多文化共生って?
2017-03-16 08:28 | by 村上 |
今年の本校での地理の学習は、「多文化共生」というのがひとつのキーワードでした。図書館での授業も何時間か組み込まれ、関連資料も提供しました。多文化共生社会について考えるきっかけとなる本を個別に紹介する時間までは、授業でははとれなかったので、、学期最後の広報誌に、誌上ブックトークの形で紹介し、図書館にコーナーをつくりました。
世界的に、グローバル化が進むなか、異なる文化を尊重し、さまざまな文化的背景をもつひとびとがともに平和に暮らしてゆける社会=多文化共社会の実現は21世紀の大きな課題です。まず立ちはだかるのは言葉の壁です。そこで、今回は、異文化コミュニケーションとしての「言葉」に焦点をあてて、何冊かの本を紹介します。
最初に紹介するのは、、元小学校の先生だった著者が、編集者と次の作品について打ち合わせをしていて生まれた『となりの席は外国人』(あらた真琴著 ぶんか社 2012)です。1クラスに最低5人は外国籍の子ども達がいたという公立小学校で、実際にあった出来事をちょっぴりデフォルメした4コマ漫画です。突拍子もない出来事も、あたたかい眼差しで描かれていて、ホッコリ。たった一人で外国の学校に学ぶのは心細いけれど、仲間がいると心強く、のびのび生活できるのかもしれません。周囲の環境と大人の対応しだいで、子ども達は互いの「違い」を柔軟に受け入れていくことが可能だと感じます。
外国の子どもたちに接する小学校の先生もたいへんですが、多様な国から来た外国人が相手の日本語学校の先生の日常も話題に事欠かないようです。、現役日本語教師と、漫画家さんがタッグを組んだ人気シリーズ、『日本人の知らない日本語;なるほど~×爆笑!日本語再発見!コミックエッセイ』蛇蔵&海野凪子著 メディアファクトリー2009)もおすすめです。日本人同士で話していたら、何の違和感もなく、スルーしてしまう言葉も、初めて日本語を学ぶ側からは、疑問だらけ。毎日、毎日、突拍子もない質問を突き付けられ、それに答えるために、あらためて日本語の歴史をひもとくと、知らなかったことがたくさん。笑いながら、なるほど!とためになるシリーズです。外からの視点をもらうって、大切だと感じる1冊です。
外国籍の子どもが皆言葉の壁を持っているとは限りません。 日本に住む外国籍の親から生まれた子どもの多くは日本語に不自由しません。では、言葉が通じれば理解しあえるのかといえば、多文化共生はそんなに生やさしくはない…と思い知らされるのが、『GO』(金城一紀著 角川文庫 2007)です。主人公は、民族学校から、日本の公立高校に入学した在日三世の杉原。元ボクサーの父にボクシングの手ほどきをうけ、やんちゃをしまくっていた彼は、ある日一人の少女に心を奪われてしまう。それまで気にもとめていなかった自分の出自の問題が目の前に立ちはだかるのです。2世、3世の若者たちが、生まれた育った国の言語を自在に操れるのに、差別的な待遇をうけることの不満は1世の辛さとはまた別の次元の問題だと言えます。
日本にいれば、異文化を受け入れる側ですが、ひとたび海外に出ればたちまち少数派のマイノリティ側になります。しかもアジア人への蔑視も残っています。『Masato』(岩城けい著 集英社 2015)は、親の転勤によって突然オーストラリアに連れてこられた少年の物語です。英語が全く理解できず、クラスの輪に入っていけず、人種的な侮辱に対しても、言い返せないもどかしさ、くやしさ。しかし少しずつ言葉を覚え、友達を得、いじめっ子にも言葉で立ち向かっていきます。真人を通して、多文化に対応しようとしているオーストラリアの一面を知ることもできます。なにより、大人より子どもは異国の暮らしへの適応能力が高いのですね。
国際結婚や労働や留学等の理由で国境を超えるのは、今や世界中で見られる現象だと言います。移動する親のもとに生まれた子供たちは、当然ですが、親と一緒に異動し、あるいは異動した先で生まれ、複数の言語に触れながら成長します。『私も「異動する子ども」だった;異なる言葉の間で育った子どもたちのライフヒストリー』(川上郁雄編著 くろしお出版 2010)は、まさにそんな子ども時代を送った著名人にインタヴューした本です。異動したのが、母語を獲得する前か後かで、大きな違いが出てくること、我が子と共通の母語を持てなかった母親の辛さにも気づかされます。
江戸時代に、“異動する子ども”…だったのが、中浜万次郎こと、ジョン万次郎です。彼が土佐の港から漁師見習いとして船に乗り込んだのは弱冠14歳の時。船が難破して、アメリカの捕鯨船に助けられ、彼の賢さと人柄を気に入った船長の養子となり、やがてまた日本に戻り、幕末の江戸で大役を果たしたことは史実として有名です。この本『ジョン万次郎;海を渡ったサムライ魂』(マーギー・プライス著 金原瑞人訳 集英社 2012)はアメリカに残されたジョン万次郎に関する記録や資料をもとに、アメリカ人によって書かれた物語です。少々フィクションも織り交ぜられてはいますが、何もかもが日本人とは異なる文化のなかでも常に前向きな、若い万次郎の姿が生き生きと語られます。
異文化との最初の劇的な接点は、明治維新です。さきほどのジョン万次郎が、活躍できたのも、まさに黒船がやってきて、英語が通じる人間が必要とされたからです。そんな時代を描くのが、『サムライと英語』(明石康・NHK「英語でしゃべらナイト」取材班編 角川oneテーマ21 2004)です。世界を相手に、日本人としてのアイデンティティを失うことなく、近代国家へと導いた功績はサムライたちにあったと、著者は言い切ります。言葉を学び、相手の文化に実際に触れて学び、自国を捉え直し、自己を再発見していくプロセスがそこに見えると。皆さんが今英語を学ぶのも、実は同じことなのではないでしょうか?
最後に紹介するのは、『翻訳できない世界のことば』(エラ・フランシス・サンダース著 前田まゆみ訳 創元社 2016)です。このタイトルから、皆さんはどんな本を想像しますか?たとえば、日本人なら「木漏れ日」「わびさび」「積ん読」など、すぐに通じる言葉ですが、これを言い表す外国語がないのです。同様に、涙ぐむような物語に触れたときに感動して胸が熱くなることを一言で言い表すような言葉は日本語にはありません。(イタリア語では、COMMUOVERE=コンムオーペレと言うそうです。)そんな言葉を集めた素敵な本です。言葉の世界は奥深いですね。