場からの、詩をどうやって味わったらいいかと言う問いに、斉藤さんは、「詩は散文のようなスピードで読むのではなく、ことばひとつひとつを声にだしてゆっくり味わってみてほしい」と言われました。詩は意味だけでなく、文字も音もリズムも抑揚も全部大切な要素なので、詩を翻訳することはとても難しいことだともおっしゃっていました。お二人のお話を聞き、あらためて「詩」に向かい合ってみたいと思いました。
以下は、トークセッションに参加した附属学校司書の感想です。
- 普段何気なく使えるのにあいまいで不確か、けれども多様で多彩な「ことば」を大事に扱っている詩人の斉藤さんと編集者の岡田さんのお二方からお話をうかがうことでその奥の深さに惹き込まれました。詩との向き合い方も聞くことができて、私自身ももっと詩に触れたいと思うきっかけになりました。
- 詩人の斉藤さんと編集の岡田さんの双方からお話を聞くことができ、本づくりという視点からみても、書き手、編集者、画、装丁・・・と多くの人の手を経て1冊ができていることをあらためて実感。よく見ずにブックフィルムをかけてしまったことを大いに反省しました。正直、子どもの頃に親が「詩人は言葉の詐欺師だよ」と言っていたのを聞き、どこか詩にたいして心を開けずにいましたが、斉藤さんの柔軟でユーモラスな発想に素直に耳を傾けられました。
- 「ことば」について考えさせられた時間でした。斉藤さんも岡田さんも深く物事を考えておられるんだなあということが伝わって来ました。お話をお聞きしていて、自分でもすごく考えている気分になってしまいました。書き手の方の話、編集者としての話、とても興味深くお聞きすることができました。子どもたちに斉藤さんの本をすすめたい!とますます思いました。
- 詩はよくわからないものというとらえ方がありますが、わからないから嫌ではなく、わからないから面白い、わからないものを許容できるこどもが増えてほしいという話が印象的でした。戦後のいわく言い難い感情を詠むことで難解化した現代詩をすべて理解できなくても、なんとなくかっこいいなとか、この部分は共感できるという感じ方でもいいのだなと思えました。そして、最新の詩集を数冊、注文リストに加えました。
- 直接本を書いた詩人と、その本を作った編集者を前にして本について語り、どのようなプロセスで本が出来上がったかが伺えた贅沢なイベントでした。 「本は読者の手に渡ったら読者のもの、どのように受けられても自由」という考えを基本に、こんな読書へのかかわり方も楽しいと再確認しました。実は以前、日刊イトイ新聞主催で糸井重里さんと『しがらみを科学する 筑摩書房』の本を書いた山岸俊男教授と本校の高校生が筆者を前に、本について意見を交換する会に招待されたことがあります。本人の前だからこそわかりあえること、意外な考えに出合うことを生徒たちは体験しました。直接お互いの顔を見て話し合える楽しさが今の時代だからこそ必要なのではないかと思います。
斉藤倫さん、企画してくださった福音館書店の皆様、ありがとうございました。またぜひこのようなイベントを行いたいと思っています。