( 1992 日本科学教育学会)
篠原 文陽児(東京学芸大学)
目次
要約
1 はじめに
2 教材開発のねらい
(1)ハイパーメディアの特長の理科への適用
(2)理科の授業研究の道具
(3)科学する態度の育成
図1 「ハイパー・サイエンスキューブ」の構造図
3 おわりに
主な参考文献
著者注
〔要約〕コンピュータ技術やエレクトロニクス技術等の発展により新しいメディアが開されつつあり、その一つにマルチメディアすなわちハイパーメディアがある。
本報告は、「融合性」「相互交渉性」「無構造性」「拡張性」を特長とし、その教育的意義に「情報の蓄積と利用の便利さ」「発散的思考の道具」「個性化学習の実現」「教育過程解明への接近」を見い出すことのできるハイパーメディアを、中学校理科教育における重要な概念の一つである「エネルギー」を例に開発した背景と、教育過程の解明すなわち授業研究の道具の一つとしてハイパーメディアが活用され、授業をいっそう高度化する可能性の高いことを実際の開発事例と文献に基づいて論じている。
〔キーワード〕ハイパーメディア、教材開発、授業研究、情報処理過程、中学校、理科教育
文部省生涯学習審議会社会教育分科審議会教育メディア部会は、平成4年3月30日に「新しい教育メディアを活用した視聴覚教育の展開について(報告)」をまとめ公表している。この「新しい教育」メディアとは、マルチメディアやハイビジョンであり、とくに「マルチメディア」を「コンピュータを中核としてコンパクトディスク(CD)、ビデオディスクなどを結びつけて文字、音声、影像などの多様な情報を一体的に取り扱える装置とそれに用いる視聴覚教材を総称」していると定義している。
コンピュータ技術やエレクトロニクス技術などの発達は、新しいメディアと新しいことばを生み出しつつあリ、現時点では、「マルチメディア」は「ハイパーメディア」と同義に考えられ、ニューメディアの一つとして、教育に今後期待されているメディアである。
ハイパーメディアもハイビジョンもともに開発途上にあり、このうち前者の特長は、「融合性」「相互交渉性」「無構造性」「拡張性」であり、その教育的意義は、「情報の蓄積と利用の便利さ」「発散的思考の道具」「個性化学習の実現」「教育過程解明への接近」である。
ハイパーメディアは、「無構造」のため、「特性・処遇・課題交互作用(TTTI)
」に代表される重要な研究課題である適合的な「相互交渉」により、利用者自らが好みや興味・関心などのそれぞれの学習スタイルで情報を「拡張」したり、「カスタマイズ」(自分のものとして編集する)に代表されるような情報の「組織化」を行ったりして学習を進める「個性化学習」を実現させ、問題解決や創造思考の基礎となる「発散的思考」をうながす。
これらは、授業をいっそう「高度化」する重要な観点となり、ハイパーメディアの特長を授業研究に利用する必要性を示唆していると思われる。
本稿は、文部省助成「ニューメディア教材研究開発事業」の一つとして筆者もその一員に加わっている財団法人日本視聴覚教育協会を通じた研究開発(代表者・国際基督教大学教授・中野照海)の一部である。
ハイパーメディアは「教育過程解明」の道具となると考えられる。「教育過程解明」の道具は理科教育においても、他の教科教育でと同じように重要な課題である。すなわち、ハイパーメディア教材開発の第1のねらいは、理科教育において「概念学習」すなわち生徒の「学習過程の解明」や「教育過程の解明」のための授業研究の道具を提供しようとすることである。
そして、ハイパーメディア教材開発の第2のねらいは、構造が比較的明確で「堅い」理科を、進展著しい「無構造」のハイパーメディアで教材として開発し、利用評価を行うことである。そのためには、理科教材を開発途上のハイパーメディアの特長である「無構造」か、できる限り「ゆるやかな構造」に近づける必要が生ずる。これは、到達目標が一つに限定されず高次の目標である過程目標を扱うことや、ある種の方法によって学習者に選択の幅を拡げることを意味する。すなわち、理科教育の中の探究活動に見られる「科学的態度の育成」や「科学的思考の育成」に代表される「科学する(do
science) 態度の育成」、そして、これらを帰納的な方法に基づいて「体験すること」に帰着される。そして、内容としては、組織化されておらず「教育過程」が未知の、かつての旧制中学校や高等学校の「一般理科」「基礎理科」「理科I」「総合理科」などに見られる「総合化(integration)
