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絵本『ひらがないろは』誕生物語

2014-05-19 23:17 | by 中山(主担) |

 2013年8月に、本『ひらがないろは』の制作のいきさつ を、絵を担当された本学の卒業生 博多(旧姓 手塚)歩さんに書いていただきました。今回はこれを受けて、博多歩さんのご尽力もあり、書道の視点から企画プロデュースした草津祐介さん( 本学大学院教育研究科総合教育開発専攻表現教育コース芸術教育サブコース(書道科)2003年3月修了。現在、都留文化大学非常勤講師 )にも振り返っていただきました。(編集部)


『ひらがないろは』誕生物語

草津祐介
 
絵本表紙


1.『ひらがないろは』物語のはじまり
 
 とある展覧会の期間中に大学の先輩と会いました。そこでの先輩のふとした一言がすべてのはじまりでした。
 「なにか書道でおもしろい本の企画ない?」
 この一言が『ひらがないろは』という絵本の制作物語のはじまりでした。
 当時、私は大学四年生。大学院に行くことを決めていたけれども、本の出版ということにとりわけ興味があった時期でもありました。そこで、「よしやってやろう!」という気持ちになり、企画書作成にとりかかりはじめました。
 決意をしたものの、企画書などそれまでつくったことのない大学四年生です。昼間は教育と書道の授業を受け、夕方からスーパーでアルバイトをし、夜は大学で作品制作という日々。さらに、目の前には卒業制作と卒業論文というおおきな難関が立ちはだかっていました。当然、企画書はすぐには書けませんでした。


2.書店で企画さがしの日々
 
 書こうと思っても書けない企画書。そこで、とりあえずどういう本が出版されているのか書店を見て回りました。書店をぶらぶらするなかで、子ども向けの本・絵本がいいのではないかと思うようになります。
 当時、自分の研究の方向性について、自分が研究したいことが書道史という範疇に収まらないのではないかと悩んでいました。そんなとき、参加していたとある研究会で、私の研究方向を後押ししてくれた先生から、「文字を中心とした文字文化」というテーマで研究をすすめていけばいいのではないかというアドバイスをもらいました。そのアドバイスが頭にあり「文字」と「文字文化」という書籍のキーワードが思いつきました。ここから、私は研究や作品制作、教育においても書道というよりも文字文化の研究、文字を素材にした作品制作、文字文化の教育普及と「文字」を中心に考えるようになりました。
 「文字」と「文字文化」というキーワードが決まったことにより、本の企画が具体化していきます。さらに、書店めぐりをするなかでふと感じました。「子供向けの『文字』に関する絵本が少ないなあ」と。きれいな文字を書くための本――いわゆるペン習字の本や美文字本――や文字を覚えるための本というものはもちろんたくさんありました。けれども、文字文化についての絵本というものが非常に少なく、とりわけ幼児・小学生向けの文字文化に関する絵本、文字の歴史についての絵本というものが非常に少ないなと感じました。



3.テーマはひらがなの変遷と手書きの文字
 
 当時の私は卒業論文を書くために、興味のあるテーマの論文、知っている先生の論文を片っ端から読んでいた時期でもありました。そんななか、ふと以前読んだことのある論文のことを思い出しました。私の学年の担当教員でもあった加藤祐司(東陽)先生の論文『書教育と字源』(東京学芸大学紀要.第5部門,芸術・体育 Vol.33、1981年)だったと思います。そこから、私は「漢字からひらがなへの変遷」を絵本のテーマにどうだろうと思うようになりました。ひらがなの字源である漢字からの変遷をテーマにすることにより、正しいひらがなの形を学習する絵本、それができるのではないかと思ったのです。
 活字を使ったひらがなの絵本は数多く出版されています。しかし、活字が正しいひらがなの形を反映しているのだろうか。小さい頃から活字のひらがなばかりを見ていると、活字の形が標準化してしまうのではないかと思ったのです。活字は読みやすさという点で優れていますが、あくまでも活字であり、普段、活字のように書こうと思うと、逆に読みにくく書きにくくなってしまいます。こうして、「漢字からひらがなへの変遷」というテーマに「手書きの文字」というテーマが加わります。
 企画書の書き方を調べながらなんとかつくりました。そこで、当時の研究室の先生であった加藤泰弘(堆繫)先生のところに相談にいきました。「本としてだす以上、きちんとしたものにしたい。間違いがあっても困る」と思い、先生に監修をお願いするためでした。


4.文字絵本プロジェクト始動!
 
