選ぶ、選ばれる、選ばされる?

2023-10-12 11:11 | by 富澤(主担) |

以前、「洗濯ではなく選択です」という題名で、6年生にブックトークを行いました。テーマである「選択」は変えずに、本を入れ替え、最後は今後探究学習のテーマとなるだろう「平和」を意識した内容へと、全面的に書き換えを行いました。以前のものとの違いを感じていただければと思います。


 早速ですが、『どうしてかわかる?(世界のなぞかけ昔話①)』(ジョージ・シャノン∥文/ピーター・シス∥絵/福本 友美子∥訳、晶文社、2005)から「ほんものの花は?」という題名のクイズです。良く聞いて、答えを考えてください。

ソロモン王は、古代イスラエル王国の王様で、旧約聖書には、多くの伝説が語られています。賢者として知られていますが、この問題でも、見事に本物の花を見抜きました。ブックトークというのは、あるテーマのもとに、何冊かの本を紹介する活動ですので、今日は「選ぶ、選ばれる、選ばされる?」というテーマで、5冊本を紹介します。

ソロモン王は、見事に、根拠をもって、本物の花を選ぶことができましたが、残念ながら、世の中は、いつもそううまくいくわけではありません。一生懸命行動しても、それが裏目に出てしまうこともあります。

例えば、『完訳赤毛のアンシリーズ 1/赤毛のアン』(L・M・モンゴメリー∥著/掛川 恭子∥訳、講談社、1990)の主人公、11歳のアンは、間違った選択をして、親友にとんでもないものを飲ませてしまいます。なぜそんな間違いが起きたかというと、アンが、もともと友達に出すはずの「ラズベリーコーディアル」というジュースも、飲ませてしまった「スグリ酒」も、どっちも知らなかったからです。ソロモン王は、蜂が花から蜜を集める動物だと知っていればこそ、本物の花を見分けられましたが、蜂というものを、見たことも聞いたこともなく、その特徴も知らなかったら、蜂が入ってきて花にとまったところで、そのチャンスをいかすことはできないでしょう。何かを正しく選ぶためには、どうやら知識が必要そうです。

さて、間違った選択といえば、そもそも、アン自身が、間違って選ばれてしまった女の子でした。どういうことかというと、アンは、両親を亡くして、他に引き取り手もいなかったので、孤児院にいたところを、マシューというお兄さんと、マリラという妹、年取った兄妹のもとに送られてきたのですが、本当は、2人は農場の手伝いができる、男の子を引き取るつもりだったのです。伝言が間違って伝わって、男の子が女の子に代わってしまったのですが、人生の重大事がこうやって決まってしまうようでは、たまったものではありません。とは言え、案外、自分ではコントロールできなかったり、選べなかったりするようなことで、人生の大きなことは決まってしまうこともあるかもしれません。少なくとも、本当に「家」と呼べる場所が欲しい、と、心から願っていたアンにとっては、この間違いは、とんでもなく良い結果になります。幸せなことに、アンだけではなく、マシューとマリラにとっても。そこに至るまでには、数々の事件があって、それがとても面白いです。有名な話なので、なんとなく知った気になっている人もいるかもしれませんが、ぜひ自分で読んでみてください。












 アンの場合は、少なくとも「選ばれたい」という気持ちがありましたが、この『マンチキンの夏』(ホリー・ゴールドバーグ・スローン‖作/三辺 律子‖訳、小学館、2022の主人公、12歳のジュリアは、全く乗り気ではなかったのに、ミュージカルの出演者に選ばれてしまいます。何の役かというと、この題名にもなっている、マンチキンという小人、『オズの魔法使い』というお話しに出てくる、主人公の女の子、ドロシーが竜巻にとばされてたどり着く、夢の国の住人です。ジュリアのコンプレックスは、背が低いことなのに、それを強調するような小人役、やる気がなさすぎてピアノをやめた過去があるので、音楽にも自信はありません。何より、大事にしていた犬のラモンが死んでしまったばかりで悲しみから全く抜けられていないので、コンディションは最悪です。

しぶしぶ参加した劇の世界でしたが、ジュリアが夢中になってしまう、素晴らしい出会いがいくつも用意されていて、最後には「自分は選ばれるべき人だった」ということがわかります。