」や「学際的な(interdisciplinary) 領域」をねらう、帰納的な思考を重視する理科を指向する内容になろう。
「ハイパーメディア(hypermedia)」は、文字通りには、「メディア(media) を超えた(hyper)もの」である。
技術的には、ハイパーメディアは、デジタル技術と通信技術の進展にともなって生まれたメディアである。すなわち、情報の管理に関して「対話性(インタラクティブ性、相互交渉性)」を有し、1978年の開発当初に比べてよりいっそうグラフィック・インターフェイス化されたコンピュータを基盤として、映像(ビデオ動画・静止画、静止イメージ、写真など)、音声(音楽、音、声、歌など)、文字情報などの多数のメッセージを、利用者からの問い合わせに応じ複合して用いるメディアである。
そこでは、映像や音声、文字などの情報が、長期にわたって高い品質の保障された、劣化の少ないディジタルデータとして、コンピュータ、レーザーディスク(LD)、コンパクトディスク(CD)などに大容量に蓄積され利用される。その理由は、レーザーディスクやコンパクトディスクが、頭出しやリピート機能などの「任意の呼び出し(ランダムアクセス)機能」をもち、大容量のデジタルデータベース(例えば、CD−ROM−読みだし専用メモリー−は650MB
であり、これはフロッピーディスク約600 枚分に相当する)に適しているからである。つまり、ハイパーメディアでは、大容量の質の高いデジタルデータが「非直線性」を特色とするリンク(事項の関連づけ)機能で結合されたノードのネットワークに蓄積され、利用者はコンピュータを中心とした「メディアを超えたもの」との間で、ノードの中のこれらの情報を「思いのままに」「感性に応じて」検索したり拾い読み(ブラウジング、browsing)したり、また、自分のために「カスタマイズ」したりすることが可能になっているのである。
こうした中で、中野は、「いまだ開発途上にあるハイパーメディアによる学習のイメージ」を具体的に描き、新たな教育可能性を秘めた「緒についたばかり」のハイパーメディアに関する研究・開発と実践をいっそう推進するために、この領域全般にわたる今後の研究と開発の課題をまとめている。この中で、ハイパーメディアの意味と特長に
(1)「融合性」(ハイパーメディアは多様なメッセージを融合してディスプレィに提示し、通常のマルチメディアに比べてメッセージが、はるかに豊かであること)、
(2)「相互交渉性」(メディアと学習者との間で、学習プログラムと学習者のレベルとが相互に対応する相互的な側面と、学習者プログラムと学習者の学習のしかたの関係の適合的な側面の2面があること)、
(3)「無構造性」(ハイパーメディアに収納されている学習資料が無構造であり、その結果、ハイパーメディアによる学習では、単一の学習目標の達成という概念が希薄であり、個々の学習者の学習活動に意味を見い出すこと)、
(4)「拡張性」(利用者の必要に応じて、ハイパードキュメントに情報を付加したり、構成を変えることが容易なこと)
の4点をあげている。
また、
(1) ハイパーメディアを使った学習には、「特性・処遇・課題交互作用(TTTI)
」よりも複雑な交互作用が予測され、「学習者の要因」「学習課題の要因」「学習材料の要因」「学習活動の要因」の4つの関係に関した理論的にも実証的にも多くの研究が必要であること、
(2) ハイパーメディアの教育的意義として、「情報の蓄積と利用の便利さ」「発散的思考の道具」「個性化学習の実現」「教育過程解明への接近」があること
などを指摘している。
そして、ハイパーメディアの今後の研究・開発の課題として、「多様な学習内容のハイパーメディアの開発」「ハイパードキュメントの制作の研究」「ナビゲーションの研究」「活用方法の研究」「ハイパーメディアによる学習の評価」「ハイパーメディアのリテラシー」を提案している。
ハイパーメディアは、その発想の端緒を1945年のBushの論文に認めることができる。しかし、ハイパーメディアが教育の分野で実際にコンピュータで可能になったのはここ数年のことであり、ハイパーメディアにかかわる理論とハイパーメディアの実践的な効果を含めて、いっそうの研究と開発が求められている。そのため、メディアの融合を可能にするインターフェイスの設計と開発、学習者との相互交渉性、情報の無構造性や非線型性を有効に活用したプログラムの設計と学習スタイルとの関係をはじめとし、ハイパーメディアによる学習効果も含めて、多数の研究が報告されつつある。