 加藤泰弘先生のところにいき、企画書を見せ説明しました。加藤泰弘先生は監修することを快諾してくださいました。
 そこで、具体的に動き始めました。「文字絵本プロジェクト」の始動です。まずは、協力してくれるメンバー探しです。当時、私は中国への留学を考えていました。留学のことを考えると一人ではできないと思い、文字を書いてくれる人を捜しはじめました。この時、気がついたら私は大学院一年になっていました。
 ひらがなを書くのを担当してくれる人はすぐに見つかりました。後輩の平倉和則君と藤原寛子さんです。そして、平倉和則君がその人脈から美術科の博多哲也さんとコンタクトをとってくれました。その博多哲也さんが紹介してくれたのが、博多(旧姓:手塚)歩さんでした。さらに博多歩さんが作業をすすめるなかで阿部純子さんを誘ってくれました。美術科の正木賢一先生にも監修をお願いしました。こうして最強の布陣をひくことができました。
 こうして、ようやく『ひらがないろは』の制作メンバーが出そろいました。そして、それは長い絵本制作の日々のはじまりでした。書担当の平倉和則君曰く「何が正しいひらがなの形なのか分からなくなりました」という日々のはじまりでもあり、博多歩さんが大学生活のほとんどを費やす日々のはじまりでもありました。


5.終わらぬ文字書き、たちはだかる距離の壁
 
 文字絵本プロジェクトが始まるとともに、私の新しい生活も始まりました。私の国費留学が決まり、中国上海の華東師範大学に留学することが決まったのです。最初は軽く考えていたものの、メール中心のやりとりは進行に厳しい影響を与えました。結局、作業の進行を博多さんと平倉君に任せることになりました。


6.書道と美術のコラボレーション
 
 悪戦苦闘しながらも作業はすすみました。作業を進めながら、コンセプトが整理されました。まず、もともと考えていたテーマ――漢字からひらがなへの変遷。これを本文でわかりやすく掲載しようということになりました。そして、書籍の最後に漢字からひらがなへの変遷を説明するということも決まりました。見出しのひらがなは平倉君が担当。変遷の文字は藤原さんが担当、文章は私が担当ということになりました。
 さらに、「手書きのひらがなを使う」ことも再確認しました。最初、手書きの文字をつかうことを企画にもりこんだものの、使えるレベルの文字が書き上がるために時間が非常にかかっていました。また、学生の書いた文字でいいのかとも不安になっていました。そして、「活字を使ったらはやくできるし、手書き文字について指摘されることもないのではないか」と気持ちが揺らいでもいました。その時には、博多歩さんが「平倉さんと藤原さんの書いた手書きを使ってやりたい」と言って、気持ちを引き戻してくれました。やはり、「文字を書くための学び」ということを考えた場合には、手書きの文字のほうが、筆づかい(どうやって書けばいいか)が分かりやすく見えますし、文字の形もはっきり分かります。
 文字絵本は監修を書道の加藤泰弘先生、美術の正木賢一先生にお願いしました。このことによって「書道と美術のコラボレーション」による文字絵本の制作という性質をおびてきました。そんななか、美術側からの提案として「日本の伝統色」というテーマ追加の提案がありました。手書き文字を使って漢字からひらがなへの変遷を掲載するということは決まりつつも、媒体は絵本。いかに魅力的な絵をのせ、いかに魅力的な本にしていくかという点で、絵に共通するコンセプトが必要でした。そのコンセプトが「日本の伝統色」を使った絵、ということに決まりました。
 さらに、ひらがなの掲載順を、「いろは順」に展開されることも決めました。すでに出版されているひらがなの絵本は、そのほとんどがあいうえお順ではじまっていました。確かに、あいうえお順のほうがいいかなとも悩みましたが、やはり、文字と日本の伝統色をテーマにした絵本。伝統的にひらがなの学習で時に使われている「いろは順」が最善だという結論になりました。
 こうしてコンセプトがはっきりと決まりました。あとは作業をすすめるだけです。作業をすすめると簡単にはいいつつも、簡単に終わる作業ではなく、作業をすすめているうちに月日はあっという間に過ぎていきました。気がつけば、留学も2年目になっていました。

