『苦手から始める作文教室』

2024-09-11 19:10 | by 富澤 |

『苦手から始める作文教室―文章が書けたらいいことはある?

(ちくまQブックス)』

 津村 記久子

 筑摩書房

 2022.9

 ISBN978-4-480-25138-1

 

子どもの頃、夏休みの宿題の「読書感想文」がとにかく嫌いでした。本を読むのは大好きだったのですが、それだけに、「読書感想文」は、せっかく「楽しかった!最高!」と大満足しているところに、冷や水を浴びせてくる憎い存在。何やらもっともらしく「成長」だの「学び」だの「感動」だのを、拙い言葉でひねり出そうとしているうちに、その本から得られた、まだ言葉にならない自分にとってはとても大事なものを泥水に落っことし、あまつさえそれで上がった水しぶきのせいで、喜びをくれた本そのものまでもが汚れていくような、暗澹たる気持ちになったものです。 

 さて、本書はそんな重い気分を抱え、夏休みを前に学校図書館にしけこみ、「また読書感想文が宿題になった、最悪。何かおススメない?」などと司書相手にぼやいている、小学校6年生の私にぴったりです。「ねえ、芥川賞とった作家が、堂々と『作文が苦手』って言いつつ、作文の書き方を書いてる本があるんだけど、どう?このシリーズは、中学生以上がメインターゲットではあるんだけど、君なら読めるでしょ」などと、プライドをくすぐりつつ本書を手渡して、どんな反応をするか見たくてたまらなくなりました。

私史上、最も生意気で辛口な読者だった12歳の私も、きっと信頼している司書にそう言われたら手にとってしまうでしょうし、読んだら気に入ってしまうはずの1冊です(私の目標は、そんな辛辣な12歳の私をとりこにしてしまうような学校司書なので、ここはそういう設定でいきます)。

 「実感が大切」「本当であることが光って見える」と小見出しで言い、「伝わる文章を書くためには、文章を使って自分を大きく見せようとすることをまずやめると良いかもしれません。」(p.69)と説く著者は、本書の中でその姿勢を貫いています。本文開始3ページ目に早速「作文が年々苦手になってきています」(p.9)と言い放ち、「友達に話したいことを書いてみる」「作文のテーマにダメなものはない」として「引っ越しをした去年の10月から、おやつはコンビニかスーパーのPBか、うまい棒しか食べていない」(p.10)などと書かれたら、まんまと引き込まれて、好きになってしまうではありませんか!

 技術的なことも、実際に著者自身が工夫していること(例えば、メモの取り方)も、きちんと伝授してくれるのですが、それに終わらず、あくまで本質的なことを鋭く突いてきます。読書感想文を書くことは、「何かをおもしろい、好きだと思って、その理由を明日の自分に説明していくうちに、自分がどういう人間なのかということが作られていく」(p.84)助けになるからこそ意味があるのです。心が動いたことについて書くことは、自分を知り、また自分を作る行為に他なりません。

 大事なことを、説得力をもちつつサラリと押しつけがましくなく、クスリと笑えるユーモアも交えながら読ませてしまうなんて、文章がうますぎる。やはり職業作家、恐るべしです(一方で、「作文が苦手」という本人の実感も、決して嘘ではないと感じられるのですから、もう何も言えません)。

 司書としては、p.110からの、著者の読書遍歴と読書について思うことや、「次に読んでほしい本」として挙げられている3冊の紹介も、とても興味深いポイントでした。特に、漫画や動画と比較して「文章には、文章だけ読んでいたらよい、というラクさがあります」(p.115)という一言には、目から鱗が落ちて、体も軽くなるような感覚を覚えました。

 さて、まんまと司書と作家の術中にハマった小学生の私は、夏休み明けに「読書感想文、ちょっと楽しかったんだよ、読んで」と、本書に感化されて書いた作文を司書に見せに行く気がします。受け取った司書の私は、「賞はとらないな」と思いつつ、ニヤリとしながら「いいじゃん、面白い感想文だよ」と言うことでしょう。ついでに、この紹介文も、本書にどことなく感化された書き方になっている気がするのですが、きっと気のせいではありません。

(東京学芸大学附属大泉小学校 司書 富澤佳恵子)


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