一方、とくに「情報の無構造性」と既存の質の高い影像を活用する目的では、国内において、構造がまったく無いといってもよいほどの博物館的な学習教材として、ハイパーメディア『文京文学館』が開発されている。『文京文学館』は、レーザーディスクと非線型な情報の構築を可能にしたソフトウェアであるハイパーカードを使った、仮想的な文学館である。レーザーディスクには、森鴎外・夏目漱石など東京の文京の町に住んでいた文人たちの交流を描き、教育映画祭で文部大臣賞を受賞した「ぶんきょうゆかりの文人たち−観潮桜をめぐって−」を収録している。そして、映画に関連した作家・作品・地図・年表・朗読音声など多様なジャンルの資料情報が関連情報としてコンピュータのデータベースを構築し、この関連情報とレーザーディスクの情報を学習者自身が自在に組み合わせて、個々の学習者があたかも彼自身が館内を見学している感覚で自由に学習することができるように設計されている。その理由は、ハイパーメディアがもとは個別学習システムであるからである。
人の学習にはまだ未解決のな部分が多い。思いのままに、感性に訴えながら、ひとが書物のページを「おもむくままに」前へ後ろへとめくりながら読んでみたいという発想に起源を求めることができるという。
しかし、ハイパーメディア『文京文学館』は、指導する教師の力量にもよると考えられるが、学校での一斉授業の形態においても、成果を得ていることを見逃してはならない。
今日の教育の課題の一つである協働の欠如、学習意欲、学習不適応などの原因の一つと考えられている学習意欲の欠如など、また、わが国特有の歴史ある一斉授業の形態から考えると、ハイパーメディアは集団か小集団の学習状況においても活用することが推進されるべきである。
ハイパーメディアの開発に限っていえば、中野は、多様な学習内容の開発が必要であることをあげ、異なる学習材料の構造と学習活動との具体的な関係を明らかにする必要があることを指摘し、社会や生活などの開発が望まれることを提案している。数多くの教材が作成され教育利用されて評価される必要もある。この一つとして、平成2年度から行われているハイパーメディア「ハイパー・サイエンスキューブ」の開発研究がある。つまり、ハイパーメディアを構造がきわめて堅く明確とされている理科に適用したら、何を明らかにする目的で開発すべきか、初期の「アイディア」を何にして発想を拡げれば良いか、個別や集団利用など活用の方法を考慮した上でシステムと教材にどのような工夫が必要か、ハイパードキュメントの構成のしかたはどうか、インターフェイスはどのような形態なり意味づけが望ましいかなどの課題である。
すでに指摘したように、ハイパーメディアの教育的意義の一つは「情報処理過程の究明」であり、よい授業の手掛かりをハイパーメディアが与えてくれる可能性であると考えられている。すなわち、ハイパーメディアの利用によって、教師の教授機能と学習者の学習機能に関する基礎的な資料を得て、よき授業の示唆を得たり、学習経路の解析によって、教師のはたらきかけとしてのナビゲーションなど、授業研究にとって必要な情報が得られることを示唆している。これは、いわば、構成主義と授業設計を関連させ、授業の新たな考え方を構築しようとしていることと考えられるし、学習者の学習過程の解明として、ハイパーメディアと構成主義を関連して論じているとも考えられる。
ハイパーメディアの研究や開発に関連して構成主義にかかわる研究が多いことは注目に値しよう。
構成主義と授業設計の例として、Jonassenは、教授システム工学における目的主義と構成主義という対極に位置する2つのパラダイムの比較を通し、構成主義を基盤にした新たな教授システム工学の可能性を論じている。つまり、これまでの教授システム工学は目的主義的であったため、授業は教師から学習者への知識の伝達が中心となり、教師が予め設定した目標や授業モデル、評価法に基づいて行なわれてきた。そこには、「現実」や「意味」が学習者の外に存在し共通の理解を得ることが可能であるという大前提があったためである。しかし、構成主義の立場では、「現実」や「意味」は個人の経験や解釈によって個人内に生成されると考えられている。こうした構成主義の考え方を教授システム工学に応用していくためには、学習がより現実的で有意味であるように学習内容と関連のある学習環境を整えること、また、学習者自身によって学習目標の設定、学習内容や学習の道筋の選択、そして、評価が可能になるよう柔軟な学習環境を提供することであると論じている。