選んだ時点、選ばれた時点では、それが正しいのか、正しくないのかは、わからないことが多いかもしれませんね。でも、「選んだり、選ばれたりした結果を「正しい」ものにする力を、私たちは持っている」と、『三本の金の髪の毛―中・東欧のむかしばなし』(松岡 享子∥訳/降矢 なな∥絵、のら書店、2013)の中にある「子どもと馬」という話を紹介してくれたときに、私のとても尊敬する先生は言っていました。











 このお話には、とても賢い馬が出てきて、主人公の男の子を助けてくれます。意地の悪い継母が、男の子と馬を殺そうとしたので、2人は家から逃げ出して旅に出るのですが、その途中で、金の輪、金の蹄鉄、金の髪が落ちているのに出会います。男の子が、そのたびに、馬に「ひろってもいいだろうか?」と聞くのですが、馬は「ひろっても拾わなくても、どっちも男の子にとって良いことになる」と勇気づけてくれます。昔話は、男の子がそれを全て拾うことで展開していきますし、男の子はとても大きな幸せをつかむことになるのですが、三つの金のアイテムが、どう物語に関係して、男の子にどんな展開が待っているのかは、ぜひご自分で読んで確かめてください。

 さて、人生の重大なことは、案外自分では選べないのかもしれない、と言いましたが、その中でも一番と言っても良いかもしれないのは、生まれてくる時代と場所です。










 『平和の種をまく―ボスニアの少女エミナ(いのちのえほん 18)』(大塚 敦子∥写真・文、岩崎書店、2006)
の主人公、11歳のエミナちゃんが生まれたのは、ヨーロッパの真ん中のあたりにあるボスニア・ヘルツェゴビナ。1992年から、1995年の3年間に、一つの国の中で、民族のちがう人たちが敵同士となって、25万人もの人が死んだ、戦争のさなかでした。表紙の二人の女の子(一人がエミナ)は、お互いが敵同士となった民族に属しています。

この本には、戦争が終わった後、異なる民族の人たちが、それぞれ、収入を得て、お互い安心して仲良く交流できるようにつくられた、コミュニティ・ガーデンの楽しそうな様子が沢山載っています。もともと、ボスニア・ヘルツェゴビナは、1945年にできた、ユーゴスラビア連邦、という名前の、もっと大きな国の一部でした。国ができたころから、そこには、民族や宗教の違う人たちが、仲良く、混ざりあいながら50年近くも暮らしてきたのに、民族や宗教の違いを理由に、すぐ隣に住む人同士が殺し合いをする戦争が起きてしまいました。どうして、そんな戦争が起きたのか、後ろのほうの解説には、その背景も、きちんと説明されています。

「ふつうの人は、だれも、戦争なんかしたくなかったのに」という一言が、とても印象的でした。これは、真実だと思います。でも、それなのに戦争をしたのはなぜ?普通の人たちは、本当に、選ぶことができずに戦争にただ巻き込まれたのでしょうか?戦争をするかしないかが決まる瞬間は、どこにあったのでしょう?それを見極めて、別の道をえらぶことはできなかったのでしょうか?どうやったら、それを見極められるのでしょうか?そんなことを、ずっと考え続けているのですが、まだ、はっきりとした答えは出せていません。

もう一つ、この本にある「戦争というものは、誰かが仕掛け、敵意をあおらなければ始まらない」という言葉にもハッとしました。「その誰かとは、自分たちの政治目的のために、人びとに他の民族や国家などへの恐怖心を植えつける政治指導者やメディアであることが多いのです」と続くこの一文には、正しい選択への、大きなヒントがあるように思いました。

 実は、先ほど紹介した「こどもと馬」は、旧ユーゴスラビア連邦の昔話。旧ユーゴスラビアは、『平和の種をまく』の舞台となった地域です。私がこのブックトークのために、二つの本を選んだときは、その繋がりは全く意識していなかったので、ちょっと驚きました。はたして、選んだのか、選ばれたのか、選ばされたのか。

6年生は、色々な場面で、これまで以上に、はっきりと選択を意識しなければいけないことも多いのではないかと思います。思い通りにいかない、と思えることもあることでしょうが、皆さんなら、賢い馬の言うように、きっと「どっちにしても、きみにはいいこと」にすることができるのではないかと思っています。個人の人生を超えた、大きな選択、戦争と平和についても、学ぶ機会があるでしょう、私にも皆さんが考えたことを教えてくれると嬉しいです。

(東京学芸大学附属大泉小学校 司書 富澤佳恵子)



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