絵本中面
 
手書きの書と、日本の伝統色のコラボレーションを意識して制作した中面


7.命名「ひらがないろは」
 
 留学中の連絡方法は、EメールとMSNメッセンジャーでした。作業もすすみ、表紙もそろそろつくらないと、という時期になり、書名を決めようとなりました。そこで、博多さんと私で日時を決め、その時までお互いに書名を考えておこうということになりました。
 当時、私は留学をしてはいたものの、専門の授業があまりなく時間だけはたくさんありました。私は、毎日外をぶらぶら歩き、絵本の内容を思い浮かべながら書名をいろいろ考えました。恐らくブツブツ独り言をいいながら歩いていたのだろうと思います。端から見たら不気味だったでしょう。ある時、「いろは」順に「ひらがな」を学ぶ本、そして、「ひらがな」の「いろは」(初歩)を学ぶ本、と考えているうちに思いつきました。「ひらがないろは」と。
 考えた書名を報告しあう約束の日です。博多さんの案は「ひらがないろは」でした。私の考えていた案も「ひらがないろは」でした。偶然にも二人とも同じ書名を考えてきたのです。こうして、必然の偶然によって、文字絵本は『ひらがないろは』という名前になりました。


8.いざ、出版社との交渉の場へ
 
 書名も決まり、内容もできてきた私は、一時帰国を利用し、出版社との細かい打ち合わせにいくことにしました。とはいえ、最初に企画を提案してから数年が経っています。話はどうころぶかわからず、いろいろな展開を想定しながらの訪問でした。
 打ち合わせをし、企画書と制作中の見本を見せるとすんなりと出版は決まりました。出版が決まると、ではいそいで完成させようということになりました。もちろん細かい修正の提案がたくさんあり、いそいで訂正をすすめ完成に向けて突っ走りました。
 さらに、私に大変な役目が課せられました。書店営業やメディアへの売り込みなどの広報を私が担うことになったのです。


9.ドキドキの書店まわり、メディアとの接触
  
 商業出版である以上、書店に置いてもらわなければ売れない。せっかく長い時間をかけて制作した『ひらがないろは』。できるだけみんなに知ってもらいたい。知ってもらうためにも書店に置いてもらわなければならない。
 では、書店に置いてもらうにはどうしたらいいのか。置いてもらうには売れると思われなければいけない。売れると書店員さんに思ってもらうにはどうしたらいいのか。この本のウリは何なのか。メディアに取りあげてもらえばどうだろう。私は自分達の若さを売りにし、学生がつくった絵本ということでメディアに売り込むことにしました。さらに、都内の書店を中心にまわり、著者として本を置いてもらうようにお願いしてまわりました。
 書店にいくにあたっては、インターネットで書店の営業マンのブログなどで情報を集めました。大学を休学して留学中の身。時間はたっぷりあります。情報を集め準備万端。いざ売り込みにと、書店営業の日々がはじまりました。
 ダメもとだと思い、まずは新宿の本屋さんに行きました。到着したのはいいものの、売り場の人に声をかけるのも緊張してなかなかできませんでした。長時間、絵本売り場やそのまわりにいた私は相当不審に思われていたと思います。ただこのまま何もしないで終わってもしょうがないと思い、思いきって声をかけてみました。