また、同じくJonassenは、構成主義は、経験、精神構造、信念によりどのように知識が構成されるかを問題にし、その評価に関する見解は、(1)固定的な目標に基づかない評価がよい、
(2)日常と関連づけられたいくつかの領域にわたる学習が望ましい、(3)評価においても知識の構成の中での高次の知的過程を反映する学習の成果を対象にすべきである、(4)学習のできばえより過程を評価すべきである、(5)評価も文脈に依存したものであり学習の状況と同じように現実世界の文脈の中でなされるべきである、(6)文脈依存の評価は高度の知識獲得の段階で効果的である、(7)複数の観点に基づき、複数の評価者による複数の方法で評価するのが望ましい、(8)個々の学習者の異なる意味の構成の方法を評価する際、その構成された意味に関して社会的にある程度の共通の理解がなされ得る、(9)評価は、より自己分析的、メタ認知的な道具となることを目標にするのが望ましいということなどが挙げ、構成主義による学習の成果の評価の妥当な基準を示唆している。
また、とくに理科に関した構成主義の例では、ホワイトやオズボーンらが、学習者の概念形成の実態について詳しく触れ、これまでの理科の授業・学習論が特定の人物のモデルを中心に研究され説明される傾向が強かったことを一つの反省にして、こうした現状に対する授業・学習論モデルと子どもたちの実態との乖離を克服しようとする研究をまとめている。すなわち、理科の概念形成で子ども達はどのように考えるのか、能力を発達させる基礎ともいえる認知的方略を開発させるのはどのようにすべきかなど具体例を取り入れて考察し、次いで、理科学習のモデルを提示し、モデルの構成要素を詳細に検討している。こうして、生徒が授業で何を学習し、教師は授業で何を話すべきか、その話し方はどのようにすべきか、など「理科をいかに教えるか」を実例とともに展開している。
さらに、ハイパーメディアと構成主義に関しては、例えば、Spiro らが、認知的な柔軟性、構成主義、そしてハイパーテキスト:非構造的な領域における発展的知識の獲得のためのランダムアクセス教授に関して、「構成主義は、従来の教授方法に欠如していた現実世界の知識領域の複雑さや非構造性を考慮に入れ、概念の複雑さの獲得や他の状況への知識の転移という発展的な学習目標をもっている。この目標は、異なる文脈や目的等から同じ教材を学習するという認知的な柔軟性理論を導入することよって達成され、この学習にはハイパーテキストが有効であり、適切な設計原理が必要であるという。そして、例えば、学習者がある概念を数種の事例から探索する形式をとり、概念の使用法の解説や、概念の応用例や関連する概念のリファレンスを準備し、適切なスキーマが多いほど理解しやすく、場面特有の知識の構成過程が非構造的な領域での転移において重要であることを考慮に入れるとよいと主張している」のである。これは、「総合科学」をハイパーメディアで研究開発する重要な示唆であるとともにい、「学習過程や教育過程の解明」にハイパーメディアが有効で
あることを示唆していると考えることができる。
授業研究に関わる課題は多い。そのうちの一つに教授・学習過程の研究がある。
すでに指摘したように、理科を「無構造」や「ゆるやかな構造」に近づけるための努力は理科教育のひとつの大きな考え方である「総合化」「学際的領域」の研究によって実現される。これは、言い換えれば「科学する態度の養成」であり、演繹的だけではなく、むしろ多くの可能性の中から「探索的に」学習して共通性を見出していこうとする帰納的な方法に重点を置いた教授や学習の方法によって実現される。未知な部分が多ければ構造は「ゆるやか」にならざるを得ないのである。そのためにも「総合化」や「学際的領域」が重要である。そして、これは行動主義や古い認知科学による授業研究ではなく、学習者や教授者の「情報処理過程を究明」しようとする「構成主義」の考え方に通じるものであり、ハイパーメディアの教育利用研究、もっと言えば、学習研究の道具としての意義である。
ハイパーメディアによる理科教材開発の第2のねらいは、構造が比較的明確で「堅い」理科を、進展著しい「無構造」のハイパーメディアで教材として開発し、利用評価を行うことである。そのためには、理科教材を、開発途上のハイパーメディアの特長である「無構造」か、できる限り「ゆるやかな構造」に近づける努力が必要になる。これは、到達目標が一つに限定されず高次の目標である過程目標を扱い、多くの可能性の中から「探索的」に「帰納的」に学習する状況に理科を設計することを意味する。すなわち、理科教育の中の「科学する態度(do
