密になって読みたい絵本

2023-09-12 19:39 | by 富澤(主担) |

新型コロナウイルスの扱いが「5類」に移行したことを受け、2学期からは、図書の時間の読み聞かせを全面的に「お話しのコーナー」で行う形に戻すことにしました。4年近く、iPadや書画カメラを使って、絵本を大型テレビ画面に映したり、ビッグブックを利用するなどして、子どもたちが机と椅子に座った状態での読み聞かせをしてきましたが、いつかは、以前のように、お話しのコーナーの床に集まって座る形に戻したいと思っていました。

 その理由は、本の全ページの写真をとって、映り込んだ机をトリミングするといった、準備の煩雑さや、機器の不具合に悩まされたこともありますが、より読み聞かせやお話しに集中する雰囲気が作れること、そして、やはり、本が持つ魅力を十分に届けるには、本そのものを直接読むほうが絶対に良いと感じる作品が多く、著作権法の観点からも、そのほうが望ましいと、肌で感じたからです。

 「以前の形に戻したら読もう」と温めていて、ようやく、久しぶりに子どもたちに読むことができた作品を4冊ご紹介します。

『ウラパン・オコサ―かずあそび』(谷川 晃一∥作、童心社、1999)

 1はウラパン、2はオコサとして、1と2だけでものを数える、数遊び絵本。3以上のものは、オコサを先に数え、奇数の場合はウラパンが最後につく。「もりのなかでとりがなく オコサ・オコサ・オコサ・ウラパン」といったように。口頭で読むだけでも良いのかもしれないが、絵を指しつつ数えながら読むと、子どもたちがいつの間にか参加してくる感じが楽しい。

 






『うれしいさんかなしいさん』(まつおか きょうこ∥さく・え、東京子ども図書館、2012)

 小さなことで、うれしくて「うれしいさん」になったり、嫌なことがおきて「かなしいさん」になったり、気持ちがコロコロ入れ替わる様子を交互に見せる。「前から読んで、うしろから読んで、まん中で出会う絵本」とうたわれているように、前からはじまる「うれしいさん」のお話しと、後ろからはじまる「かなしいさん」のお話しが、真ん中で一つになり、大団円をむかえるという、めずらしい構成。真ん中には、大きく開くページがあり、構成自体の面白さを見せるには、やはり本そのものを読むに限る。読み聞かせをした1年生も「うれしいさんかなしいさんは まん中で であうというのが たのしい本」という感想を書いてくれた。


『さよなら さんかく』(安野 光雅∥著、講談社、1981)

 こちらも、構成が面白い。「さよならさんかく またきてしかく…」全国的に知られている、連想で続くわらべうたをもとにした絵本。最後のページまで読んで、本をひっくりかえすと、また最初のページまで唄が続いていて、切りなくつながっていることがわかる。

 



『よあけ』(ユリー・シュルヴィッツ∥作・画/瀬田 貞二∥訳、福音館書店、1977)

 最後は、夜中から、早朝までの移り変わる自然の美しさを、静かな文と美しい水彩画で描いた絵本。とにかく絵の色合いを、本のままで見てほしかった。

 

 

 どんな絵本も、作家が思いを込めて、その色、その形、その構成に仕上げているものなので、画面越しの出会いとすることには抵抗がありましたが、構成に特徴のある絵本や、聞き手が参加したくなるような遊び要素のある絵本、絵の色合いが時に文章よりも雄弁に語るような絵本は、なおのこと「本来の形ではない」紹介のしかたをすることに抵抗を感じて、自然と避けてしまっていました。本当は、絵本の持つ多様な魅力を伝えるためにも、ぜひ紹介したかったので、大変残念だったのですが。

 もちろん、大きな画面に映すことで、はじめて「読み聞かせ」のレパートリーに入れられた作品もありますし、なんとか苦心しつつ、読み聞かせを続けることができたこと自体も評価できることとは思います。でも、『よあけ』をはじめて読み聞かせしてもらったときの、得も言われぬ圧倒的な感覚を、ようやく子どもたちにも共有できる密な空間が戻ってきたことに、感謝と喜びを感じずにはいられません。
                    (東京学芸大学附属大泉小学校 司書 富澤佳恵子)


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