 私「すいません。草津祐介と申します。今度、絵本を出版することになったのですが、店頭においていただけないかと思いまいりました。返条付(※1)です」
 店員さん「へえ、どういう本ですか」
 私「文字と色をテーマにした本です。見本をもってきたので見てください。トーハンさん、日販さん、官報さん(※2)と通していれさせていただきます」
 店員さん「おもしろそうですね。5冊でいいですか」

 あっさりととってくれることになりました。幸先のいいスタートでした。その後まわった大きな書店さんは、見本を見せて説明すると5冊~10冊くらいをすんなりとってくれました。もちろんすべての書店さんがとってくれるわけではありません。チェーン店の書店さんでは「本部に確認してから注文します」とか「会議で決めさせていただきます」といった返答も多く、小さな書店さんでは「考えさせてください」と断られることも多くありました。
 また、書店まわりをしていると、出版社の営業マンを見かけることが多々ありました。観察していると、楽しそうに店員さんと話し、すらすらと本の紹介をし、注文をたくさんとっていました。違いはなんだろう、と苦悩しながらの書店営業の日々でした。

※1 返条付・・・・・・「返品条件付き」の略。書籍を決められた期限内であれば返品してもいいという制度。
※2 トーハンさん、日販さん、官報さん・・・・・・書籍流通会社。

注文書
 
監修の正木賢一先生に制作していただいた絵本の注文書付きリーフレット


10.広がる『ひらがないろは』
 
 ドキドキしながら電話をしました。相手は、新聞社。
 「もしもし、東京学芸大学の大学院2年の草津祐介という者なのですが、この度、日本地域社会研究所という出版社から『ひらがないろは』という文字絵本を出版することになりまして・・・・・・」 
 と応対してくれた人にそう話をきりだすと、反応はよくすぐに取材をしてくれることが決まりました。みんなで取材を受けた後、掲載紙を見るとカラーで掲載してくれました。掲載紙が発行された翌日、出版社から連絡があり、『ひらがないろは』の注文の電話で他の仕事が何もできなかったよ、とうれしい連絡がありました。そして、読売新聞、朝日新聞、静岡新聞で紹介してもらえました。
 さらに、新聞を見たラジオからも取材がありました。日本放送の「うえやなぎまさひこのサプライズ!」という番組の「10時のちょっといいはなし」でした。さらに、『墨』や書道美術新聞といった書道の専門雑誌・新聞でも紹介してもらえました。
 その後、『ひらがないろは』は、全国学校図書館協議会選定図書や日本図書館協会選定図書にも選ばれ、2015年度版小学国語教科書『ひろがる言葉小学国語』(教育出版)にも掲載されることになりました。

プレスリリース

新聞社などに郵送したりFAXしたりしたプレスリリース


11.誰のために本を作るのか
 
 出版社の社長の言葉で印象に残っている言葉があります。『ひらがないろは』を出版するにあたって、私はみんなの役に立つ本になってほしいという思いを強く持っていました。人のために、と強く思いすぎていたようにも思います。そんななか、出版社の社長が社員にこう言っているのを聞きました。


 「本は著者のために作ればいい。まずは著者が出版して喜ぶ本。著者が喜ばないのに他の人が喜ぶはずがない」


 この言葉は、以降ずっと私がするすべてのことに共通する思いとなっています。まずは自分が満足するものをつくること。そこがすべての出発だと。
 『ひらがないろは』という本は、いろいろな出会いや偶然がなければできあがらなかった奇跡の本ともいえるものです。この本の制作に携わることができてとてもうれしかった。そう思っています。

ライぶらり
 
監修の加藤泰弘先生が『ひらがないろは』について書いてくださった東京学芸大学附属図書館報「ライぶらり」の記事


東京学芸大学附属図書館「ライぶらり」Vol.36 2007.10  掲載
 http://library.u-gakugei.ac.jp/lbhome/news/TGULNv36n3.pdf

 


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