science)の育成」や「科学的思考の育成」あるいはこれらの「体験」に帰着される。そして、内容としては、組織化されておらず「教育過程」が未知の、かつての旧制中学校を含めた高等学校の「一般理科」「基礎理科」「理科I」や「総合理科」などの「総合的な科学(integrated
science)」や「学際的(interdisciplinary) 領域」をねらった、帰納的な思考を重視した理科の構想になるのである。
ハイパーメディアと「総合化」や「学際的」な内容をねらった教材の試みは、諸外国においては、現在の学校教育での動機づけ、学習意欲などを促進するための課題とともに多く紹介されている。このうち例えばRoweらは、数学と理科の領域におけるハイパーメディア教材を利用したプロジェクトを2つ紹介し、これらがコンピュータ・リテラシー、協働、リーダーシップの各能力と、未知のものを探究する能力を促進することを主張している。このうち「環境教育マルチメディア・プロジェクト」は、
ある高等学校で環境教育の授業の3分の1を充て、 例えばグループで「地球を守るためにできる50のこと」をセンターに接続された端末で学習することである。これによって、コンピュータ・リテラシー、協働などを育成するしくみである。もう一つは、「マルチメディア・タイタニック号プロジェクト」であり、ネットワークに接続されたある高等学校の教室の端末にはビデオディスクとCD−ROMが接続され、理科・数学及び社会の「総合化」された内容によって、主にリーダーシップ能力、協働、未知のものを探究する能力などの育成をねらっている。また、Salomon
は、現在の学校教育が直面している課題に、(1)学校における学習観の変化、(2)現在の技術が提供する新しい学習機会の2つをあげ、技術の利用を強調した、探索的な、チームによる、「学際的な」高学校教育のためのプロジェクトの理論的背景をまとめている。その上で、適切な学習活動のための教授方略と学習の社会的文脈の重要性を指摘している。また、探索的学習、コミュニケーション、協働学習、総合あるいは合科学習、カリキュラムの多様化などの可能性を持ったコンピュータが新しい学習の機会を支援する技術であると指摘している。
こうして、「総合化(integration) 」や「学際的(interdisciplinary) 領域」をねらった理科の構想では、例えば、エネルギーや平衡など重要な理科の概念を、「総合的」に関連づけて、学習する。ハイパーメディアによる理科では、むしろ、これらの学習を帰納的に、探索的に行い、発展的な学習を行うことに加えて、科学する態度(do
science)、人間つまり科学者の智恵の学習、人間と自然の調和などなどを学ぶことに重点が置かれることになる。
なお、図1は、こうした考え方によって開発されたハイパーメディア「ハイパー・サイエンスキューブ」の構造図である。
ハイパーメディアは、授業、例えば、理科の授業の方法と内容を根本的に変え、いっそう高度化する可能性をもっている。しかし、多くの課題もある。開発に加えて、授業での実践的利用と評価がさらに望まれる。
1)中野照海、1991、ハイパーメディアの研究と開発の課題−新たな学習メディアの教育の可能性を拓く−、視聴覚教育、45、 6、 34-38.
2)Driver、 R. and Erickson、 G.、 1983、 Theories-in-action: some theoretical and empirical issues in the study of students' conceptual frameworks、 Studies in Science Education、 10、 37-60.
3)Jonassen、 D.H.、 1991a、 Objectivism versus constructivism: do we need a new philosophical paradigm?、 ETR&D、 39、 3、 5-13.
4)Osborn、 R.J. and Wittrock、 M.C.、 1983、 Learning
Science: a generative process、 Science Education、 67、 4、 489-508.
(著者注:本稿は、1992年日本科学教育学会で報告した原稿に、その後の動向や関連情報などを付加し、加筆・修正等したものである。01/28/1999)
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